小さなことなんですが
荷物が届いたときサインするじゃないですか
そんなとき
こんなこと言われたことがありません?
「ここにサインをもらっていいですか?」
こちらに気を使って
「〜もらっていいですか?」という
表現になったんだと思うんですけど
この表現って
相手に許可を求める表現じゃないですか
それを
何かを依頼するときに使っちゃダメでしょう
こう言われたときってイラッとしましてね
「ここにご記入いただけますか」って言え!
なんて、心の底でボヤクわけです
同じように
気遣いの表現が間違っていて
イラっとさせられることがあります
それは
レストランで注文したメニューに
デザートとして珈琲が付いていたとき
「珈琲はお食事の後で大丈夫ですか?」
なんて聞かれることです
「大丈夫ですか?」という表現は
押し付けがましいと思いません?
なんか
「飲み物はサービスしてやってんだぞ
食事の後持って来ればいいだろう!」って
言われている気がするんですよね
分かっているんです
人間の器が小さいから
こんなことでイラってするんだってね
でも
イラってするんですもん
どこかで言いたかったんですよ
もう変な言い方は「ヤメてくれ!」ってね
誰でも
年齢や性別に関係なく
いろんな方と話をするわけですが
イラっとさせられる
「相づち」ってあると思いません?
「うんうん」と言いながら頷くとか
「そうそう、その通りです」とか
「はいはい、私もそう思っていました」とか
「なるほどね・・・」とかね
これらは間違いなく「相づち」で
問題ないといえば、そうなんですが
でも
これって
相手の話に対して
評価しているような印象を与えません?
そうなんです
目上の人が目下の人の意見を聞いて
なかなかやるじゃないかって感心している
あるいは、評価しているといった
そんな感じなんですよね
上司と部下の関係での話なら
問題ないかもしれませんが
第三者との会話でもやっているとしたら
相手をイライラさせますわな
一度
自分の「相づち」を
チェックし直してみては如何でしょうか
若い頃のことなんですが
はじめてソフト開発の世界と触れた時
ガツーンとやられた記憶があるんです
それは「時は金なり」という
徹底した文化なんですね
私のいるこちらの世界は
締め切りという概念はあっても
もともと営業部隊ですからね
何をやっていても営業活動の一環って
言い訳できちゃう世界なんですね
ところが
ソフト開発をされている面々は
時間ごとのチャージで時間工数を計算し
時給から原価計算されいますから
時間に対するコスト意識がもの凄く高くて
あまりにも文化が違うもんでね
ちょっと恥ずかしくなった記憶があるんです
この経験をしてからというもの
誰かが主管となる会議に出席するときは
必ず聞くようにしたんです
「準備は十分に出来ていますか?」ってね
もし、他の仕事が忙しかったりして
納得いく準備が出来ていないなんていうときは
アッサリと会議を中止してもらって
リスケジューリングしてもらうんです
だってね
何人もの人が頭を突き合わせて
十分に準備の出来ていない情報の元で
あ〜でもない
こ〜でもないって議論して出した結論が
満足行くものになるわけないですからね
大人気ない奴って言われても
これは譲れないことのひとつなんですわ
いろんな会議に出席していれば
いろんなことが起こるわけですが
そんな中で
もう勘弁してくれって思うのが
こいつら、いつまで議論してるんだ
話が、全然かみ合ってないじゃないか!
なんてことを熱くなってやっているときです
こんな無味乾燥な議論を
必死でやる人達というのは
口頭で議論されていることが多いんですね
要は
議論を展開しているうちに
論点がずれてしまい
相手の意見が許せなくなった状態なわけです
あいつだけには負けたくないとか
ここで丸め込まれたら恥だとかね
変なプライドが加わって
議論は尽きないわけです
こんな議論は時間の無駄ですからね
議論の見える化を図るに限るわけです
まず、ホワイトボードに
両者の言い分を左右に分けて
大き目のメモに書いて貼っていきます
次に、メモの内容を確認しながら
グルーピングをしていきます
最後に
論点をフレームワークで整理します
この整理された内容を元に
無味乾燥な議論を展開されていた方々も交えて
参加者全員で落とし所を探っていくわけです
そうしましたらね
なんやこれって思っていた会議も
仕事したった思える会議に変貌するわけですな
ホンマでっせ!
