話をしていて
いろいろ驚くことってありますでしょう?
その中でも
特に驚くのは・・・
こちらの意図とは全く関係ないところで
話が引っ掛かってしまう人なんですね
例えば
「犬の散歩をしてたら
ログハウスのお店を見付けたんだ
来月オープンするらしいよ
どうも地ビールの居酒屋みたいだぞ・・・」
なんてね
転がすネタを投げたのに
「犬の散歩をしているんだ
どんな犬を飼っているの?」と
話の腰を折るような質問を返すんですよね
地ビールの店なんて面白そうだから
オープンしたら行こうぜって言いたかったのに
人の気持ちの分からない奴ですよね
でも
そんな奴、世の中には一杯いますよね
いやね
思うんです
こんなトンチンカンな奴ってね
他人のことなんかどうでも良くって
自己主張ばかりするんですよね
ですから
車の運転マナーも悪いに違いないんです
先日
JAFが行なった交通マナーに関するアンケートで
運転マナーの問題点について
いろいろ指摘されていましたが
車線変更や右左折するとき
ウインカーを、出さなかったり
信号が黄色になってもスピードを上げて
突っ込むような運転をしてしまう人が多いのは
このような
チャンと会話の出来ない人が増えてしまった
裏返しなのかもしれないなって思うわけです
・・・そう思いません?
どなたも
突然「何かひと言お願いします」
なんて言われたことありますよね
それが
会議の場であったり
研修の場であったり
宴会の場であったりと
他のことで頭が一杯ですのに
急に言われましてね
パニックになるわけです
でも
場を白けさせてはいけないからと
「では、ご指名を受けましたので・・・」
と渋々立つわけですが
頭の中は真っ白ですからね
シドロモドロで何を言ったか分からないまま
終わってしまうわけです
後から
ドーンと落ち込んじゃうわけです
こんなことを何度も繰り返しながら
次こそ、うまくやってやる
なんて思うわけですが
でも、やっぱり
次も同じように落ち込んじゃうわけですね
そこで
このジレンマから抜け出す方法はないか
考えてみました・・・
まず
誰でも急に指名されれば緊張しますんで
緊張度を上げないように
リラックスする必要がありますよね
そのためには
気の利いたことを言ってやろうとか
話が受けなかったらどうしようとか
言葉が詰まってしまって見っともない姿を
晒すなんてことになったらどうしようとかね
こんな
自分にプレッシャーを掛けるようなことは
言わないぞって自分に言い聞かせることなんです
そのためにも
個人として話をするんじゃなく
みんなの意見を代表して話をするって考えると
肩の力が抜けると思うんですね
だって
みんなの意見を代表して話をするわけですから
批判をする人なんかいないわけですからね
例えば
忘年会で乾杯の音頭を指名されたなら
素直に、みんなの労をねぎらう言葉を
並べることでスピーチを組み立てるんです
「今年は大変な一年でしたが
どうにか、今日の忘年会まで辿り着けました
みなさんの頑張りがあったお陰だと思います
今日は、今年一年の憂さ晴らして下さい
来年まで持ち越しちゃダメですよ・・・」
こんな感じでしょうか
みんなの気持ちを代弁し
みんなが共感の出来るいまの気持ちを
いまの言葉で伝えることが
その場に適した最高のコメントというわけですね
でも
やっぱり
ブログやSNSを使って
自分の思いをひと言にまとめる練習は
しておいた方が良いかもしれません
だって
それくらいはしておかないと
状況に合わせたコメントという奴が
思い付きませんもんね
・・・いかがでしょう?
近所に観光名所があるもんですから
修学旅行のバスを良く見るんですが
最近の
移動中のバスの中って
どんなんでしょう?
バスの修学旅行といえば
車窓から外を眺めたり
友達とおしゃべりをしたり
みんなで歌を歌ったりゲームをしたりと
バスガイドさんの腕の見せ所的な
イベントが目白押しだったんですけど
もうやっていないのかもしれませんね
だって
スマホやゲームさえあれば
みんな静かにしていますもんね
先生が
「静かにしなさい
ガイドさんの言うことを聞きなさい!」
なんて言わなくて済みますもんね
もしかしたら
学校からこんな修学旅行のお知らせが
出ているかもしれませんね
今回の修学旅行は
バスでの長時間の移動になりますので
児童がスマホを持っていくことを許可します
目的地に到着しましたら
スマホはバスの中に置いて行動します
なんてね
時代が変われば
修学旅行のあり方も変わる
・・・かもね
しかし
実際はどうなんでしょう?
ちょっと気になりますね
誰にも辛くて嫌な記憶ってありますよね
仕事では
こんなことがありました
いつものようにお客さんの会社に行ったら
民事再生手続きを開始したって書かれた張り紙が
入り口にペタンと貼ってあって呆然としたとか
朝、やる気満々で元気に出社したら
部長が近づいてきて肩を小突きながら
「君は無礼だ、私のことをバカにしたそうだな
○○課長が酒の席で聞いたって言っていた」
って言われて、あまりのバカバカしさに
怒鳴って追い返したとかね
個人的なものもありますよね
ある日、突然
クラス全員が口も聞いてくれなくなったりとか
「こんな簡単な問題も解けない人っているんだぞ」
って、先生が私のテストをみんなに見せたりとか
友達何人かで近くの山に登ることになって
集合場所に行ったら誰もいなくて
嘘の場所を教えられていたことが分かったりとかね
思い出すたびに
腑が煮える思いをするような
辛い記憶ってなかなか断ち切れませんよね・・・
でも
記憶というのは、本来は
自分の都合の悪いことは忘れてしまって
悪いことがあったのは全て他人のせいにし
自分を正当化することで
どうにか正常な心を保つことが
出来るようになっていると思うんですね
ところが
どうしても記憶を塗り替えることの出来ない
辛くて嫌な記憶というのがあって
こいつにいつまでも悩まされるわけです
思いますに
辛くて嫌な出来事の記憶というのは
視覚から強い刺激を受けていて
映像として潜在意識に焼き付いていると思うんですね
ですから
嫌な出来事を思い出すと
鮮やかな色彩で刺激の強い映像として
思い浮かぶんですね
いやね
ここで、いつものように考えてみたんです
辛くて嫌な記憶を断ち切るには
どのようにすればいいのかってね
思い出したくないことの多いわたしは
知らず知らずのうちに
こんなことをやっていることに気が付きました
もともと、辛くて嫌な記憶というのは
まず最初にリアルなカラー映像で思い出すんですね
そこに、音声が加わり、体感が追加されるわけです
さらに、香りや匂いというものまで加わると
かなり深く刻まれた記憶だということになるわけです
これを
断ち切るには・・・
辛くて嫌なシーンを思い出したとき
頭の中に広がる総天然色カラーの映像を
モノクロあるいはセピア色に塗り替えちゃうんですね
その上で
カメラを引くイメージで
映像をグググっと小さくしてしまうんですね
もちろん
音声のボリュームもミニマムにしてしまうんです
そう
映像を昔の8ミリフィルムにしちゃうんですね
これを
何度かやりますと、アラ不思議!
記憶は
辛くて嫌なものから
徐々に笑い話のネタへと変わるんですね
先に挙げました
わたしの辛くて嫌な記憶の例なんかは
いまは話のネタとして使い回していますもん
・・・いかがざんしょ?
