どなたもお持ちだと思うんです
何かをやるときの切り替えスイッチってね
頭の中で
カチャカチャカチャって
切り替える音がしましてね
さぁ〜仕事をやるぞっとか
さぁ〜これら飲むかっとか
さぁ〜寝るとするかっとかね
頭をガチャガチャと切り替えてから
次の行動に移るわけですね
いやね
普通に生きていれば
いろんなことがあるじゃないですか
嬉しくて笑顔になることもあれば
悲しくて涙することもあるし
悔しくて怒り狂うこともありますわな
笑顔になるようなことなら
楽しく1日を終えることができるでしょうが
そうでないとね
心が迷路に迷い込んでしまって
翌日も迷路から抜け出せない
なんていうことになりかねませんからね
1日を終える時に
上手に切り替えてくれるスイッチを
用意しておく必要があると思うんですね
そのスイッチとは・・・
感謝の言葉を捧げることなんです
今日もいろいろあったけど
ラッキーなことに
無事に1日を終えられたぞ
どうもありがとうさん
明日はまたいろいろあるやろね
それはそれで楽しいこっちゃ
ひとまず今日は、おやすみなさい
こんな感じですかね
感謝の気持ちを声を出すことによって
いつもの冷静な自分を取り戻すことが
できますんでね、眠りも深くなろうというもの
これってね
嬉しいこと、悲しいこと、悔しいこと
全てをリセットするスイッチみたいなもんですから
まぁ〜いうなら、呪文みたいなもんですわな
考えてみれば
人生の岐路に立ったとき
相談した相手って
身近な人ではなかったような気がします
その相手とは
自分の素性をあまり知らない
プロのコンサルや公共の窓口だった気がします
なぜなら
ここぞという判断に
身近な人の願いを受け入れて
情を絡めて判断してしまうと・・・
確かに、その時は
いろんな人の笑顔を見ることができて
ドラマの主人公になったみたいで
気持ち良いもんなんですが
後日
100%だと思うんです
予期していなかった
揺り戻しがやって来て
苦しむことになるからなんですね
痛い思いをたくさんしてきましたからね
ですから
深くて痛い話というのは
日常生活を共にしている家族や友人と
相談してはならないと思っているわけです
日々、外で激しく戦っている人ほど
そうあるべきじゃないでしょうかね・・・
その分
家族や友人には
「いつも静かに見守ってくれていること」を
感謝しなきゃいけないわけです
だからこそ
親しい人には
誕生日や何かの記念日といった日以外にも
いつもありがとうという感謝の気持ちを
伝えなきゃいけないんですね
言葉で表現すると
「何か後ろめたいことでもあんの?」
なんて、逆効果になることが多いですから
コンビニなんかで
新商品のお菓子なんかをお土産にして
一緒に食べるなんていいと思うんですよね
ちなみに
今日は、プリンにしました
良い会社の条件として
よく言われているのが・・・
業績に派手さはなくても
社員を大切にしていること
なぜなら
社員を大切にしている会社って
自ずとお客さんも大切にしますからね
結果的に
経営も安定しているということですわな
最近
いろいろ話題にのぼりましたが
ブラック企業って真逆でしたもんね
いやね
これって
個人にも当て嵌まると思うんですよ
家族を大切にする人
これが仕事の出来る条件だということです
家族を大切にすれば
一緒に働いている仲間を大切にしますからね
自ずと良い仕事が出来るということなんですね
ですから
家族を大切にしているという行動を
いつも起こさなきゃいけないんですね
そして
「家族が一番大切だと思っている」って
家族に分かってもらわなきゃいけないんです
だからって
声に出して、大切だ、大切だって言いっていると
オカシクなったのかって思われちゃいますからね
やはりここは、工夫が必要なんですね
例えば
朝食は、必ず家族一緒に取るとか
掃除は、必ず家族一斉にやるとか
買い物は、必ず家族一緒に出掛けるとかね
いろいろあると思うんですが
何かひとつ決めておいて
実行し続けることだと思うんです
ちなみに
うちではね
「お茶を飲もうぜ!」って声を掛けると
何をしていても、その手を止めて
みんなで集まってワイワイガヤガヤするんですよ