世の中には
結論に至らなくても構わなくって
とにかく打ち合わせをするのが好きという
ヘンテコな時間浪費家っておられますよね
そんな方と打ち合わせをすることになると
まず
打ち合わせの時間がアバウトですわな
どう考えても10分もあれば済むのに
60分なんてキリのいい時間で
セットアップされていたりするんです
次に
ゴールが決まっていないんですね
頭を突き合わせて何か話していれば
何となく、ものごとは決まってゆくもの
なんて思っているんですね
こんなんですから
時間配分なんてされていません
仮に、結論を出したいと思うことが
幾つかあったとしても
それぞれに重み付けがなされていないので
挙手を取るだけで結論が出るのに
いつまでも意見を出し合っていたり
いい提案が出はじめたなって思ったら
終了時間が来てしまい中途半端で終わる
なんてことになるわけです
思うんです
どうせ打ち合わせをするのなら
次のことを最初に確認することだってね
まず
話し合うべき事項について確認をすることです
人の問題なのか
クレーム対策なのか
誰かの提案を聞くことなのか
とにかくハッキリさせることですね
次に
どんな結論を出すべきなのかを確認することです
問題点を明確にすることなのか
やるやらないを決めることなのか
次に何をすべきかを決めることなのか
ゴールの姿を明確にすることですね
最後に
検討すべき事項の重みによって
大まかな時間配分を行うことです
この件は挙手で決められますから10分
この件はみんなの意見を聞きたいですから30分
この件はまとめるだけですから15分
なんて時間配分をしておくわけですね
こんな風な姿勢で
毎回、打ち合わせに臨んでいましたらね
時間浪費のいい加減な打ち合わせには
巻き込まれなくて済むようになりますよ
先日、ある会社の株主総会で
社長交代しようと思っていたけど
まだ、やりたいことが一杯あるから
あと5年くらいは続けることにしました
なんて言って
社長交代をドタキャンして
世間を騒がせた方っておられましたよね
あの方は、日頃の言動でも
平気で悪人を演じておられますから
また、何かあったんだなって思いましたよね
一方、我々一般人というのは
「自分って、善人と悪人のどちらかといえば
世界に誇れる程ではないとしても善人かな」
なんて思っていましてね
大方のところ
善人でありたいと思っているわけです
それは
自分の中にある悪人の要素に
不安や恐怖を感じているからでしょうね
だから
他人と比較することで
自分はあの人より良い人に違いないって
勝手に思っているわけです
実は、ここまでは仕方ないとしても
問題なのは、ここからなんですね
自分は善人なんだから
他人には迷惑は掛けられないって思っていて
会社でミスなんかをしたとき
上司や同僚に迷惑が掛かるからと
誤魔化したりしちゃったりするわけです
後日、そのミスが発覚したとき
こんな言い訳を平気でするんですね
「会社に迷惑を掛けたくなかっただけだ」
自分は善人であり、巷の悪人とは違う
本件は善意で止むに止まれずやったに過ぎない
という論法なわけです
良く聞く言い訳ですよね!