先日、散髪に行ったんです
残っている髪は少なくなったのに
それでも髪は伸びるんですね
鏡に映る
ボッサボッサになった頭を見ながら
老いてゆく自分に愕然とするわけですが
ボーッとしながらも
「そういえば!」って
思い出したことがあるんですね
それは
チームの女性スタッフから
話しづらいと思われないために
心掛けていたことなんです
まず
特に注意しようと思っていたのは
無表情で無口、あまり笑わなくて
人と目を合わせようとしない
そんな鬱陶しい存在になってはならない
ということなんですね
女性が
話しかけても楽しくなさそうとか
私に興味がなさそうなんて思っちゃうと
全く無視されちゃいますからね
それから
男性同士が集まって内輪話で盛り上がる
そんなチャラ男のグループに加わらない
ということなんですね
内輪話で盛り上がっている光景は
女性を拒否しているというか
こっちに来るなよ的なオーラ全開って感じで
遠ざけられちゃいますからね
それと
男性としてギラギラし過ぎた感を出さない
ということなんですね
ほど良いバランスの男性ホルモンは
女性にも魅力的に映るかもしれませんが
放出が激しいと肉食獣ですからね
遠ざけられちゃいまいますよね
ですから
いかつい感じのアクセサリーや洋服は
怖い人、危険な人って感じがするのでご法度で
出来るだけ爽やかな印象を与えるものを
身に付けるようにしていたんですね
・・・こんなこと
いまも通用するんでしょうか?
そういえば
秘書に罵声を浴びせていた
女性議員がおられましたね
もしかしたら
この女性と接するときの
男性の気をつけるべき事項は
いまは
女性にも言えることなのかもしれませんね
・・・そう思いません?
チームで仕事をしているのなら
情報の共有、意見交換の意味からも
会議って大切な筈なんですが
どうも
そこんところを勘違いしているリーダーが多く
会議と称して部下を集めておきながら
何を決めるべきなのかが曖昧なもんで
「馬鹿ども、もっと働け!」みたいな
パワハラもどきの恫喝をして終わってしまう
そんな会議を繰り返しているんですよね
例えば
どうしようもない会議の例としては
状況の説明が膨大にあって
入れ替わり立ち替わり説明ばかりを聞かされて
肝心の議論に入れず満足な意見交換も出来ないまま
次回の会議に持ち越しになってしまう
なんていう説明会の会議ですね
これなんかは
後で、言った言わない
聞いた聞いていない論争になったときのための
「言い訳会議」ということなんでしょうね
逆のケースもありますね
情報が不足していて
正確な事実が共有出来ていないために
抽象的な思い込みの議論に終始する
「私見会議」ですね
これなんかは
部課長レベルの会議で良くありますね
会議で、みんな不機嫌になっちゃうんですよね
そうそう
会議をしましょうって言っておきながら
議論の進め方や時間配分を決めてなくって
まとまりのない会議になってしまう
なんていうのもありますね
これなんかは
見当違いの発言が繰り返されてしまい
「脱線会議」と言えるかもしれませんね
こんな会議に引っ張り出されたら
時間の無駄って本気で思いますもんね
いずれにしても
チームのリーダーになったら
いかに会議を効果的に行うか
真剣に考えておいた方がいいと思うんです
部下たちは
会議でのリーダーの立ち振る舞いを
ちゃんと見て聞いていましてね
リーダーの値踏みをしているんですから・・・
そこで
手を抜いていたんじゃ
いいチームにはなりませんよね
・・・そう思いません?
子供の頃
「しまった!」って思うような痛い目に遭いますと
大人になってもコトあるごとに思い出すもんですよね
わたしの場合は
幼稚園のときの話なんですけど・・・
そこの幼稚園は
天使園なんて呼ばれていましてね
通園するわたしなんざぁ
正に、この世の天使だったわけですが
秋の運動会が
あと2週間くらいになったある夜のこと
母親が
たまたま覗いたわたしのカバンの中に
クチャクチャになった封書を見付けたんですね
それを読んだ優しいはずの母親の顔が
鬼のようになっていったんです
「あんた、これいつ貰ったの?」
「・・・?」
そこに書かれていたのは
運動会の閉会式でお子さんに挨拶をさせて下さい
その内容は、こんな感じでお願いします
・・・なんて書かれていたんですね
迷惑千万な話だったわけです
まぁ
その夜は
親って本気で怒るとこんなに怖いんだって
改めて学ばせてもらったわけですが
子供なりに
「しまった、そう言えば先生なんか言ってたな」
なんて反省もしたわけです
それからは特訓ですよ
毎日、泣きながら
挨拶の練習をしたことを覚えています
本番当日は
みんなの前でチャンと挨拶したらしく
その後、この件で怒られた記憶はないんですけど
・・・ホンマにギリギリセーフですわ
いやね
このときの経験が
その後の人生に大きく影響を与えたんですね
それは
「人は言われたことを平気で忘れてしまう」
ということなんですね
あのとき
カバンの中に封書が入っていたなんて
本当に覚えていませんでしたからね
そこで
やると決めたことがあるんです
自分は
その日のことでも
興味の無いことはすぐに忘れちゃうので
思い出すために日記を書くことにしようってね
そのために
毎日、カバンの中身を全部出して
今日一日何をやったか思い出すことにしたんですね
「ただいまぁ・・・」って帰ったら
床にカバンをひっくり返して中身を全部出し
中身を確認しながら
もう一度カバンに入れ直すんですね
その作業の中で思い出したトピックスを
日記に書いたわけです
この習慣は
学生時代だけでなく
社会人になってからもずっとやりましてね
「ただいまぁ・・・」って会社から帰ると
カバンの中身を全部出して
集めた資料を整理し直し
準備すべき資料を確認し
明日やるべき仕事をメモしてから
ハンドタオルを入れ替えていたわけです
考えてみますと・・・
このブログも
幼稚園から続く習慣の延長戦上にあるわけですね
・・・長いやね!
多分、どなたにもありますわな
子供の頃から続いている習慣ってね
・・・オモロイやね!
誰でも
漠然とではありますが
自分の理想とするペルソナ像って持っていて
それに近づくように努力しているもんなんですよね
子供達から慕われるような優しい親になりたいとか
ボランティア活動には常に参加して
世間から立派な人だと言われたいとか
会社で懐刀と言われるような存在になりたいとか
いろいろあるわけですね
ところが
学校の教師だとか
病院の医師・看護師だとか
警察官や弁護士、裁判官といった職業には
世間が勝手に創り上げた
理想的なペルソナ像というのがあって
仕事・プライベートに関わらず
適切な言葉を使い・優しい表情・態度で
常に人と接することが求められるんですね
確かに
こういった仕事は
社会の役に立つ、やりがいのある仕事ですから
ペルソナ像通りの
洗練された笑顔や態度をしていますと
周囲の人を幸せな気持ちにしますし
真摯な対応は人を安心させますし
勇気を与えてくれますもんね
みんなの思い描いているペルソナ像通りの
立ち振る舞いをしている姿に感動するわけです
でもね
誰だって
不快なことや失礼なことを言われたら
不愉快さが顔に出てしまうもんじゃないですか
個人的な感情を
外に出すことが許されないというのは
この手の仕事で働く人にとって辛いことですよね
だって
下手に感情を表に出しちゃうと
「○○らしくない」なんて言われて
批判されちゃうわけですからね
大変なお仕事だと思うわけです
自分の本音と
世間の描いたペルソナ像とのギャップに
悶々としながらも働いておられる
白衣の天使のような方とお会いしますと
やはり
感動するわけです・・・
でもね・・・
交通違反で引き止めて嬉しそうに切符を切る
優しい白バイの警察官だったり
住民票の写しをお願いしただけなのに
1時間も待たせておいて
「お待たせして申し訳ありません」の
ひと言もない市役所の窓口だったり
結構な金額の買い物の代金を支払っているのに
「ありがどうございます」のひと言もない
コンビニの店員なんかと会いますとね
やはり
言いたくなるんですよ
「○○らしくしなさいよ!」ってね
・・・ただ
仕事というのは
長く続けていくことに意味がありますからね
せっかく選んだ仕事ですもん
世間の描いたペルソナ像と違うからと
批判を受けてポキっと折れてしまう
なんてことがないようにすべきだというのも
間違っていないと思いますんで
あまり
「プロとしてこうあるべきだ」という
職業上のペルソナに拘り過ぎないことも
大切な処世術なのかもしれないなって思うわけです
ですから
世間の求めている難しいペルソサ像の
立ち振る舞いとはオサラバしましてね
誇るべき日本人としての立ち振る舞いだけに
拘るのはどうかなって思うわけです
優しく、楽しく、真摯に接してくる人には
紳士に対応し
人を騙そうと近付いてくる相手には
近付けないように対処する
融和を求めてくる人には
お互いが長く成長出来るように切磋琢磨し
攻撃的な誹謗中傷を繰り返す相手には
毅然とした態度で臨む
これこそが
理想的な日本人のペルソナ姿!
