2012年10月31日水曜日

大失敗について


会社の大失敗は経営者が凄いほど起こりやすい その1

いろいろな苦難を乗り越えて やっとこさ会社が軌道に乗り
経営者自身が「私は経営者としてなかなかなもんや」と
思いますとね 途端に目の前に破綻へと通ずるトラップが
口を大きく開けてまっているものです。

まず最初に 陥るトラップは
自社は業界に対して多大な影響力を持っているのだと
勝手に思い込んでしまい 経営者として一番大切な
経済環境の微妙な変化に対して鈍感になってしまうのです。

経営者が辣腕を振るって 自社に対する管理能力が
強くなること自体は決して悪いことではないのですが
その認識が強くなり過ぎますと やがて経営者自身が
事業環境を作り出せるかのように錯覚をしてしまい
結果的に外部環境の変化に気付いても
「私の実力をもってすれば
 この程度の環境変化ならば何とかできる」と思い込んでしまい
変化への対応が遅れてしまうものなのです。

経営者というのは お金や権力 名誉に
流されるようではアカンようですね。
やはり「ホンマニ仕事が好っきやねん」と素直に言える
仕事バカでないと この変化の早い環境下で
経営者として生き残るのは難しいように思います。


会社の大失敗は経営者が凄いほど起こりやすい その2

会社と自分との区別が出来なくなってしまう

経営者というのは 気を付けていないと
会社と自分がどこかで一緒になってしまうのです。

経営者に成り立てのころは
誰でも 緊張していますからね
キチンと自制が効いているものですけど
それが 何年も続くといつの間にか

「会社を大きくなったのは 俺のお陰だ
 会社のお金で欲しいものを買って何が悪い」と
なっちゃうんですね。

急に外車に乗るようになったり
服装が派手になったり
毎日のように飲み歩いたりするようになると
会社全体のモチベーションは アッという間に下がってしまいます。

それは いつの間にか業績に悪影響を及ぼし
社員が会社から離れていってしまうんですね。

経営者というのは
売上が上がったくれいで はしゃいでしまうような
肝っ玉の小さいことではあきませんね。


会社の大失敗は経営者が凄いほど起こりやすい その3

困難な課題に対して
迅速かつ決然と対応することで優秀さを演出してしまう。

営業成績が良くなり
少しお金回りが良くなると
経営者というものは
早い決断を求められるものですが
早い決断という行為そのものが
ひとつのパフォーマンスになってしまい
演じている内に リスクに対する防御が甘くなってしまうものです。

大体 矢継ぎ早に決断を下している経営者は
自分の姿に酔っているわけですから
大失敗をしでかすのも時間の問題です。

いかに有能な経営者だとしても
ひとりで全てを掌握することは出来ません。
なのにこのような経営者というのは
部下の前で「知らない」とは言えないんです。

この世は シロとクロと
その中間色の3つに別れる筈なんですが
シロとクロをだけで 他を排除してしまうということは
極めて危険な兆候ですね。


会社の大失敗は経営者が凄いほど起こりやすい その4

自分の脅威となる人間を排除してしまう

自分より優秀かもしれない
自分より人望が厚いかもしれない
自分より人間力がありそうだ
将来 自分の脅威となって私を弾劾するかもしれない
ならば 鬱陶しい奴を遠ざけてしまえ ・・・

こんな思考のプロセスになってしまうのが
実は優秀な経営者ほど こうなりやすいと思うのです。
その実例は 行政府のリーダーと言われる人達がそうですもんね。

自分の取り巻きを イエスマンで固めると
例外なく 組織の破綻に向かって大暴走が始まります。
いまの日本という国全体がそんな状況にあるのかもしれませんね。

暴走列車を止めようと思えば
生易しい処置では止まらないと思うのですが
列車に乗っている私達は 揺れが激しくなった列車の文句を言い
列車の走っている先のレールが残り少ないと分かっている政府は
いまだに 列車の乗り心地について議論しているわけです。
なんと恐ろしいことでしょう。