ところが
経営者ともなりますと
こんな言い訳は通用しませんでね
他人と比較する世界に浸っていたりすると
部下達もそれを真似てしまいましてね
組織はあっという間に疲弊し
会社という固い殻の中の世界だけで
物事を判断するようになってしまうんですね
その結果
「炉心溶融という表現は使うな」なんて
すぐにバレてしまうような隠蔽をしてしまう
恐怖の企業体質になっちまうわけです
やはり
リーダーシップというのは
他者との競争によって育つものではなく
個人の人間力や広い視野
長い時間軸でものごとを捉える力を
自らが磨いてゆく覚悟が必要なんですね
誰もが陥っている
善悪という他人との比較によって
ものごとを判断する弱い自分を止めましてね
善人であらねばならないといった強迫観念や
自分への執着心を手放してはじめて
「真のリーダー」になれる気がするんです
やっぱり
こうやって考えてみますと
経営者というのは孤独ですわな
仕事と真摯に向き合っていれば
「本件について一緒に研究をしましょう」
「こいつを具現化し一緒に世の中を変えましょう」
「会社を一緒に上場させて世間を驚かせましょう」
なんてことを
気の合う仲間と話すことってあるわけで
そんなとき
相手が耳を傾けてくれるかどうかは
相手の中にあなたのイメージが
どんな風に描かれているかによると思うんですね
ですから
照れ臭いとか、面倒だからとかで
自己アピールを疎かにするなんてことは
許されないわけです
いやね
マーケティングを考えてゆく上で
対象とする顧客のイメージを描くのに
良くペルソナを使うんですが
これを応用しましてね
自分の演出を日頃から行って
自己アピールをすれば良いと思っているんです
「人」を表すのは「person」ですが
「persona」は「仮面」を表しましてね
人間はいくつもの仮面を持っているとされており
いろんな仮面を使って
パフォーマンスを強調して行こうというのが
ペルソナを使ったマーケティング手法なのです
基本は
前回もお話しましたように
自己アピールに有効な長所といった要素を
フォトフレームに飾るように並べるわけですが
そのフォトフレームをイメージするとき
三つの視点で考えると良いんですね
まずはベーシックに
自分の良いところをフレームに入れて強調する
次に
相手に応じて色んなフレームを用意をする
もうひとつ大切なのは
いつもの相手に対して
いつもとは違うフレームで自分を見せて
相手をハッとさせて印象付けることなんですね
例えば
誰に対しても
いつも優しく接しているあなたが
ある日、約束を守らなかった部下が
適当な嘘で言い訳をして誤魔化そうとした途端
烈火のごとく怒鳴り散らし始めたとしたら
この人は優しいからといって
誤魔化そうとしたら大変な目に逢うぞ
この人とは真摯に付き合わなきゃいけない
なんてイメージが植え付けられるわけです
そうなんですよ
誰もがみんな
毎日、舞台の上で
自分を演じているというわけです
誰もがそうだと思うんですが
初めての方とお会いするときは
第一印象を大切にしますよね
「頭が良さそうだ」とか
「優しそうだ」とか
「付き合い難そうだ」とかね
相手の方のことを
いろいろな角度から観察するわけですけど
でも、同じように
相手の方もあなたのことを
必死で観察されているんですよね
ですから
こちらとしては
どんなイメージを持ってもらうか
ある程度デザインして面談に臨まないと
相手をこちらの味方に引き込めないわけです
ここでいう処のデザインというのは
自分の長所や実績の中から
強調したいと思う部分を切り取りましてね
フォトフレームに、写真を飾りつけるように
美しく観えるレイアウトを考えることなんですね
この時
大切なのは
相手に観えると都合の悪い部分は
ちょっとフェードアウトしておくことなんですね
これをせずに
有りのままの自分を観てもらおう
なんてガキみたいなことをしちゃいますとね
後日、一歩踏み込んだ話がしたいと思っても
相手の方は、勘弁してくれって
後すざりされるのがオチなんですわな
例えば
大学の教授とか役所の方とお会いするときは
ビジネススーツ姿で鞄を持って、中には
自分の書いたレポートなんかを用意しましてね
出来るビジネスマンを演出するわけです
IT企業の方や若者達と会うときは
ジーパン姿で、過去の実績を語れるように