・・・そう思いません?
もう終わりましたけど・・・
国会中継を観ていて思っていたんです
それは
一部の野党の方の顔が良くないということです
むかし
対応に苦慮したクレーマーの顔を思い出すんですよね
どんな人かと申しますと
とにかくものを良く知っておられて
私達一般人じゃ太刀打ちできないような
屁理屈を並べて攻めて来られるんです
その上
大企業の元重役だったり
病院の元院長だったり
元大学教授だったりと
社会的地位の高かい経歴をお持ちの方でして
暴力など加害行為はされないんですが
現役を引退されていますから
時間もあり余っているときていて
終わりなき戦いになるわけです
話の内容はというと
世の中のために役立とうとか
若い人たちのために役立とうといった
崇高な正義感をもっておられるますので
どうしても説教臭くなって面白くないんですね
「あんたの会社のためを思って・・・」
「社会を少しでも良くするためには・・・」
「こんなことをしていたらダメなんだよ
わたしの話をよく聴きなさい」
こんな口調で
理路整然とした話が延々と続くわけです
一見、まともに聞こえるんですが・・・
しかし
よくよく聞いてみると
正論なんだけど、具体的にどうしろとは
決して言わないんですね
頭の良い方というのは良くやりますよね
自分が正しいことを証明するために
正論だけを主張し
反対意見の出る可能性のある各論には
決して触れようとはされないんですね
そして
一番面倒臭いのが
とにかく偉い人と話したがることなんです
偉い人に
「申し訳ありませんでした」
のひと言を言わせて相手を完璧なまでにやっつけ
自尊心を満足させようとされているんでしょう
いまでも
クレーマー野郎と
呼び捨てしたくなるような嫌な顔が
何人か思い浮かぶんですよね・・・
いやね
あの憎たらしい顔と
同じような顔をしているなと思ったんです
野党の皆さんの顔ってね
政治家さんの仕事って
人前で喋る商売じゃないですか
だったら
もう少し自分の顔に
責任を持っていただきたいと思うわけです
だって
あのクレーマーを連想させるような顔つきですよ
観せつけられるこっちとしては
不愉快千万ですわなぁ・・・
・・・そう思いません?
人って嫉妬深いですからね
誰かがうまくいっていれば
表では仲良くしていて
裏でコソコソと悪口を言っている奴というのが
必ず現れるんですよね
そして
そんな奴は
すぐに仲間を増やそうとするんですよね
「あいつってさぁ・・・
人当たりは良いんだけど
飲み会なんかじゃ、人の悪口を言いまくってるよな」
ってな具合に言い寄ってくるわけです
ここで
賛同の匂いを少しでも出して
「そうそう、わたしも聞いたことがある」
なんてやっちゃうと
取り返しの付かない状況へと
追い込まれてしまうわけです
「そうか、君もあいつには頭にきているんだ」ってね
・・・面倒臭い付き合いが始まるわけですね
いやね
多くの苦い経験から
心に固く決めていることがあるんです
正直に言うだけで
周囲に悪影響を与えたり
変な仲間に引き込まれたり
悪意の告げ口をされたりしないためには
誰かを批判するような発言には
次のルールを守るって決めているんです
それは・・・
言わないで済むのなら
言わないで控える
何か言わないとその場が収まらないのなら
「知らない」と言って発言を控える
「知らない」では済まされない状況なら
「後日改めて確認してから回答します」と
官僚のような発言をしてその場から離脱する
・・・これなんですね
特に
知ったかぶりは
自分のキャリアを台無しにすることだって
ありますからね、注意が必要だと思うんです
・・・そう思いません?
営業のいろはを習い
それなりに人前で話せるようになった頃
正直すぎる発言が
どんなに自分を苦しめるのか
思い知らされたことがあるんです
当時、勤めていた会社は
業界の中でも大手だったもんで
お客様は、新人の営業マンにも関わらず
頻繁にお伺いしても門前払いをすることもなく
対応していただいていたんですね
そして
ある日のことです
いつものようにお伺いしましたら
たまたま、その日は社長がおられて
ご挨拶することになったんですね
そりゃ
新人の頃の話ですから
お会いできるだけで舞い上がっちゃいましてね
いろんな話を自慢げにやったわけです
話が盛り上がってきたところで
コーヒーが運ばれてきましてね
ちょっとした間が生まれたんです・・・
この微妙なタイミングで
社長がひと言おっしゃったんです
「会社の業績は順調ですか?」ってね
こちらとしては
話が中断され、沈黙が生まれたこともあって
再度、空気を温めようという思いから
「今期は過去最高の利益を上げられそうです」と
バカ正直に回答しちゃったんです・・・
当時、働いている会社は
上場していませんでしたので
数字について説明する材料はなかったですのに
・・・ポロっと口を滑らせたわけです
そうしましたら、流石ですね
「儲かっているなら少し安くしてよね」って
突っ込まれてしまったんです
・・・やっちまったって思っても
取り返しが付きませんでね
後日
改めて値引きについて
上司と打ち合わせに上がることになったわけです
上司からはひどく怒られましてね
「不用意な発言でした、申し訳ありません」と
何度も頭を下げて謝ることになったわけです
いやね
この失言のお陰で
ビジネスは、正直であるべきだけれども
ビジネスでは、正直すぎる発言は厳禁だ
ということを学んだわけです
・・・忘れられないエピソードのひとつです
じゃぁ
改めて、いまのわたしが、あの場面で
「オタクの会社儲かってる?」って聞かれたら
なんて応えるでしょう?
多分・・・
「ボチボチですわ」でしょうかね
煙に巻くっていうやつです
でもね
若い奴が、こんな発言をしたら
生意気だと思われちゃうでしょうから
・・・同じ失敗をしちゃうでしょうね、ハハハ
組織で働く男性というのは
女性に何かをお願いするのって
本当に苦手ですから・・・
女性にお願いするときの
魔法のような殺し文句なんてものはないかって
聞いてくるんですよね
でもね
女性と一緒に働くと分かると思うんですけど
女性というのは
一緒に働いている男性の
日頃の言動を細かくチェックしていましてね
誠実な仕事をしていて
信頼できる相手かどうかは
もうすでに評価済みなんですね
ですから
男性から何かをお願いされたとき
本気でそのお願いに応えるかどうかは
お願いされたとき決めているんじゃなくって
男性が近寄ってきた時点で
もうすでに決まっているんですね
・・・怖い話です!
ですから
お願いするときのテクニックなんてものは
無いと考えた方がいいんですね
だったら
どうすりゃいんの?