会社の大失敗は経営者が凄いほど起こりやすい その5

会社のイメージ作りに飛び回るスポークスマンになってしまう

会社のイメージをアップするためといいながら
いろんな委員会に出席するし
地域の集まりには必ず出てゆくし
選挙となると応援する議員の支援に奔走する。

テレビの取材を受けたがるし
コマーシャルにも出たがる。

会社本来の付加価値を情報配信するというよりも
会社のイメージを作りあげることにパワーが注がれてしまうと
現実とイメージとの整合性が取れなくなったとき
躊躇なく粉飾に手を染めてしまうということになるわけです。

最近の大手企業の粉飾事件は
経営者に根付く企業イメージは作り上げるモノという
思い込みから発したものですよね。

企業の扱っている商品やサービス
そこで働く社員の方々の仕事に対する真摯な態度から
企業イメージって出来上がるものだということを
忘れてはなりませぬな。

電気を供給してやっているという態度を取られたら
・・・消費者はカチンと来るって分からなくなるんですよ。
ホンマニにね


会社の大失敗は経営者が凄いほど起こりやすい その6

リスクの臭いを感じなくなる

事業がうまく軌道に乗ってくると
思い出すだけで頭を抱えてしまうような過去の失敗が
いつの間にか甘い香りに変わってしまうものです。

そうしますと
目の前に とんでもないトラブルが発生していても
想定外のことだから この場さえ乗り切れば
何ら問題ないと勝手に思い込んでしまうんですね。

そうなんです
昔の嫌なことが 甘美なものに変わってしまうと
立ち止まって考えるとか
一旦引き返すとか
少し見方を換えてみるとかといった
軌道修正が一切出来なくなってしまうのです。

小さなトラブルが
大きなトラブルへとあっという間に化けてしまうのは
今回の原発事故で嫌という程 見せ付けられましたもんね。

人の意見に 素直に耳を傾けることが出来るかどうかが
どこまで自分が危なくなっているかを知る
ひとつのリトマス試験紙になるような気がしています。


会社の大失敗は経営者が凄いほど起こりやすい その7

どうしても成功体験が邪魔をする

優秀な経営者ほど
自分の成功体験に呪縛されてしまっているものです。

せっかくの部下からの企画に対して
「お前ごとき若造が何を知っている
 ワシの提案するなんざ100年早い」などと恫喝してしまったり

「オレだったらな もうとっくにやっておるわ
 なぜ お前はやらん」と自分の若い頃と照らし合わせて
 文句を言ってしまったり

「どけ オレがやる」ととうとう最後は
 自分で全部やろうとしたりしてしまいます。

経営者といえども
若い頃 先輩達に守られながら無茶をしたから
いろんなチャレンジが出来たわけで
最初からいまのようなベテランであったわけではありません。

経営者というのは
失敗をしながら 少しずつ成長する社員達を
頼もしいと思えるだけの度胸が必要だと思うのです。

もし 自分のことを優秀な経営者だと思っておられるなら
鏡の前で ジックリと自分の顔をご覧になって下さい。

目の前に傲慢で嫌味な奴が
こっちを見ながら立っていませんか。

「お前な このままじゃ近い将来破綻するぞ!」って言ってません?

クワバラクワバラ
素直な気持ちで 身内を 社員を 取引先を 友人を
そして自分を見るように致しましょう。


面接

企業にとって
就活に伴う面接というのは神経を使う仕事のひとつですね。

最近はどんな面接をされているんでしょうか
私が面接官をしいた頃は
若い人の前で話をするのが恥ずかしくてね
喋って欲しい項目を書いたメモ用紙を用意しておいて
「では これに沿ってお話を聞かせて下さい」
なんてやっていました。