タブレットなんかを用意しましてね
こいつは侮れない奴だという演出をするわけです
まぁ〜
人と会うとき
こんなことをちょこっと考えるだけで
いろんな自分をフォトフレームに
飾り付けられますんでね
楽しいというわけです
内村光良氏のスカッとジャパンという番組を
ボンヤリと観ながら、フト思ったんですが
イヤミ課長なんてキャラが受けるのは
「冷酷さ」を誤解しているリーダーが
多いのかもしれないってね
いやね
リーダーに求められる「冷酷さ」というのは
ひとつ間違うと「相手に恨みを買う」という
非常にデリケートな面があるので
・・・注意が必要ですよね
さすがに
今はいないでしょうけど
上司という立場を利用し部下の財産を
冷酷にも奪い取ってしまうなんてね
こんなことをしたら
法的には許されないことだって
誰にも分かりますよね
ところが
「冷酷さ」を持って
精神的なものを奪い取ってしまう
なんてことは結構やっているですよね
それも故意にね
例えば
部下の「自尊心」「やる気」「労働意欲」
なんてものを、奪い取っちゃうんですわけです
「お前は、チームのお荷物なんだよ
いない方がマシだよ」なんてね
こんなことを
平気で言っちゃったりするわけです
言われた方は
たまりませんわな
怒りのバレメーターが振り切れる瞬間ですわな
・・・でも
チームをリードするリーダーとしては
冷酷にならなきゃいけない側面も
あるわけですから
どうするか?なんですよね
それには
「冷酷さ」を演出することだと思うんです
その演出とは
一緒に設定した目標に対して
予定通りの成果を挙げたとき
本気で褒めることなんですね
そうなんです
部下に分からせればいいんです
目標に到達できなければ
いつもは優しい上司が
冷酷極まりない上司に豹変するぞってね
チームのリーダーともなれば
いろんな悩みを抱えることになるわけですが
その中で特に厄介なのが
業務を遂行する為に必要とされる
「優しさと冷酷さ」のバランス
これだと思うんですね
どちらか一方が強いというのは
やはり問題でしょうからね
では
リーダーとしての「優しさ」って何でしょうか
相手の立場を考慮し
思いやりを持って接すること
なんて解釈になるんでしょうか
・・・だったら
優しさだけで十分のような気がしますよね
でも
部下の個人的事情を優先することを
許すような仕事のさせ方をしていたら
不思議と部下は全力を出さなくなるんですね
なぜなら
自分の都合を上司に申告すれば
それだけで無罪放免になるんですから
嫌なことは誰もしなくなるというわけです
過剰な優しさは
部下の甘えにつながるということなんです
いやね
部下の勝手な都合で
安易な妥協や手抜き、誤魔化しを許したら
商品サービスの品質は維持できませんし
必ず、トラブルを引き寄せてしまいますよね
それは
強いては会社の信用に関わってしまうわけです
やはり
優しさだけではなく
冷酷な面も必要だということですわな
例えば
今日やるべきことは
先送りすることを一切許さないとか
トラブルの芽を見付けたら
どんなに忙しかろうが後回しにさせずに
最優先で対応させるとか
ビジネスの基本動作がなってないなら
いつか分かる時が来るさ、なんて見過ごさず
あるべき動作を厳しく指導するとかね
リーダーというのは
部下に受けのいい優しさだけでなく
先を見据えた指導を冷酷に行うという
重大な責務があると思うわけです
待ち合わせをするときは
最低でも約束の時間の30分前には
待ち合わせ場所の近くまで行き
近くの喫茶店等で最後の時間調整をする
このルールは
相手の方がどんな方だろうが関係なく
ずっとこれでやってきましたし
これからも、これでいうこうと思ってます
なぜ
ここまで徹底するのかと申しますと
それは
これからお会いする方への
時間を取っていただいた感謝の気持ちと
大人としての嗜みだと思うからなんですね
いやね
営業の仕事をそれなりにしていますとね
誰だって少なからず人付き合いは上手い方だと
言われるレベルまでにはなれるんですね
そうしますと
相手の方が大切なお客様であろうとなかろうと
丁寧な言葉で接することが出来るようになり
少なくとも、表面的には、相手の方が
嫌な思いをされるようなことはないんですね
でもね
昔の話なんですが、部下から言われて