・・・いつものように考えてみました
日頃の仕事の中で
女性から評価を得るためには
どうすべきなのか・・・
何かありそうですよね
そこで
ポイントを3つに絞ってみました
まず
ひとつ目のポイントは
日頃から
女性がどんな仕事をしているのかに関心を持ち
さらに仕事の大変さや、その問題点なんかに
興味を示すことだと思うんです
その上で
ふたつ目のポイントは
大変な仕事を
どうやってこなしているかを聞き
発生した問題点を
どのように対処しているかを聞いて
毎日の仕事がどんなに大変なのかについて
理解を示すことだと思うんです
そして
三つ目のポイントは
女性の仕事の全容を理解した上で
素直に「いつもありがとうございます」と
感謝することだと思うんですね
もちろん
業務改善の提案なんかを提示されましたら
一緒に考えるなんてことも必要かもしれませんが
もう、そこまで行けるのなら信頼されているわけで
女性の方から
信頼に値する男性だと思ってもらうためには
女性の仕事に関心を持ち、理解を示し、感謝する
この3つのポイントが大切だと思うんです
もし
このポイントがちゃんと抑えられていたら
何の心配もなく
女性に仕事をお願い出来ると思うんですね
・・・いかがざんしょ?
おっと
このことは・・・
女性に限らず
一緒に働いているチーム全員についても
言えることなのかもしれません
・・・そうかもしれませんね?
何県の話でしたでしょうか
消防団員が制服を着たまま
消防車でうどん店に立ち寄ったのはけしからんと
市民から苦情が出て謝っていましたよね
同じように
警察官が制服のままコンビニで昼食を買うのは
けしからんと苦情が出ていましたよ
警察官が制服のまま出入りしているコンビニの方が
防犯上は効果があると思うんですが
市民と呼ばれる人は怒っていましたね
そうそう
ユナイテッド航空の乗客引き摺り出し事件や
アメリカン航空の乗務員がベビーカーを持ち込んだ
母親に対してブチ切れた事件というのも
世界中で話題になっていましたね
なんでも
アメリカの航空会社というのは運輸業でしかなく
日本のような「おもてなし」なんてものが
入る余地はないそうですから
今回の事件は起こるべくして
起こったのかもしれませんね
だって人は荷物なんですからね・・・
何れにしても
なんで、こんなに人は怒り狂うんでしょう?
世知辛い世の中になっちまいましたよね
しかし
考えてみますと
米国のドナルド・トランプ大統領
フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領
トルコのレジェップ・エルドアン大統領
といった「キレキャラ」リーダーが増えており
国のトップが民衆の「怒り」を刺激することで
国政を動かしているわけですから
我々一般人も怒りというものに
違和感がないのかもしれませんね
もともと
怒りというのは
氷山が海面に浮いている時の上の部分であり
海面下に潜む、心配、不安、恐怖、痛み、疲れ
といったメガティブな感情が爆発したとき
怒りも爆発するんでしょうけど
その怒りが
頻繁に爆発するようになったということは
衣食が足りた生活の中で
一般庶民の求める期待値が上がってしまい
他人と比べて
ちょっとでも足りないことがあると
そこにストレスを感じてしまうという
現代の生活が関係しているのかもしれませんね
テレビや新聞、ネットのニュースは
格差が拡大しただの
地球環境の悪化が進んでいるだの
いつ戦争になってもオカシクないだのと
将来への不安を募らせる怒りの増幅装置に
なっていますから、気を許すとストレスは
あっという間に限界値に到達してしまうわけです
・・・怖い話ですね
だからこそ
1年のうち何度かは実家にでも帰って
外からの情報をシャットアウトして
ボーとする時間を設けたらどうでしょう?
・・・そう思いません?
ここで怒りの声が聞こえてくるんですね
「実家が都会だったどうすりゃいんだ」ってね
田舎のない人の怒りが爆発するわけです
・・・そうなんです
何を言っても怒る人は怒ってしまう
ということですわな
・・・ごめんなさいまし!
靴をたくさん持っている方って
おられますよね
ファッションは靴からっていうそうですから
靴をたくさん持っている方というのは
お洒落なんでしょうね
私なんざ
バカの大足ですから
靴を選ぶときはお店の方に言うんですよ
「私の足が入る靴を下さい」ってね
お洒落とは程遠い生活をしているわけです
ちなみに
足の話なんですけど
こんなことをいうそうですよ
バカの大足
間抜けの小足
丁度いいのはアンポンタンってね
まぁ、それは良しとして
いやね
お店のずらっと並んだ靴を見ながら思ったんです
靴をどんなにたくさん持っていても
それを履く体はひとつしかないわけだし
靴は履いてこそ持っている価値があるわけで
一足一足の靴をフルに活用しようと思ったら
必要にして十分な履き回しが出来る程度の数に
することが大事だよなってね
多分
この考え方って
情報についても同じことが言えると思うんです
情報というのはインプットするだけではダメで
活用してはじめて意味があるわけですから
チャンスがあったら持っている情報を
アウトプットしたいと思うものですよね
でもね
情報も靴と一緒で
活用したければ適度な量まで減らして
アウトプットしないとダメなんですよね
例えば
自動車というものを説明するとき
世界大百科事典では
車両自体にエネルギー源と原動機を備え
レールによらずに主として路上を自由に
運転走行できる車両をいい・・・と
長い長い説明が続くんですが
これを覚えていて説明されちゃうと
聞く側はヘキヘキしますよね
適度な情報量で説明しますと
自動車というのは
「走る」ための適度なエンジンと
その動力を「曲がる」ために制御するハンドルと
「止まる」ためのブレーキで構成されています
・・・こんな風に説明されると
なんとなく分かったつもりになりません?
そうなんです
靴も情報も適度が大切だということですよね
・・・そう思いません?
いま私は
風邪を引いてまして熱が38度あるんです
体温が上がりますとね気温が30度近くても
暑く感じないから面白いですね
みなさん
体調管理にはくれぐれもお気を付けて下さいまし
実家に帰ると
あまり使わないもので溢れていたり
不要なものが部屋のスペースを
占領していたりしていません?
みんな言うんですよ
「片付けるのが苦手なんだよね」ってね
確かに
片付けって手間暇取られますし
いくらやっても終わりがありませんからね
後回しにしたい気持ちも分かるんですが
でも
部屋を片付けたいのも
正直な気持ちだと思うんです
そこで
考えてみました
ものを捨てる整理整頓ではなく
ものを生かす整理整頓ってないのかってね
・・・ありました!
それは
来客用だからとか
勿体ないからといった理由で
物置の奥に仕舞い込んでいるものを
引っ張り出して使うか
人にあげちゃうということなんですね
ありません?
高級なワイングラスが綺麗な箱に横たわっていたり
高級タオルがデコデコに飾り立てた箱に入っていたり
珈琲や缶詰が後生大事に取ってあったりして
静かに眠っているって・・・
「なぜ、使わないの?」って聞くと
「来客用だから普段用には使えないんだ」とか
「高級品だかた割れたら勿体ないんだ」とか
「結婚式の引き出物なんで取っておかなきゃ」とかね
変な思い込みが
使わないものを増やしているんですね
ですから
これを止めちゃおうっていうわけです
控えの選手を現役の選手に混ぜて使うと
整理整頓が進むと思うわけです
そう
飾り立てた箱から
ものを出すだけでもスペースが生まれますからね
その上で
使えないものは捨てちまえばいいんですよ
・・・いかがざんしょ?
素敵だなって思う人って
愛嬌を表現する術を知っていて
さりげなく振りまきません?