責任感に押し潰されそうな
そんな毎日が続くと
ついつい
感情を抑えきれずに
家族のものや上司や部下なんかを
怒鳴りつけてしまうなんていうことがあるもの
冷静に考えてみれば
怒鳴る相手もタイミングもその内容も
間違っていることが多いんですよね
怒鳴った後じゃ
どうすることもできませんわな
そんな時って
ひとりでイジイジと後悔するわけです・・・
いやね
過去の大いなる反省から思ったんです
どんなときも
「穏やかな自分でいること」を
心掛けるべきだってね
穏やかでいられるって
多分
健康でいることの証でしょうし
平常心で事に当たっている証でしょうから
とにかく、とんでもないポカをしませんわな
ですからね
1日のうち何度も自分に問い掛けるわけです
「穏やかでいるかい?」ってね
ちなみに
私の場合「キッ!」となりますとね
周りにいる犬猫達がサッといなくなりましてね
すぐに「こりゃいかん」って分かるんですよ
人が見ているからこそ
率先してやることってあるのなら
人が見ているからこそ
やらないことってあるかもしれませんね
例えば
電車で老人に席を譲るとか
落ちているゴミを拾ってゴミ箱に入れるとかね
人の目を意識すると
いい人に見られたいという下心から
率先してやるかもしれませんし
他人から、いい人と思われたいのかよって
思われるのが嫌でやらないかもしれません
何れにしても
人の目を意識して
言動を変えるような生き方をしてたんじゃ
家族や友人、知人から
小さい奴って馬鹿にされちまいますわな
やはり
ここは・・・
電車で立った老人を見付けたら
サッと席を立って譲ればいいんだし
目の前にゴミが落ちていれば
サッと拾ってゴミ箱に入れればいいんです
そんな
何の得にもならないことをするのは
損だということになるかもしれませんが
よく考えてみて下さい
誰かが見ているかどうかで
自分を変えていますとね
自分の中に何人もの自分が
いることになるんですわな
得てして
そうなりますとね
一番情けないなって思うような奴が
自分の本当の姿になっちまうんですわ
誰も見ていないからといって
空き缶を道端に投げ捨てちまう
そんな情けない奴にはなりたくないですわな
ビジネスにおける最終兵器は何かと言えば
人脈だとお答えになる方が多いわけで
大凡その通りだろうと誰もが思うわけです
だからと言って
日常生活や仕事の場で
敢えて人脈を広げようとか
知り合いを仲の良い友達にしようとするのは
どうだかなぁ〜って思うんですね
だってですね
人間という生き物は
もともと、個で生きてゆくものですから
たとえ集団で生活をしていたとしても
孤独であることに変わりはないわけで・・・
確かに
損得に関わるような人脈というのは
名刺の中から繋がるのかもしれませんし
誰かの紹介で広がるものかもしれません
でもね
誰もが知ってるんですよね
損得で繋がった人脈というのは
いま、味方だと思っていても
いつ寝返るか分からないことをね
やはり
信頼のおける
ビジネスで最終兵器となるような
そんな人脈というのは
何らかの切っ掛けで出会った面白い人
そこから始まる友人が発展したものであって
どちらかと言えば偶然の賜物なんですね
ですから
寂しいからとか
友達が欲しいからとか
人脈を広げたいからとかで
知人に誰かを紹介してもらうなんていうのは
どこか違うような気がしているわけです
だからと言うべきかもしれませんが
家族なんかの友人の集いっていうのは
大切にしなきゃいけないわけです
なぜなら
別に、自分にとっての人脈が
如何の斯うのというんじゃなくって
家族が大切にしている友人なんですからね
失礼がないように「気遣う」という役割を
楽しんで演じる必要があるわけです
だって
そこに集っている人達って
偶然の賜物なんですからね
ブログへの投稿や
毎日の犬猫のお世話
毎週の金魚の水替えをしていると
「よく続くねぇ〜」って言われるんですが
これって
自分が自分で決めたルールを
淡々とやっているに過ぎないわけで・・・
少なくとも1日に1本はブログを書くこと
毎日、ワンコの散歩は2キロ歩くこと
猫のトイレはいつも綺麗にしておくこと