何を書いていたかといいますと 5つなんです

①自己紹介
②これまでやってきたこと
③いまこだわっていること
④これからやってみようと思っていること
⑤中学生が簡単に解けそうな数学の図形問題ひとつ

当社のどこに興味がありますかとか
どんな仕事がしたいですかといった
就活対策のハウツー本に書かれているような基本的な質問は
一切せずに こんな概念的なお話しかお願いしなかったんです。

これで充分じゃないかと思っておりました。

ただ簡単な数学の図形問題を解いてもらうときは
ホワイトボードを使って解説しながら解いてもらうように
してましたから ここで 準備をしていない質問に対して
どのような対応が出来るのかといった
人間力を試していたのかもしれません。

最近の面接ってどんなんでしょうかね
ちょっと覗いてみたいような気がします。


初心を忘れずに

この歳になると 少し知惠がついてしますからね
何か新しいことを始めなきゃいけないとなると
もの凄く沢山のうますゆかない言い訳をしますし
もの凄く沢山の失敗したときのリスクを言いますし
もの凄く沢山の沈黙の時間を使うことになってしまいます。

それでも 新しいことを始めることになったら
自分に用意された時間は残り少ないことを知っていますから
今度は 少しでも早く実績を上げようと焦るわけですね。

ビジネスという奴は立ち上げるときは
結構謙虚な気持ちでモノごとを捉えることが出来ますし
新しいビジネスを世の中に広げようとしているときの苦労は
少々のことは乗り越えられるものですが
いざ ビジネスが軌道に乗りますと
それまで応援していただいた人達のご恩を忘れてしまって
振り返ることなく突っ走ってしまおうとしてしまうです。

良く 驕り高ぶる自分を戒めるために
初心忘るべからずと言われます。

ただ ビジネスの場合
少し違ったモノなのかもしれないと思っています。

自分達がこれは行けると思って創造した
ビジネスモデルであっても世の中に知れ渡るまでは
単なる自己満足でしかないんだと分かったときの絶望感は
半端なものではありません。

毎日が不安で仕方ないわけですが
これを乗り越えるからこそ 起業家と言えるわけですね。

たからこそ 絶望の淵をウロウロしているとき
初めて声を掛けて下さったお客様の有り難さというのは
なかなか言葉では表現出来ないものなのです。

でもね この感動をすぐに忘れてしまうんですね。
ビジネスが軌道に乗ると もう過去は振り返らないなんてね。

世の中に 自分達のことを知ってもらいたいと思う
謙虚な気持ちこそ忘れてはならない
大切な初心のような気がするんですよね。


そうかもしれない

私達は歴史から学ぼうと
織田信長 豊臣秀吉 徳川家康の本をたくさん読むわけですが
考えてみますと 読まれている方の中で
果たして何人の方が 学んだことを
実践されることになるんでしょうか?