例えば
コーヒーを入れてくれたとき
「ちょっと一息、エネルギー補給!」って
出してくれたり
咳き込んでいると
「ハイ、アメちゃん!」って
渡してくれたり
スーツに猫の毛が付いていると
「猫ちゃんとはしばしお別れ!」って
そっと毛を取ってくれたりと
細かいところに気が回り
相手のプライドを傷付けないように
対処しちゃうんですよね
こんなことをされたら
男女を問わず
この人は温かい人に違いない
人間的に優れた人だと思いますわな
愛嬌は
コミュニケーションの潤滑剤ということでしょうか
・・・そう思いません?
ただね
最近、あまり見ないんですよね
素敵な愛嬌を振りまいている人ってね
みんな忙しいからですかね
・・・ちょっと残念
世の中には
いろんな人がいるわけで
だから面白いと思っているんですが
でもね
話をしていて
どうしても許せないと思うことってあるんですよね
それは
変な相づちを打つ人なんです
まず
一番カチンと来るのは
やたらと連呼する相づちなんですね
「はい、はい、はい」とか
「ほう、ほう、ほう」とか
「フン、フン、フン」とかね
もう耳障りったらありゃしませんわな
それから
同じ連呼と言えば、連呼なんですが
「確かに」とか「なるほど」といった相づちを
癖なんでしょうか、延々と言い続ける人なんですね
言われた方は
上から目線で人の話を聞きやがってと
段々腹が立ってくるわけです
他には
女子高生のインタビューなんかで
よく聞くことがありますけど
「エーッ!」
「ウッソー!」
「ヤダァー!」
「マジで!?」なんいうやつです
大げさな相づちは
こっちがバカにされている気分になりますよね
もうひとつ
イラっとするのが
人が話しているのに
話しにかぶせるように
相づちを打たれることでしょうか
そんなことをされると
全部話していないのに相づちを打つなんて
私の話をちゃんと聞いていない証拠だって
思いますからね
話を続けるのが嫌になっちゃうわけです
何れにしても
変な相づちは信頼関係を傷つけますから
気を付けたいところなんですが
でもね
怖いのは・・・
相づちって
無意識のうちにやるもんですから
もしかしたら
嫌な思いをさせられていると思っている自分が
知らないうちに誰かにやっているかもしれない
ということなんですね
・・・ちょっと怖いですよね!
サスペンスドラマ好きなもんで
昼間に再放送されているドラマを
録画して観ているんですけど・・・
「アッ!これ観たことある奴だ」って
思うことが多くて
改めて
最近はサスペンスドラマって
新作が少なくなったんだと思うわけです
でも
そこはサスペンス好きですから
再放送を観ながら
登場人物が若くて嬉しくなっちゃいますし
やたらと説明の多いセリフに時代を感じますし
カメラの固定された画面が多くて
撮影技術の違いに驚かされたりするわけです
ただ
どうしても気になってしまうのは
画質でしょうか
最近のテレビで見慣れている画質とは
雲泥の差ですからね
まぁ・・・
サスペンスというのは
こんなことを考えながら
ボンヤリと観ているだけで
結構楽しめちゃったりするわけですけど
実はですね
私がサスペンスドラマが好きなのは
若い頃、ビジネスのいろはを
サスペンスドラマから学んだからなんですね
よく観ますと
どのサスペンスドラマも
筋立てってほぼ同じじゃないですか
事件が起こって
事件を扱う刑事さんが登場し
いくつかの証拠をつなぎあわせて
事件の筋書きを描いて
さらに、事件の背景を想像し
事件の目的を探り出して
最終的に事件の解決へと向かうわけですよね
このプロセスを
ビジネスで企画なんかを考えるときに
当てはめてみると、実にしっくりくることに
気が付いたわけです
事件の一つひとつの証拠を点だと考えますと
事件の筋書きは点と点とを結ぶ線なんですね
そして
事件の背景が見えてくるのは
何本もの線が交わって平面が描かれたことを意味し
次に
事件の目的を探り出して解決へと向かうのは
描いた平面に、さらに時間軸を加えて
立体的に捉えていることを意味するんですね
ビジネスにおいて・・・
もの事を捉えるには
点で見る方法
線で見る方法
平面で見る方法
立体で見る方法の
4つがあると言われますが
ピッタリとマッチするわけです
ですから
サスペンスを観ながら
ビジネスの勉強をしていたというわけです
サスペンスドラマを見ている私の姿は
傍から見ると単にサボっているようにしか
見えなかったかもしれませんが
結構、良い勉強になっていたと思うんですよね
一般的にはどうなんでしょう?
・・・どう思われます?
最近、キャリアという言葉と
出会う機会が増えてきましたが
よく考えてみますと
何となく使っているんですよね
キャリアという言葉から感じるイメージは
自分の才能をフルに使ってバリバリと働き
立派な実績を残すことで、企業を渡り歩き
転職する度に年棒がグググっと増えてゆく
そんなイメージでしょうか
でもね
なんか違うんですよね・・・
確かにいましたよ
外資の企業を渡り歩いて
転職する度に年収を上げていた輩ってね
でも
そんな方ってね
耳障りの良いことはおっしゃるんですが
いざ具体的に行動を起こす段になると
他人任せになると言いますか・・・
責任を取るべき立場から
いつの間にか逃げるように
また新しい企業に転職しちゃっているんですよね
彼らのことを
チャラチャラしているだけの
チャラ男って呼んでいましたけど・・・
どう考えても
このキャリアというイメージは
間違っていると思うんですよね
やはり
我々が考えるべきキャリアとは
これから間違いなく身近になってゆく
人工知能やロボットに取って代わられないスキルを
磨くために経験を積むことだと思うんですよね
これまで
産業構造の変化というのは
新しい技術によってもたらされてきたと思うんですね
最近では
ICTやスマホがそうだったと思うんです
労働環境がガラッと変わってしまいましたもんね
同じように
これから仕事現場に入ってくる人工知能やロボットは
間違いなく労働環境を大きく変えるでしょうから
10年後20年後を見据えて
我々がやるべき仕事とは何かを意識しながら
日々の仕事をしなきゃいけないと思うわけです
これこそがキャリアと思うわけです
では
何を意識すれば良いのか・・・
10年や20年程度では
人工知能が追い付けない部分はというと
やはり
情緒的な部分になると思うんですよね
クリエイティブな仕事がそうでしょうし
新規事業の企画立案なんてそうかもしれません
エンターテイメントもその分野かもしれませんね
いま目の前に
偉そうに踏ん反り返っている
先輩社員たちが苦手な分野ばかりですなんですよね
そうっと
人工知能やロボットたちが
産業革命を始めているって思うと
なんかワクワクしてきません?
・・・そう思いません?