自分の行動に愕然としたことがあるんです
それは
アポイントなしで突然来られたお客様への
対応だったんですね
大切にお付き合いしていたお客様でしたので
会議の席を中座しお待たせしなかったんです
そうしましたら
後で、言われたんです
「アポも取らずに来社されちゃ困りますよね」
この言葉を聞いて愕然としたんです
以前にもアポなしで来社されたお客様がおられ
その時も同じように会議中だったんですが
でも、その時は、ちょっと待っていただいて
「お待たせして申し訳ありません」って
言いながら応接室に入ったんです
この対応の違いは
お客様には見えないものかもしれませんけど
明らかに、区別していますよね
誰にとっても
大切な資源のひとつである時間をですね
私ごときとの面談のために使って頂いているのに
ビジネス上の重みで対応の仕方を変えるなんてね
自分の了見の狭さに情けなくなったわけです
その時からなんです
私なりの相手の方への敬意として
「約束の時間には絶対に遅刻しない
その為に少なくとも30分前には現地にいる」
としたわけなんです
でも、昔は喫茶店に入っても
本を読んで時間を潰すくらいしかなかったので
仕事をサボっているという後ろめたさが
どこかにあったんですが
最近は
ネット環境が整いましたからね
喫茶店でもしっかりと情報収集ができますんで
堂々としてられますよね
・・・便利になったものです
最近は
ちょっと何かあると
すぐにセクハラ・パワハラと言われますから
上司としては、部下とコミュニケーションには
気を使わざるを得ないわけですが
「肩に軽く触れながら、ひと言!」
これって
外野から何と言われようと
上司としては最強の武器なんですよね
特に
あいつは、まだ発展途上なんだよなって
思うような奴ほど、良く効くんですね
いやね
仕事をしているときって
誰もがそうじゃないですか
自分のことだけで精一杯なんですわな
でも
どんなに頑張っていても
思うように仕事がいかなくって苦戦中って
これまた、良くある話なんですよね
こんな時って
部下は、上司に嫌味のひとつでも
言わるんじゃないかとビクビクしているわけです
ここで
「何をトロトロやってんだ
サッサとやれ、アホ!」
なんてやっちゃうと
部下の気持ちは一気に離れちまうわけです
やはり、ここは
最強の武器を使うに限るんですね
部下の後ろを通る過ぎるとき
軽く肩に触れましてね
「どうや!」って、ひと言掛けるんです
それだけで十分
上司と部下との関係は楽になるんですわな
我々のような平凡な奴が部下だったら
上司に求められるスキルって
「どんな状況にあっても的確な指示を出すこと」
だって思っていますよね
でもね、実際には
「ネギライのひと言」なんですよね
「頑張ってや」という気持ちが伝わってくれば
それで十分なんです
そう言えば
ひと昔前、上司をやっていた頃
「どうや!」って書いてある扇子を
部下の横に行ってはパッと開きましてね
ニコッと笑うなんてことしてましたわ
・・・効果覿面でしたわさ
いまでも
間違っていなかったなって思っている
上司としての心構えのひとつに
部下が話し掛けてくる
人の悪口や陰口といったネガティブなことには
完全にスルーしてしまうに限るってあります
「隣の課は、こんなことやっているんですよ
上手く行くわけないってみんな言っています」
こんなことを部下が言ってきましたら
乗りたくなりますよね
他人の不幸は、蜜の味ですからね
でも
これに乗ってしまったら
部下たちは、楽な仕事をし始めるんです
上司の喜びそうなネガティブな情報ばかりを
拾ってきては報告するようになりましてね
上司と部下という緊張した関係が
他人を嘲笑する仲間に変わってしまうんですね
そうなりますと
仕事の詰めが甘くなってきましてね
何もかもが緩くなってくるんです
「日々の業務に追われてしまって
課長から指示されたことなんですが
まだ、出来ていないんです
ポンコツな部下で申し訳ありません」
なんて
笑いで誤魔化そうとしたりするわけです
この野郎と思っても
一旦緩んでしまった上司と部下の関係は
なかなか修復できないものなんですね
やはり
上司としては、ネガティブな情報には
「あっ、そう」程度で返事をし
興味がないことをハッキリと
部下に知らしめる必要があります
だからと言って
「そんなことを言う暇があったら