優雅に泳ぐ金魚のためには
週に1回、必ず水を替えること、なんてね
確かに
寒い日なんかは
辛いなって思うこともあるんですが
それ以上に
自分で決めた自分のルールを
淡々と守っていることが楽しいですわな
いやね
思うんです
夢を持って生活するって
大切だと良く言われるじゃないですか
でもね
夢って語っているだけじゃ
叶うもんじゃないですよね
やはり
長い階段を一段ずつ登って行くような
夢に向かってチョットずつ進んで行く
そんな絶えることのない営みにたいなものが
必要だと思うんですね
それは
どんなことかと言えば
自分の決めたルールを
自分で守り実行することだと思うんです
言い換えるなら
それさえやっていれば
いつか必ず何らかの結果が出るという
ことなのかもしれないわけです
マルティン・ルターの言葉として有名ですが
「たとえ明日世界が滅びようと
今日わたしは林檎の木を植える」
本来の意味は別としまして
この言葉って好きでしてね
何か新しいことを始めようとするとき
自分の抱いていることは「希望」なのか
それとも「願望」なのかを見極める際に
思い出すようにしているです
例えば
企画書なんかを書いていますと
ついつい
こうなればいいなぁと運頼みをしてしまい
こうしてくれるに違いないと
他力本願になってしまうのがオチなんですね
こんな「願望」で凝り固まった企画書って
読む人を引き込むことって
絶対と言っていいほどありませんし
そもそも、企画そのものが甘いですよね
その点
小さな可能性であっても、それを信じ
絶対に諦めない覚悟の上で書かれたものは
読む人に「希望」を感じさせ
感動させるんですよね
そうなんです
企画そのものに引き込む力があるわけです
いやね
いつも思っているんです
企画書のようなものだけじゃなく
日頃の発言にも注意しなきゃってね
日頃の自分の発言が
「希望」に満ち溢れているものなのか
それとも「願望」の塊にすぎないのかってね
もし「願望」の塊だとしたら
それは
表面的には仲良くしてくれている人達も
本音では疎ましく思っている
・・・のかもしれないわけなんです
どんなことでも白か黒のどちらかで
単純に考えようとするところがあるんですね
ですから
トラブルに見舞われたり
失敗をしてしまったりすると
もう、この世の終わりって思っちゃって
これまで築き上げてきたものが
全て台無しになってしまう、なんて
途方も無い恐怖に支配されてしまうわけです
そうなっちゃうと
もう何もかもが嫌になって
思考停止の仁王立ち状態になりましてね
誰かが何かを話し掛けてきても
声が全く聞こえてこないんですわな
目の前の人が
口をパクパク開けて何かを喋っている姿は
まるで無声映画を見ている感じなんですよね
思わず笑っちゃいますわな
そうならないためにも
どうするかなんですが・・・
考えてみますに
何か問題が起こったとき
すぐにやるべきことと言えば
まずは
混乱状態の沈静化を図る対処法を講じて
最悪な事態からの回避をすること
これが一番大切なことですよね
その後
同じトラブルが起こらないように
あるいは、同じ失敗をしないために
改めて問題の本質を掘り下げ
解決策を何段階かに分けて考えるわけです
いやね
多くの場合
混乱状態が沈静化しましたらね
それで終わった気分になるんですよね
そうなんです
すぐに、トラブルや失敗の痛みを
忘れちゃうというわけです
ですからね
何度も同じ痛みを繰り返すわけです
そして
何度も同じ自己嫌悪に陥り
何度も同じ反省をするわけです
これってね
タバコを止められない言い訳と似ていますわな
「私はとても意志が強いですから
何度でも禁煙ができるんですよ」ってね
最近は
初めてお会いする方とお話しする機会が多く
そんなに長くお話をするわけでもないのに
クタクタになってしまっている自分に
改めて歳を感じているわけですが
考えてみますと
コミュニケーションというのは
相手との接し方や話し方を指すものだと
単純に考えてしまって
話し相手が目上だとか年下だとかで
その方法を変えればいいとだけ
思ってしまっているんですね
でも、よくよく考えてみますと
自分自身の年齢によっても