会社勤めをしていれば
希望の部署に配属されなかったからと
不貞腐れてしまうことってあるでしょうし
華のある現場や経営企画の部署に移動したいと
移動願いを出しているんだけど梨の礫で
イライラしているなんてこともあるかもしれません
そう言えば
ほんの10年くらい前までは
社員のキャリアは会社が決めるものでしたから
全国規模で転勤・配属の変更を経験させて
キャリアを積み、ゼネラリストとして育て上げ
最終的には、将来の幹部候補に向かって
社員同士で競争させるというスキームが
あったんですね
ですから
少々不満があっても
石の上にも三年なんて言われて
グッと我慢することが多かったと思うんです
ところが
最近は、立派な大企業でも
リストラが常態化してしまいましたし
不採算部門はいつ閉鎖されたり
M&Aの対象になるか分かりませんから
会社の指示に素直に従っていたとしても
定年まで働けるとは限らないというのが
正直なところですよね
そうしますと
企業側も
就業規則に基づいて
解雇については厳しく判断する代わりに
配置転換や転勤などについては
社員の意見を聞いて認める傾向があるようです
そうなると
自分のキャリアは自分で描くという発想が
どうしても必要となるわけです
とうことは
1つの会社で定年まで働き続けるということが
素晴らしいと言われていた過去の価値観は
現在は
全く通用しなくなったということでもあるわけですね
だからと言って
会社が嫌になったらすぐに辞めても良い
ということではなく
「会社にしがみ付いているような働き方」はヤメて
「いつ会社を辞めても構わないという働き方」を
しなさいということだと思うんですね
そりゃ〜
いろんなハラスメントや
強制される長時間労働
苛めなんかを受けたときは
さっさと辞めるべきだと思うんですが
○○株式会社の○○部○○課という肩書を
後生大事にするんじゃなく
肩書きを外した裸の自分を大切にしなさい
ということなんでしょうね
そんなことを考えて
最初にお話した不満を抱えた話に戻りますと
不満に思っている方の職場って
大概、間接部門のことが多いんですね
総務や人事、法務なんてセクションですと
地味ですから隣の芝生が青く見えるわけです
でもね
思うんです
総務や人事・法務というセクションは
どこの会社に行っても通用する
汎用性の高いスキルを身に付けるには
ぴったりの職場だということなんですね
つまりですね
転職を考えるとき
非常に有利になるということなんですわな
これこそ
発想の転換じゃありません?
・・・いかがざんしょ?
そうそう思い出しました
何年も経ってから
「あの時の研修は本当にいい勉強になりました」って
言われた新人研修のメニューがあるんです
それは
自分が欲しいと思っている家電製品について
実際に電気量販店に行って
自分で見て聞いて調べたことを
みんなの前で発表するというものなんです
マーケティングの研修なんかでは
良くやられている内容かもしれませんが
実は
この研修の面白いところは
発表の回数を3回としていたことなんですね
そうなんです
完璧な発表をすることが目標ではないんですね
まず・・・
第1回目の発表では
何もアドバイスをしないで送り出しまして
自分なりに考えてもらったものを
発表してもらうんです
そうしますと、面白いですね
ほぼ間違いなく通販ショップを見ているような
内容になるんです
物事を複眼的に捉える訓練が
全くなされていないわけですから
仕方ないわけですがね
発表が終わった時点で
「もう一度、同じお店に行って
もっと詳しく調査してみて下さい」と
鬼のような指示を出すんです
そうしますと
みんなビックリして
どうしたらいいんだって顔をするんです
この危機意識の中で
マーケティングのいろはについて話すと
みんな必死で聴いてくれるんですよね
ひと通り知識を押し込んでから送り出しますと
第2回目の発表は驚くほど違ったものになります
発表している当人たちが
そのことを一番感じるんですね
そして
勉強することの大切さを改めて知るわけです
第3回目の発表では
1回目と2回目の発表の内容に違いについて
自分の思考プロセスを中心に発表してもらうんです
この発表を通して
何となく社会人になった気分でいた自分と
決別してもらうわけですね
・・・面白いでしょう!
多分
この研修は、いまでも使えると思うんですが
・・・いかがざんしょ?
ベテランの方でも
新人の教育というのは悩みのタネのようで
「新人教育はやらなくても良いんじゃないか」
なんて
戯言をおっしゃたりするわけです
確かに
新社会人としての常識であるビジネススキルや
配属された職場の仕事をこなすための
テクニカルスキルというのはOJTで
十分対応出来ると思うんですが・・・
与えられた仕事に慣れてきたからこそ
やって欲しいのに、とでも言いますか
業務の改善や
新規事業のアイディアなんてものを
出して欲しいと言っても
口ではいろいろ格好いいことを言うんですけど
魂の入った提案というのが出てこないんですね
それは
新人のとき
肝心な訓練をしていないからだと思うんです
では
その訓練とは何か?
「自分の言葉で考える癖」だと思っています
世の中には
ビジネスに関する
雑誌や書籍、ネットの動画なんてものが氾濫していて
チョット気の利いた企画なんてものは
真似をするテクニックさえ持っていれば
ある程度のものは出来ちゃうんですね
だからですかね
自分が制作した企画であったとしても
そこにあるのは他人事だという意識なんです
そもそも
企画を制作するにあたっては
企画を出すことそのものに意味があって
その企画が成功しようがしまいが関係ないって
本気で思っているんですよね
だって
偉い先生が書籍かなんかで
これはイイって言っていたから
間違いないと思って企画にしたわけで
もし
上手く行かなかったら
それは、偉い先生が悪いんだって思うわけです
・・・これが情報化社会の現実なんでしょうね
だからこそ
新人のとき自分の言葉で考える癖を
植え付けておく必要があると思うわけです
さてさて
・・・じゃ〜何をすればイイでしょう?
いつものように
昔を思い出しながら考えてみました
ひとつ面白いのは
毎日の研修で学んだことや
覚えた仕事について報告する日報を
交換日記のようにするというアイディアがあります
その内容としては
今日やったことは何で
何は出来たけれど、何は上手く出来なかった
そのことを通じて、自分としては何を思ったか
今後の課題としてどうすべきだと思ったか
なんてことを書いてもらうわけです
その内容について
新人の指導員とその上司がコメントを入れるんです
コメントを書くのは指導員だけじゃない
というところがポイントなんですね
これは
なかなかイイ感じの緊張感があって
新人にとってイイ思い出になるみたいですよ
いやね
この交換日記の研修には
もうひとつ目に見えない効果があるんです
それは
指導員とその上司の書き込むコメントを通して
彼らのスキルを推し量ることが出来るということです
・・・怖い話ですねぇ、お試し下さいまし
誰もが悩んでいると思うんです
友人や知人と
上手く付き合ってゆくには
何に注意すればいいのかってね
そこで
土砂降りの雨の中
いつものように考えてみました・・・
ひとつ思い付いたのは
自分の中に
超えてはならないボーダーラインを引いて
それを意識すればいいんじゃないかってね
いやね
人と、はじめて話をするときって
自分のことを相手に話しますよね
自分の会社や仕事について話しますでしょうし
拘っている趣味があればそれも話しますかね
相手によっては家族構成なんかも
話すかもしれません
何れにしても
大体の場合
自分から積極的に「自己開示」をすることで
相手の方も安心して「自己開示」してくれますよね
コミュニケーションの第一歩は
「自己開示」であることに間違いはないと思うんです
会うたびに
仕事も趣味も状況が変化するでしょうから
話は尽きないはずなんですが・・・
ところが
長く付き合っているうちに
ついつい相手より自分の方が上だということを
見せ付けたくなってしまうんですね
そうしますと
「自己開示」の段階では
良いことも悪いことも織り交ぜて話していたのに
相手より上であると
虚勢を張りたくなった途端
自己アピールや自慢ばかりするようになるんですね
例えば・・・
出身は山口です
市内には大学が3つもあるのに街は元気がなく
商店街はシャッター通りへと変わりつつあるんですよ
なんてね
聞いた人が「なるほど」と思うような自己開示を
それまではしていたのに
自信が無くなり始めると・・・変わるんですね
出身は長州なんですが
長州と言えば歴代の首相を9人も送り出していて
私も血がそうさせるんでしょうか
猪突猛進のところがありまして
これまでいろんなプロジェクトのリーダを
任されて来たんですよ
なんてね
凄いですねとか、流石ですねという
反応を求めるようなことを
やたらと話すようになるんですね
この自己アピールや自慢のことを
「自己呈示」と言いましてね
これをやれると
「はいはい分かりました
あんたは偉い、あんたには叶いませんよ」
ってな感じで
気持ちがドンドン離れていってしまうんですよね
そうなんです
人と付き合うとき
自分の心の中に引くべきボーダーラインとは
自己開示と自己呈示のラインなんですね
「ここを超えたら嫌味だぞ」
っていうことなんですね
・・・そう思いません?