もっと仕事をしろ!」
なんてやっちゃうと、イジケちゃいますからね
反応しないに限るんです
逆に
ポジティブな情報には
少々、オーバーかなって思うような
リアクションをするのが良いと思うんです
「そうなんだ、それは素晴らしい
ぜひ、みんなにも聞かせてやろうよ」
なんて反応しますとね
当人は、もちろん嬉しいでしょうし
周囲の人間も、ポジティブな情報は
上司が喜ぶんだって分かりますから
自ずと
ポジティブな情報が集まるようになりますし
ネガティブな情報を報告するときでも
前向きな対処法を考えた上で
報告をしてくれるようになるんですね
これは
上司と部下との関係だけじゃなくって
友人、知人、恋人、親子関係にも言える
そんな気がしているんですよね
仕事をしてりゃね
「ウルセェ、黙ってろ!」なんて思いましてね
上司の話を無視してやってみたら
後で、酷い目にあった
そんな経験を大抵の方はしているんですね
いやね
思うわけです
あのとき
なぜ上司の話を聞こうとしなかったんだろうか
なぜ上司に相談しようとしなかったんだろうか
なぜ上司を目の敵にしていたんだろうかってね
多分
いろんな理由があったんでしょうけど
いまでも、上司には
こんな風に部下と接して欲しかったなって
思うことってあるんですよね
そのひとつが
上司が口癖のように言っていた
「相談があったら何でも言ってくれ」
これなんです
これを言って欲しくなかったんですね
確かに
上司というのは
部下の話に耳を傾けることが大切で
傾聴しなさいと教わるわけですが
やたらと声を掛けてきましてね
「何かない?何でもいいから相談して!」
なんて言ってくるんですね
これが鬱陶しいわけです
「コンビニ文化が
日本に受け入れられたのはなぜです?」とか
「コンピュータが
人間を支配するときって来ますか?」とか
「政治家ってお金に汚いって言いますが
なぜ捜査が入らないんですか?」とかね
追っ払うための質問を投げ返しましてね
上司を静かにさせていたんですね
そんなことをしていましたらね
上司との間に壁が出来てしまって
肝心の仕事の相談が出来なくなっちゃんです
上司が部下の話に耳を傾けようとして
声を掛けていたことが
失敗を呼び込んだともいえるわけです
では
部下として、上司に
どんな風に声を掛けて欲しかったのか?
多分
「目標通りに行きそうか?」って
声を掛けて欲しかったんだと思うんですね
仕事を進める上で
現実と目標との間のギャップを
上司の目で正確に判断して
その対応策をアドバイスして欲しかった
そんな風に思うわけです
じゃ、自分が上司だったとき
ちゃんと出来ていたかと言えば・・・
残念ながら
記憶が曖昧でしてね
お応えできないんですわ
・・・悪しからず
生きてりゃいろんなことがありますよね
良いことも悪いことも
楽しいことも悲しいことも
オモロイこともツライことも
やることが一杯ありますからね
目の前のことだけで精一杯の毎日ですわな
振り返ってみますと
仕事に対して必死だったのは分かるとして
楽しいことをする時も
ゆっくりと休む時も
悲しむ時も
何をするのも必死だった自分がいるんですね
気の休まる時って
無かったような気がするんです
そんな生き様しか出来なかったんでしょうね
でも、ここ最近
改めて気が付いたことがあるんですよ
それは
若い頃は気にもならなかったんですけど
本来なら若い頃から考えておくべき
「リスク」ってあるんだということなんです
そのひとつが
いま勤めている会社が
明日もちゃんとやっているという保証は
どこにもないということなんですね
倒産しているかもしれませんし
解雇されるかもしれないのです
ふたつ目が
誰もが必ず死ぬって分かってはいるんですが
その時はいつなのかは分からないことなんです
その時って
やりたいことが、まだまだたくさん残っている
明日かもしれませんし
やりたいことがやれなくなるほど
長生きをしてしまい、その日は
まだかまだかと思っているかもしれません
死をむかえる時までの生き様を
考えておく必要があるということなんですね
そして、もうひとつ
財政赤字の報道を観てもピンと来ずに
日本の明日を信じて生活している我々ですが
日本経済が負のスパイラスに本格的に陥ったり
大きな自然災害に見舞われてしまって
国家財政が破綻するかもしれないという