変化させなければならないんですね
案外、このことを忘れてしまっていることが
多いように思うわけです
若い頃って
尖っていますからね
自分の思ったことや感じたことを
そのままストレートに伝えようとしますんで
言葉も話の内容も初々しさを感じるものです
相手も
若いから仕方ないよなって
どこかで許してくれて、付き合ってくれます
でもね
ある程度、歳を重ねましたらね
ストレートだけでは許されなくなるものです
年相応の話し方が求められましてね
自分の言いたいことを
一方的に言い放つんじゃなくって
相手が反応しやすいように会話をすることが
求められると思うわけです
ここで、こう言ったら
相手はこう返してしてくれるだろうとか
こんな話をすれば
相手は喜んであの話をするに違いないとかね
計算をしながら会話をするのが
年配者のコミュニケーションというわけです
ねっ!
こんなことを考えながら話をするわけですから
疲れるわけですわ・・・
人の表情や仕草、醸し出す雰囲気から
いつもと違うぞという違和感を感じられたら
営業の現場やお店では
大いなる武器となるでしょうし
商品や工場の現場で感じることができたら
故障やトラブルを未然に防ぐ
武器となるかもしれませんね
こんな
人の気持ちの変化や
人を取り巻く空気の変化を察知する感性を
日頃から磨くことって大切だと思うわけです
ところが
特別なトレーニング方法ってないんだそうで
日常の生活の中で
ちょっとした工夫を凝らすことくらいでしか
感性を磨くことって出来ないんだそうです
では、どうするのか
人と会ったら
相手の服装や表情、顔色や声の調子から
感じたままの体調や心理状態を
相手に伝えてみることなんですね
「あれ!昨日、深酒やっちゃった?」とか
「残業が続いているみたいだけど疲れてない?」
「今日は大きなイベントがあったけなぁ
何か、緊張しているみたいだけど?」とかね
こんな風に
相手にパッと感じた印象を伝えてみるわけです
これって
良くリーダーに求められるスキルとして
紹介されているやつですよね
それと
もうひとつ
もの言わぬ相手に話し掛けることなんですって
観葉植物に
「おっ!水が足りないか?よし待ってろよ」とか
犬や猫、金魚なんかに
「ナンや、お腹が空いたのか、よしよし」とかね
こうやって話し掛けてやることで
いつものように元気だとか
いつもと違って元気がないぞとか
何となく感じることができるんだそうです
それに
もの言わぬ相手に話し掛けますとね
脳のクールダウンの効果もあるみたいですよ
仕事でも
プライベートでも
人の話を聴くだけではなく
自分の話を正確に伝えたいと思うのは
誰もが同じだと思うんです
でもね
相手に正確に理解してもらうって
本当に難しいんですよね
誤解されたり
曲解されたり
悪意をもって理解されたりと
なかなかうまくことは運ばないものです
そこで
やはりトレーニングが必要なわけです
まず、最初に話す準備が必要となります
話す内容の全容を整理すると同時に
伝えたい話にキーワードを用意するんですね
「猫の気持ちって分かるんですよ」とか
「ヨーグルトって太るんですよ」とかね
聞いた相手が興味を持ち
話を聞きたくなるようにするわけです
次に
話の途中で選択肢つきの問いかけをするんです
「猫が撫でてもらって喜ぶところって
どこだか分かります?頭?お腹?腰?」
ってな具合です
こんなふうに話の準備ができたら
あとは、実践あるのみなんですが
ここで
トレーニングとして実践するには
顔見知りだと気恥ずかしいですからね
訓練としては
知らない人に話しかけてみるのが
効果があるようです
セミナーや講習会で一緒になった人なんかに
気軽に話し掛けてみればいいわけです
しかし
こうやってまとめてみると
結構、難しいかもしれませんね
やはり
自分の意思を伝えるって
難しいということのようですね
良いマネージャーに求められるスキルって
いろいろあると思うんですよね
その中でも
商談を優位に進めたり
チームワーク良く仕事をするために
必要だとよく言われるスキルに・・・
人の話を正確に聴き取れること
話の中の大切なキーワードを聞き逃さないこと