できれば
毎日 楽しく過ごせて
毎日 美味しいモノが食べられて
毎日 素敵な恋人と一緒にられて

その上 仕事は
楽で 責任取らなくて良くて 社内も居心地が良ければそれでいい
お金は ボチボチで良くて 大金持ちになりたいとは思っていない

そんな あまり表に出ない
どちらかと言えば影の力持ち的な人生を送りたいと
考えている人の方が多いような気がするわけです。

でもね運命というか 神の悪戯というか
気が付いたら いつの間にか大勢の人の前に立っている
自分がいるときというのがあるわけです。

自分が望んで その場にいるのか
周りが自分を押したのか
それとも 事故なのか

とにかく 気が付いたら
「私がやればいいんでしょう!」と腹を括るときがあるんですね。

心のどこかではこんな筈ではなかった ・・・ と
後悔しても遅くてね もう 突き進むしかないんですな。

そんな時の準備のために
歴史を学んでいると考えると
まぁ~ その通りということになりますわな。

チャンスという奴


チャンスという奴

どんなに普通の人生を歩んできたといっても
人生という奴は 何度かは順風満帆で何もかもがうまくゆく
そんな時を経験しているものではないでしょうか

しかし このチャンスという奴は 意地悪でね
滅多に来ないクセに すぐに逃げてしまうんですな

数少ないチャンスにも関わらず 振り返ってみたら
あ~ あのときやっておけば良かった チャンスだったなぁ・・・と
後悔することも これまた多いモノですね

では このチャンスを的確に見極めて捕まえるにはどうするか?
いろんな本を読んでも どうも同じことしか書いてないようです

自分の直感を信じなさい ・・・ だそうです

あ!これだと思ったら
まずはサッサとやってみて ダメだったらサッサと引き返す
この覚悟をすることが チャンスを掴むコツのようです。
始めるのはいいんですけどね 撤退する勇気がなかなか難しい
でもやるしかないですね けっぱりましょうや



短かくもあり長くもあり

あっという間に1日が終わり
あっという間に1ヶ月が過ぎ
あっという間に1年が終わろうとしています
こんな生活を何年も繰り返しているわけですが

考えてみれば
1日は思っている以上に長く
1ヶ月は思っている以上にいろなことができて
1年は思っている以上に タップリと時間があるのかもしれません

だって
子供達の成長を見ていますと
驚くほどのスピードで成長していますからね
私ら大人は どこかで手を抜いて生きることを覚えしまったために
自分の変化の鈍さを 時の流れの速さのせいにしちまう
ずるさを覚えたのかもしれませんね。



時間の浪費

この世に失敗をしたことのない人っておられないと思うのですが
その失敗をいつまでもウジウジと引っ張っておられる方っていますね

しかし 考えてみれば
いまの自分が変えることのできることと
できないことってあるわけで
変えられない過去のことにいつまでの引きづられるって
本当に時間の無駄だと思うわけです

もちろん 過去の失敗を分析し
同じ轍は踏まないぞと決意をすることは大切なことと思いますが
過去に呪縛されるのは 本当にもったいない話ですね
時間の浪費に他ならないと思います

過去の良いことも悪いこともみんな
淡い思い出にしちゃって 新しいことに挑戦しましょう。


発想の転換

わたくしは発想の転換という言葉をよく使うんですが
いつからだろうかと改めて思い返してみましたところ

・・・ 思い出しました

ずっとずっと昔 以前務めていた会社のことです
広島で仕事をしていた頃 社長が企業理念のひとつに
発想の転換を取り上げられたことがあったんですね。

ポスターが本社から送られてきまして
そのポスターと一年間一緒に過ごしたんですが
どうも そのことがスタートだったようです。

当時は 自分の人生にこんなに影響をもたらす言葉になるとは
思いもしませんでしたが いまはわたしの人生を支えてくれる
大切な言葉になっています。

そうそう ポスターが送られてきたとき同時に
発想の転換を促す提案の募集がありました。
もちろんオモシロそうなのですぐに応募しましたけど
なかなか賞はもらえませんでしたね。

その中で 唯一 会社に物議を醸し出した提案があります。
「会議中はタバコを禁煙とし さらに会議は基本的に
 椅子に座らず立ったまま実施するように提案したと思います」

思い返してみると こんな提案に賞を出すなんて
なかなかウィットに富んだ会社だと思いますけどね
でも 後日 お偉いさんから注意されたんです。

「君は もう少しまじめに仕事に取り組んでもらわなきゃ困るね」
 ・・・ とね。

その上司のことは 大嫌いでしたから
「じゃ賞を出すことに反対すりゃいいじゃないか」と
思いましたね。こんな上司が「やむなし可」なんて
けったくそ悪い決済をしておりましたな。

そうそう 景品は テレホンカードだったように思います。
考えてみれば もうテレホンカードなんてありませんね。

いまでは 禁煙なんて当たり前なんですが
当時は禁煙をなんて話をすると睨まれた時代ですからね
上司から頭をこずかれたのもうなずけます。

でも 私が本気で提案しましたのは
「ダラダラ会議が多いので これからは会議を立ったまま
 やろうじゃないか」という提案だったんです。
案の定 この提案は黙殺されてしまいましたわさ。