リスクなんですね
こんなことを考えるなんて縁起でもない
なんて思われるかもしれませんが
これらのリスクは
すぐ、そこまで来ているかもしれないのです
ちゃんと向き合う覚悟が必要ですね
会社で働いていれば
いろんな人がいるわけですが
賢い人と
そうでもない平凡な人とが
ゴチャゴチャと混ざっているんですね
ですから
経営者の立場からすると
賢い人を重宝したくなるんですが
でも
冷静に考えてみますとね
平凡な人というのは
仕事を任せたとき
大きな成功は期待できたないけれど
致命的な失敗をすることはなく
淡々と業務をこなしてくれる
ありがたい存在なんですね
ところが
賢い人というのはですね
仕事を任せる側が
ついつい期待しちゃってですね
うまくやってくれるに違いないって思うわけです
そうしますと
期待に応えようと頑張ってくれるわけですが
どうしても賢い人というのは
独断専行をしちゃいがちなんですね
それが成功につながれば
期待以上の成果が生まるわけですから
何も問題ないんですが
ところが
独断専行によって失敗したときは
組織の致命傷になったりしましてね
組織を潰してしまうなんてことになるわけです
経営者としては
このリスクをちゃんと認識していませんと
酷い目に合うというわけですわな
いやね
思うんです
賢い人の独断専行が
成功するか否かの分岐点というのは
確かに豊富な知識や経験、運なんかにも
左右されるんでしょうけど
それ以上に
組織人という「公の心」が
個人の名声や欲という「私心」を
上まっているかどうかによって決まる
そんな気がするんですね
「これって面倒だから無視しちゃえ」とか
「新しい挑戦には、犠牲は付き物だ」とか
「ここで撤退したら馬鹿にされる」とかね
自分の都合で
本来のあるべき姿を
曲げてしまうと成功への道が
必ずいつか閉ざされる時が来ると思うんですね
自分の働いている姿を
時には、経営者の視点から見直してみるって
大切なことかもしれませんね
いろんな人と一緒に仕事をしていれば
いろんなことが起こるものですが
「えっ!なぜやってないの?
書類で説明したじゃん!」とか
「こんな風にやっちゃダメだって
先日の打ち合わせで言ったよね」とか
「メールで納期を連絡したよね!それなのに
なぜ、いまになって出来ないって言うわけ?」
とかね
とにかく
コミュニケーションのミスって
結構あるんですよね
指示をした方からすると
ちゃんとやってない奴が悪いと
怒りたくなる気持ちも分かるんですが
でも
冷静に考えてみますとね
情報を発信する側にも責任はあるんですよね
いやね
ついついやっちゃっているんです
伝えるべき情報に漏れがないようにする為に
詳細に説明しようとするもんだから
情報量が多くなって一度で理解できる限界を
超えてしまっているんですね
その上
とにかく全部伝えなきゃって思うもんだから
説明も早口だし、説明もドンドン進んじゃうし
配られた資料も文字でギッシリなんですね
そうすると、どうなると思います?
聞き手は
早々に聞く耳をシャットアウトしちゃいましてね
「帰って資料でも読み直そう」なんて思って
コミュニケーションから離脱しちゃうわけです
こんなんですから
ミスが起こらないわけがないじゃないですか
・・・ねぇ〜
では
伝えたい情報を相手に理解してもらうには
どうすればいいのか?
基本は3つだと思っています
まず
書類でも、メールでも、人前の説明でも
人に理解してもらいたければ
情報量は少なくするということです
情報量が多いと
受け手の集中力が続かず
全く伝わっていないなんて結果になるわけです
さらに
その内容が、読み手の理解力に合わせて
説明されているということです
お客さんに
専門的な技術用語を並べて商品の説明をしたら
理解できずに、怒って帰っちまいますわな
そして
もうひとつ大切なのは
説明の文章にリズムがあるということです
単調な説明が続く文章は眠気を誘いますし
聞くにしても、読むにしても
聞きやすさ、読みやすさを意識していない文章と
接するのは、聞くも地獄、読むも地獄ですわな
公共機関や教授、アナリストが配られる資料って
文字が多くて驚いたことありません?
あれなんか、正に
コミュニケーションミスを恐れて
詳細に作成した資料の典型ですよね
あの資料って
後日、役に立ったことないですもんね