つまり「聞き上手」であることと言われます
ところが
どうすれば社員やお客様の言葉を
ちゃんと聴くようになれるかは
誰も教えてくれないんですね
そこで
若い頃から実践してきた訓練方法の
いくつかをお話してみたいと思います
まず最初に
いまも実践しているんですが
落語を聞くことなんですね
話を聞いて楽しむことはもちろんですが
もっと大切なことは、噺家さんの口調を
真似て話してみることなんです
これは
聴いた話の内容を
正確に覚える訓練になるんですね
もちろん
落語に限らず、ニュースやドラマのセリフでも
構わないと思いますけどね・・・
次に、ラジオを聴くことなんです
ラジオはテレビやネットの動画なんかと違って
思考を停止してしまう視覚を使いませんから
放送の内容に集中できるんですね
ラジオを聴きながら
話の内容を理解してゆくという聴覚を
訓練するには最適だと思うわけです
最近ですと、何回も聞き直せる
ポッドキャストなんかも良いですよね
そして
自分のスキルをチェックするのに効果的なのが
会議や講習会の議事録を書くことなんですね
議事録を書くためには
記録すべきことと、そうでないことを
瞬時に判断しながらメモを取っていくわけで
人の話を聴きながらその内容を咀嚼する
そんな能力を訓練するには最高なんですね
ここでお話しした3つの訓練方法は
実際に自分でやってみて
効果があったなと思う内容なんですよ
お試しアレ
センター試験の時期になると必ず思うこと
それは
人って天職をどう思うかなんです
報道番組などで取り上げられる
天職で成功した旬な経営者のみなさんって
考えてみれば
我々一般庶民からするなら
織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった
歴史上の偉人と、何ら変わりませんからね
自分にとって天職って何なんだろうって
いつも頭を痛めている我々からすると
雲の上の存在でしてね
みなさんの言動から何か学ぼうと思っても
なかなかヒントは得られないんですな
ついには考えるのを止めましてね
損得を判断基準にしちゃうんです
就職するのに有利な資格を取ろうとしますし
マスコミで良く取り上げられるような
ニーズの高いと言われている業界に
入ろうとするわけです
あるいは
消費者としての自分が好きなものを
仕事してやればいいんじゃないかって
安易に考え、苦手なものを克服するのに
多くの時間を使うなんてことをするわけです
最後には
天職そのものを考えるのを止めましてね
仕事はお金のためと割り切るべきだ
なんて自分に言い聞かせちまうんですな
いやね
センター試験に挑戦する若者にとっては
目の前に乗り越えなきゃいけない壁が
あるわけですが
歳を取って振り返ってみたとき
考えてみれば、あの壁は低かったなって
思えるような人生だといいなって思うわけです
周囲にいませんか
ろくに仕事もできないのに
威張り腐っている奴ってね
こういう奴って
周りから嫌われても全然平気なんですよね
なぜ
そんなに自信が持てるのか
どうすれば、そんなに自尊心を高められるのか
不思議で仕方ありませんわな
いやね
思ったんです
自信があることや
自尊心が高いことって
仕事ができるとか、できないとか
そんなの関係ないんじゃないかってね
だったら
自尊心を高め、自信を持つことって
簡単にできるんじゃないかって思うんです
そこで思い付いたのが
理想とする人の立ち振る舞いを真似ることで
それが可能ではないかということなんです
真似る対象者は
別に、歴史上の偉い人物である必要はなく
好きな芸能人や俳優さん
ドラマに登場する人物でもいいと思うんです
その人の
顔の表情、声のトーンや大きさ
相手を見るときの視線のもって行き方
何かをするときの身振り手振り
そういった立ち振る舞いを観察しましてね
そして、真似るんです
内面は後回しにしましてね
とにかく、自信に満ち溢れた仕草を真似て
外面を取り繕うわけです
そうしますと・・・
情けない自信なさげな内面が
徐々に取り繕っている自信満々の外面に
近づいていくというわけです
何かいけそうな気がしません?