世の中 発想の転換をもって仕事と向き合うなんて
本気で考えている人っていないんだと思ったものです。


メガネ

最近は 読書メガネをするようになりましたから
ごく普通になりましたが メガネをしていなかった頃は
メガネに本当に憧れていました。

何というか メガネを掛けた顔って
どこかインテリに見えません?
本を読んでいる姿なんか 恰好良いと思いましたもんね。

若い頃 憧れた大人といえば
白髪にメガネを掛けて
バーボンのロックを転がしながら JAZZでも聞いて
静かに読書なんかをする。
・・・そんな物思いに耽る大人に憧れたんですけど

実際はね
大人になって メガネを掛ける歳になってみると
白髪にはなれなくて 思いっきり後退してしまった髪に
読書メガネを掛けて 飲めなくなった酒の換わりに
温めの日本茶を飲みながら 漫画を読んでゲラゲラ笑っている
まぁ そんな興ざめしてしまうような人生を送っておりますわ。

しかし どこかで いまだに
メガネの似合う人って憧れています。
ほんまに 羨ましい。



レム睡眠

睡眠という奴はノンレム睡眠が2時間くらいあって
レム睡眠がはじまり 90分間続いた後
ノンレムとレム睡眠が交替で現れると聞いていますけど
ほんまかいなって思いません?

私のように体力がなくなりますと
2時間に1回は目が覚めますし
途中でマリンにトイレの砂をゴリゴリとやられますもんで
目が覚めトイレの処理までする毎日ですから
理想的なノンレムとレム睡眠の美しい時間割をしていませんけど
別に寝不足っていう感じではないんです。

最新の技術で
もう一度 睡眠について研究していただきたいですね。
研究の結果 人間はある方法で寝たなら
3時間の睡眠でスッキリですなんて結果が出たら
人生 やれることが増えるような気がするんです。

勉強をする時間も増えるでしょうから 賢くなりますわな ・・・
あっ 基本的に勉強は嫌いですし
お酒も飲めない体になってしまいましたから
睡眠時間の長短は
私の人生には いまさら影響はないかもしれません。


ほどほど

振り返ってみますと
お金は ほどほどがいい
仕事も ほどほどがいい
友人も ほどほどがいい

多すぎてはいけないものは
欲と見栄 それと嫉妬心

このことに気が付いて はじめて
毎日が幸せになったように思います。
書くということ
MailやBlog Facebook twitterに入力することが
多くなった今日この頃
出来るだけうまい文章を
出来るだけ簡単に
出来るだけ早く書けるにはどのようにすれば良いのか
いろいろ調べてみました。

その中で井上ひさしさんの言葉として紹介されていたものが
一番分かりやすかったので 紹介させていただきます。

作文の否決をひと言でいえば
自分にしか書けないことを
誰にもわかる文章で書くこと ・・・ だそうです。

プロの文筆家は やはり 違いますね。

デジカメが普及したことで
改めてプロのカメラマンの凄さを知った素人が増えたように
ソーシャルメディアの普及で
プロの方が書かれた書籍を読む方が増えるような気がしますね。


可能性を感じます

Google+ と恐る恐る付き合っていましす。
感覚的に掴めないことが多くて ちょっと挑戦してみては
ホー!って感動しております。

最近 サークルのフォローに
AKB48のメンバーの方のようなんですが
小嶋陽菜ちゃんを登録しました。
年甲斐もなく 頑張れ~ なんて応援しているんですよ。

Google+ と付き合ってみて一番オモロイと思っているのは
実は このサークルという機能なんですね。
まだ チョロッとしか登録していませんが
これって 昔やっていた名刺の整理の仕方と
感覚が良く似ていると思うわけです。