でもね
このライン
時々、動いちゃうからややこしいんです
知らないうちに超えちゃっていることが
あるから怖いんですよね・・・
誰でも
怒りが爆発したことってありますよね
「人の話をチャンと聞けよ!」とか
「何年この仕事やってんだよ!」とか
「そんなに嫌なら、やめちまえ!」とかね
確かに
このひと言で
少しは怒りが治まるかもしれませんが
こんなこと言わなくても
日頃からチャンとやっている奴は
失敗したとき
怒られなくてもチャンと反省していますし
二度と同じ失敗はすまいと覚悟しているんですよね
だから
怒るだけ無駄なんですわな
それに
怒ると疲れるし
何となく後味が悪いですもんね
でも
我慢できないときがある・・・のも確か!
そこで
考えてみました
怒らずに済むように
仕事をするにはどうすれば良いのか?
まず
日頃から心掛けること・・・
それは
メンバーに対して
常にポジティブな言葉で声を掛けることなんですね
「キミのおはようは、元気が出るよな」とか
「先日の報告書、良く書けていたね」とか
「新人の面倒を見てくれてありがとう」とかね
小さなことで良いんでね
チャンと気付くことが大切で
軽く触れて、軽く褒める
これを日常にしておくんですね
そうしますと
何か失敗しても
「あちゃーやっちまったかぁ・・・
さて、どう対処したら良いかなぁ」
なんて感じで
怒りで立ち止まることなく
次のアクションについて
前向きに考えられるようになると思うんですよね
・・・いかがでしょう?
実は
こんな風にポジティブに接するって
最も効果があるのは家族なんですよね
特に子供とです
子供を見ていると
自分の昔の悪いところを見せられますからね
そうりゃ〜もうイライラしますもんね
だからこそ
日頃から
ポジティブな頭にしていないと
年から年中怒鳴りっぱなし
ということになるわけです
・・・そう思いません?
あることで
結果が思わしくなかったとき
「予想した通りでしたね」って言われたら
カチンと来ません?
それが
ある程度、予想されたことだったとしても
やはり、そんな言い方をされると
むかっ腹が立つものです
言う相手が
自分を怒らせようとしているのであれば
それはそれで致し方ないのかもしれませんが
同僚や部下が
軽い気持ちで放った言葉ですとね
「じゃかましいわ、良い子ぶりやがって!
俺がやんなかったら、お前がやったか?
駄目元で誰かがやんなきゃいけなかっただろが」
・・・なんてね
心の中では
怒り心頭に発するわけです
では
こんなとき
なんて言うのが良いんでしょう?
例えば
「ある程度、予想されていたんでしょうけど
どうも思わしくないですね
さて、この結果をどのように拾われます?」
・・・なんてどうでしょうね
言われた相手は
モヤモヤしていた気持ちが吹っ切れて
ちょっと前向きになれるかもしれませんね
いやね
思うんです
発する言葉というのは
表現が違えば相手に与える印象が
全く別のものになると思うんですね
例として取り上げた
「予想した通りでしたね」と
「ある程度、予想されていたんだでしょうけど」に
続く言葉とでは、印象が全く違いますよね
この違いって
どこから来るんでしょう?
思いますに・・・
やはり
経験の差ということになるんではないでしょうか?
思うような結果が得られないとき
どんな言葉が人の気持ちを傷付け
どんな言葉が人を勇気付けるのか
自分が何度も痛い目に合ったことがあり
そこから這い上がったことがあるからこそ
浮かんで来る言葉なのかもしれませんね
いやね
経験から湧き出る言葉というのは
表現の豊かさや語彙力だけでは叶わない
心に突き刺さるような深みを持つんですね
・・・そう思いません?
だから
上手く行かなかったり
失敗したときはクヨクヨなんかせずに
しめしめ
これで、またひとつ
大きく成長出来るぞって
喜ばなきゃいけないんですわな
・・・いかがざんしょ!
誰でも
自分の体調は気になるものです
朝、寝起きが良いとか
昼、お腹が空くとか
夜、飲むお酒が美味しいとかで
なんとなく
体調の良し悪しを推し量るわけですが
心の調子については
どなたも、あまり気にしていませんよね
仕事に没頭しているあまり
周囲の人へ強く当たってしまっていても
家族のことで心配事があって
仕事の手が止まり気味になっていても
自分では気が付かないんですね
誰かに言われたり
友人に指摘されたり
家族に文句を言われたりして
やっとこさ
マズイって気が付くわけです
ところが
気が付いたときには
とき既に遅く、信頼関係が崩壊していた
なんてこともあるわけで・・・
やはり
自分なりに
心の危険信号をキャッチする術を
持っておきたいものです
そこで
考えてみました
心の危険信号を知るにはどうすればいい?
それを知るには・・・
毎日、顔を突き合わせて
一緒に仕事をしている同僚や上司
時々、会っては
楽しく食事をしたり馬鹿話をしている友人
いつも頭の上がらない恋人や配偶者
そんな人たちの
それまでは気にもしていなかった「癖」
笑うとき、他人の肩を叩く「癖」
話すとき、人を見下したような口調になる「癖」
食事のとき、箸を爪楊枝のように使う「癖」
・・・などなどが、急に鼻につき始めて
相手の顔を見るだけでもイライラするとか
もう気になって仕方なく生理的に無理だとか
嫌悪感に拍車が掛かって
耐えられなくなってしまう
こういう状態が
心の危険信号が赤信号になったときだと思うんです
だってね
メンタルが健康で
仕事以外の時間や人間関係が充実していたら
他人の「癖」なんか気になりませんもんね
ところが
逆ですとね
不思議と他人の欠点が目に付くわけです
どうでしょう?
心当たりございません?
他人の「癖」が気になり出したら
それは、危険な状態にあるという証拠です
・・・お気をつけ下さいまし!
どなたにもあると思うんです
ここは本音を言っては角が立つから
ひと言言いたい気持ちをグッと抑えて
みんなの言う通りにしておこう
なんてね
その場は我慢したんだけど
後になってから
予想していた通りに問題が起こってしまって
「なぜ、あのとき言ってくれなかったんだよ
あのとき、ひと言言ってくれたら
やらずに止めていたかもしれないのに・・・」
なんて言われて
めちゃめちゃ怒られてしまったこと
ありますでしょう?
こんなときは・・・
「ふざけんなよ、言ったら言ったで
ボロクソに文句を言うくせに・・・」
なんてね
どっちに転んでも面白くない結果だったことを
思い知らされるわけです
いやね
こんなことがあると面白くないし
さらに続いたりすると我慢の限界を超えますよね
そこで
考えてみたんです
自分の意見を言っておいた方が
後々のことを考えると良いぞって思ったとき
どうやって頭の中を整理してゆくのが良いのか
そのプロセスについて考えてみたんです
まず
大切なことは
現状を客観的に、具体的に
状況を整理し描写することですよね
「顧客の意見をもっと取り入れるにはどうするか
という打ち合わせを始めて1時間が経ったけど
これまでの意見を列挙すると・・・かな」
・・・こんな感じですよね
次に
自分の主観的な意見をまとめてみるんです
コンセプトという奴ですね
「このテーマは、チームの将来を左右するものだから
理想論をぶち上げるんじゃなく
具体的に動けて結果が出せるものにしたいな」
・・・これが大切ですよね
そして
いまの状況で
実現の可能性の一番高いと思われる提案を
ひとつピックアップし自分の言葉で語ってみます
「ここは、思い切って
AIの導入を図ってみてはどうでしょう・・・」
・・・なんかワクワクしますよね
その上で
その意見に近しい提案を数件ピックアップし
選択肢として加え検討できるようにするわけです
「AIの導入、データサイエンティストの採用
データセンターへの業務委託の3つが
候補として考えられるかな」
以上、4つのプロセス
客観的に状況を整理する
主観的な自分の意見を言葉にする
具体的に絞り込んだ意見を言葉にする
他の意見から選択肢となるものを抽出する
この思考のプロセスを
頭の中でしっかりとやって言葉に出来たら
みんなの前で発表してみるのも良いかもしれませんね
・・・いかがざんしょ?