何となく
そうかなって思っているんですが
反射的な返事を心掛けていると
チャンスが近くを通ることが多くなり
遅い返事をしていると
チャンスがなかなか来ないってね
だから
より多くのチャンスを掴むためには
反射的な返事しなきゃいけないわけですが
そのためには
自分独自の定規を持つことが必要なんですね
その定規とは
人の役に立つことを優先するとか
人の喜ぶことを優先するとか
人が嫌がることは決してしないとかね
人によって違うと思うんですけど・・・
その上で
常に周囲に目を凝らし
何が起こっているかを観察し
これから予想される変化を類推する洞察力を
鍛えておくことが必要なわけです
ですから
洞察力を鍛えるためにも
同じ仕事をするのなら
一生懸命働いたという時間の使い方じゃなく
この仕事を通して何を果たしたのかを
推しはかりながら時間を使う方が
定規により磨きが掛かる気がするわけです
不味いものを食べちゃうと
いつまでも口の中がネバネバしましてね
何か嫌な感じになるものです
いやね
この感覚って
人の悪口を言ったときも
同じなんですよね
当たり前ですが
言った悪口が本人にバレたら
そりゃ〜嫌な感じになるわけですが
その感覚じゃなくって
悪口という奴は
悪口を言った途端
毒気のあるもの・・・
そうですね
泥んこ遊びをしていたら
間違って泥が口に飛び込んでしまった
そんな感じでしょうか
もう
不味くて不味くて
ペッペッペッってやるでしょう!
あれなんですわ
嫌な感覚を消したくって
急いで
うがいなんかしますよね
いやね
悪口を言った時の
この感覚って大切でしてね
これが鈍くなってしまいますと
平気で人の悪口を言うようになりましてね
気が付かないうちに
泥がたくさん口に入っちゃって
徐々に体調がおかしくなるんですわな
怖い話です
やはり
人の悪口を言ったら
嫌〜な泥の味がする・・・
この感覚を忘れちゃいけませんね
予期しない出来事と遭遇すると
強い筈の自分が不本意な反応を
してしまうことって多いものです
その反応というのは
起こってしまったことに対する
怒りであったり
関わった人達に対する悪態であったり
予想される自分に対する非難への
恐怖であったり、諦めであったりと
卑怯なことは絶対にしない
なんて日頃から思っている人ほど
いきなり自信喪失に陥り
恐怖に支配されてしまうんですね
そして、遂には
何も出来なくなっちゃいましてね
中には
見て見ぬ振りをするなんていう人も
出てきちゃったりするわけです
企業でも良くありますよね
不良債権隠しだとか
架空取引だとかね
あれって
予期していなかった出来事を
完全に無視し、無かったことにして
当社はいつものように順調ですよと
現状を装う行為なんですよね
残念ながら
こんなことをしたって
未来永劫、隠し通せるわけありません
よく言われますよね
やるべきことを
やるべきときにしていないと
その揺り戻しは
何倍にもなって返ってくるってね
そうならないためにも
一旦、恐怖に支配された自分が
何かことを起こそうとするときは
「いまやろうとしていることは
本当に最善の策なのか」って
真摯に自問自答することが大切だと
本気で思うわけです
お店で目的のものを買おうとすると
店員の人が近寄ってきて
知識を開けびらかすことってあるんですよね
「これもいいですけど
もっといいのはこれですし
よく売れているのはこれなんですよ」
なんてね
確かに店員さんの言わんとすることは
分かるには分かるんですが・・・
でもね
こちらとしては話を聞いているうちに
購買意欲が失せちまいましてね
買うのを止めちゃったりするわけです
これは
店員の教育がなってないという話じゃなく
思いますに
他人の話を聞く時
受け止められる言葉のキャパシティって
人によって、それぞれありましてね
キャパシティを超えてしまうと
言葉を受け止められなくなってしまい
疲れて思考停止状態になるような気がするんです
話をする側は
自分の知っていることを
朗々と喋っているわけですから
それはそれで気持ち良いことなんでしょうけど
聞く側にしたら迷惑な話ですわな
いやね
思うんです
もし
自分の意思を伝えたいと思うのなら
時には黙って相手の出方を観る
これって大切じゃないでしょうかね
ひと昔前は
良い学校・良い習い事・良い塾
良い友人といった、子供を取り巻く環境が
子供を育てると言われていました
だから
一流大学を出て一流企業に入社さえすれば
一生安泰だって言われていましたね
実際にそうだったのかもしれません
ところが
最近の変化の激しい社会環境にあっては
このモデルが崩れちまいましてね
一流企業そのものが安泰じゃありませんから
少々変わってしまって
どんな社会になろうとも
踏ん張って生きていけるような
そんなタフな大人になれというわけです
要は
これまでのような他力本願の子育てでは
アカンというわけですね
いま求められている子育ては
大したことのない親の経験値や価値観で
我が子の可能性の芽を潰してしまわないこと
これが一番大切なのかもしれませんね
その上で
初めて出会うものに対して
拒絶してしまうんじゃなく
興味を持つことの大切さを教えること
自分のやったことで人が喜んでくれる
そこに幸せを感じる感性を育てること
そして
打たれ強い子に育てること
こんなところが大切なんだと思うんですね
言い換えるなら
長期ビジョンを持って
戦略的に子供を育てる必要がある
ってなことになるんですわな
考えてみますと
子育てという奴は
起業するために準備するのと
よく似ているんですね
そう言えば
よく経営者が言いますもんね
この会社は我が子同然だってね
営業をやっていますと
ここは勝負っていうときがありましてね
チョッとだけ
虚勢を張ってしまう
何ていうことがあるわけです・・・
それが
実績に裏付けられたものであれば
問題はないのですが
「そんなこと我々にしたら簡単な話です
お任せ下さい、ご満足いくものにします」
なんてね
何の裏付けもないのに
受注したいがためにやっちまった虚勢は
後々
帳尻を合わせるの大変な目に遭うわけです
いやね
こんなことって他にもありまして
肩書きが課長だろうが部長だろうが
積み上げた実績が少ないまま
時の運で役付きになってしまうと
自分で築き上げた実績がないという
コンプレックスに苛まれ
強い自分を演じ続けなければならず
必要以上に部下に強く当たったり
小さなミスも見逃さず叱責したり
はじめから出来もしないと分かっている仕事を
あえてさせて、わざと失敗するのを待ったりと
弱い立場の人間をバッシングすることで
どうにか心のバランスを保つ
なんてことをしちゃうんですね
これほど不幸なことはありませんわな
もし
自分の上司が
自信なさ気に仕事をしているのなら
それを小馬鹿にするんじゃなく
自分を映す鏡だと思いましてね
日々精進し堅実に実績を積み上げることを
せなアカンわけです
それは
過去にない実績を上げるとか
ノーベル賞のような権威ある賞を受けるとかね
大きなことである必要はなくって
道端にゴミが落ちていたから拾って捨てたとか
道を聞かれたとき、丁寧に教えたとか
チームで良いプレゼンができたとかね
とにかく
自分自身が心底納得できるものであれば
なんでもいいんですね
実績を継続して積み上げること
そのことこそが大切なわけです