組織で働いていていますと
愚痴や悪口の常習者というのが必ずいましてね
周囲に毒を巻き散らかしているもんです
もちろん
「そんなこと言うなよ」って注意すれば
止める方もおられるかもしれませんが
大体の場合
注意なんかしますとね
その瞬間から悪口の対象者になっちまいますんでね
後々、面倒なことになるわけです
やはり
愚痴や悪口の常習者とは
どのように接するのがいいのか
ちょっと考えておいた方が良いと思うんですよね
・・・で
考えてみました
まず
心得ておくべきは
愚痴や悪口の常習者というのは
砂糖に群がるアリのようなものですから
すぐに群がりますし
すぐに派閥を作ろうとするんですね
ですから
やたらと飲みに行きたがるんです
仕事の愚痴や人の悪口を摘みにして飲む酒は
美味いですからね・・・
心得るべきは
この派閥に入らないことですね
飲みに行こうって言われれても
適当に断った方が良いと思うんです
そうそう
考えてみますと
人の愚痴や悪口を聞くという行為は
酔った人の介抱をするのと同じかもしれませんね
友人が飲みすぎて酔ってしまったときは
そっと介抱するじゃないですか
それと同じように
友人が仕事で行き詰まったとき
愚痴を漏らすのを側で聞いてあげますよね
それって
酔っ払いを介抱するのと一緒だと思いません?
でも
会うたびに感情に任せて泥酔し
介抱させられるのは、ご勘弁願いたいですから
同じように
悪口や愚痴ばかり言っている友人とは
ちょっと距離を置きたくなりますわな
やはり
愚痴や悪口というのは
お酒と似たところがあるのかもしれません
そして
もうひとつ心得ておくべきことは
愚痴や悪口を聞く羽目に陥ったとき
「ほんとうに嫌だね」とか
「あいつ頭にくるね」とか
その場を繕うような
同情や同調の言葉は
絶対にやっちゃダメということなんですね
それをやっちゃ
同じ仲間だということになりますからね
やはり
愚痴や悪口を聞かされているときは
完全に感情を殺して
冷たく「ふ〜ん」「へ〜」「そうなん」と
受け流すことが大切だと思うんです
・・・で
もし
友人と思っている相手が
いくら飲みに誘っても来ない
いくら話をしても冷たい返事しか返って来ない
なんてことでしたら
もしかしたら
あなた自身が愚痴や悪口の常習者と
見なされているのかもしれません
・・・怖い話ですねぇ
新しい友達をつくるって
難しいことです?
先日
犬の散歩で良く会う
近所の娘さんと立ち話しをしていましたら
「私って人見知りだから
友達がなかなか出来ないんです」って言うんです
真面目な顔をして
そんなことを言うもんですから・・・
「へぇ~そうなんだ
でも、この偏屈ジジィと話してるじゃん」って
教えてあげたんですけどね
どうも若い子って
友達でいるということは
何か特別なことをしなきゃいけない
なんて思っているみたいなんですね
友達だったら
「学校では出来るだけ一緒にいるもんだ」とか
「下校時はいつも一緒に帰るもんだ」とか
「LINEで頻繁に連絡を取るもんだ」とかね
そんな風に
なんか面倒臭いことを考えているんですよね
だから
逆に、友達だと思っている子が
自分の隣の席で他の子と話を始めたりすると
自分だけが除け者になったみたいな気になって
「この子とは友達じゃないんだ」
なんて思っちゃったりするんでしょうね
まぁ
確かに
いい大人になっても
同じようなことで悩む人もいますから
若いうちに悩むのもいいのかもしれませんが
でもね
そんなことで悩むなんて
時間が勿体無い気がするんですよね
でね
ジジィが余計なことを言ったわけです
「友達ってね
何か特別な関係のことを言うんじゃなくって
おはようって声を掛けたら
おはようって返事してくれる人のことを
言うんだと思ってりゃいいんだよ」ってね
「そう考えると
友達ってたくさんいるだろう?
そう、この偏屈ジジィも君の友達なんだ」
「なぁ〜に
いま友達として仲良く付き合っているつもりでも
大人になったら、みんなバラバラになっちゃうよ
だって、みんな自分のことで精一杯なんだからね
大人になったら大人になったで
おはようって挨拶できる友達が
また、新しく出来るもんさ、心配しなさんな」
・・・なんてね
・・・そう思いません?
何か始めようとしたり
何か困ったことがあると
何となく人が集まってきてくれて
みんなでワイワイガヤガヤと話し合っているうちに
いつの間にか役割分担が決まって何かが始まる
そんな風に、みんなが支援してくれるから
これまでどうにかやってこれたんです
・・・なんてね
誰もが言ってみたいですよね
現実は
何か始めようと思っても
何か困ったことがあっても
ひとりでクヨクヨ悩んでばかりいて
一歩も前に進めることが出来ないもんなんですね
これが厳しい現実なんです・・・
だからだと思うんです
はじめてお会いした方とか
あまり親しくない方とか
仕事だけの付き合いの方とかと
話をするときって・・・
自分のことを少しでも大きく見せようと
経歴を少し装飾したり
友人知人にやたらと偉い人を並べたり
自分の性格を大げさに話してみたりするんですよね
でもね
そんなことをしちゃいますとね
小さな自分を
より強く印象付けてしまうという
悲しい結果になってしまうんですよね
でも
やらないではいられないというのが
正直な気持ちなんですよね
だって
みんなに認めてもらいたいんですもん・・・
いやね
考えてみたんです
友だち付き合いでも
ビジネスでも
どうやったら
人が自然に集まってきてくれるか?
いろいろあるんでしょうけど
ひとつ
間違いないのは・・・
飾らないでありのままの自分でいる人というのは
間違いなく周囲から信頼され
自然と人が集まってくるということなんですね
考えてみますと
誰でも
話していてリラックスできる人と
信頼関係を築きたいって思いますもんね
良い印象を与えようと突っ張るより
ありのままの自分で向き合う方が
相手に緊張感を与えませんから
信頼されやすいということなんでしょうね
・・・そう思いません?
ここで
さて、ありのままの自分って何?
ということなんですね
これについても
ひとつ
結論を用意してみました
趣味でも仕事でも何でもいいんでね
自分の好きなことをずっとずっとやっていること
これじゃないかって思うんです
なぜか・・・
企業のM&Aは
事業の時間を買う目的で
実施されることが多いと聞いていますが
個人の生活においては
時間はお金に替えられないんですね
ひとつのことを好きだからやってきた
その時間というのは何にも代え難いわけです
それについて語るあなたに
嘘はありませんから
周囲の方も安心して近づいてくるわけですね
・・・そう思いません?
私の場合は珈琲かな
もう50年近く付き合ってますからね