毎年3000枚くらい手元に残っていた名刺を
自分との距離感でいくつかのグループに分けて
整理しておったんですけど この感覚が
Google+のサークルの持っている距離感のイメージと
良く似ているんですね。

スゲェーと思うわけです。


名刺を整理しながら

比較的密度の高い付き合いの出来る人数というのは
大体150人が限界かなと思っていたんですけど
このGoogle+のサークルなら
105人程度の数を一元管理するのに
丁度いいツールのような気がしているんです。

ただ ホンマニ悔しいんですけど
使いこなすことが出来ていません。
まぁ ボチボチと付き合ってゆくしかないですかね。

ドラッカーの言葉の中で
仕事柄 マネジメントの本を何度も何度も読み直すわけですが
ドラッカーの言葉の中で 一番気に入っているのは

「仕事というのは 顧客を創造することである」です

いま ご一緒させていただいているクライアントさんは
顧客創造プロジェクトを立ち上げておられ
ご支援させていただいているのですけど
顧客創造という言葉がいいですよね

俊としてまっすわな

参加しているだけで 背筋が伸びます



変化のシグナル

不意に
お腹が痛くなったり
手に汗をかいたりゾクゾクしたりと
体が何か変なシグナルを出している時ってありますね。

後日 振り返ってみますと
その時点では 全く意識していなかったにも係わらず
後日改めて考えてみると危なかったなと分かるようなリスクが
目の前に展開されていて いまにも自分を襲おうとしたことを
体が教えてくれていたんだと気が付くことってあるんですね。

あれは 何なんでしょうかね
危機を察知する本能なんでしょうか
それとも 守護神からのメッセージなんでしょうか

私としては 守護神からのメッセージであって欲しいですね。
そうなら これからも心強いですもんね。



沈黙の重さ


沈黙の重さ

見たり聞いたり感じたりしてきたことが豊富な方というのは
言葉にするのが苦手な方が多いような気がします
でも そこにある沈黙は 言葉より多弁なときもありますね

おやじ
この歳になって やっと分かったような気がするぜ
男の沈黙の重さが ・・・


少し先の未来を予見し行動するということ

マイルストーンは、
少し先の未来を予見することが大切だというお話を
良くさせていただくのですが、
では、具体的にどんなことをいうのかという
お話をしてみたいと思います。

いろいろ考えてみたんですが、
今回、大阪府知事、大阪市長のダブル選挙が行われ、
大阪維新の会が圧勝したことを例にお話してみたいと思います。

まず、大阪維新の会が圧勝したという事実は、
お分かりのように、
すでに起こってしまった未来だと捉えることが出来ます。
そうしますと、
その先にある少し先の未来では何が起こるかを
予測することが出来ます。

多分、政府、与党、マスコミが一体となって大々的に展開した、
橋本氏に対するネガティブキャンペーンが根拠となって、
大阪府・市の議員や職員の嫌がらせや
サボタージュを引き起こすに違いないんですね。

そうなんです、大阪維新の会としては、
いまのこの時点で、
少し先の未来で起こるに違いないネガティブな言動に対して
一撃を加えておかなければなりません。
ビジネスでいうところの、競合との差別化を図るために特許申請や
商標登録をすることを意味すると思います。

・・・ で
いろいろ報道を観ておりましたら チャンとやってはりました。

記者会見の中で
「公務員としての領分をわきまえず、
 政治に踏み込んだと思う職員は、潔く自ら退職して欲しい」とね。

このひと言が、ビジネスの特許並みに、
サボタージュを決め込んだ職員に向かった放たれるんですね。
「私は、記者会見で申し上げました、
 公務員として不適切なモノは潔く去れと、
 あなた方にもう一度申し上げる、
 一生懸命、市民のために働くか、潔く去りなさい。」ですかね。

いやはや、大阪維新の会というのは、
ビジネスセンスを磨くという視点で捉えたとしても、
学ぶことの多い団体ですね。
これからも勉強させていただきたいと思います。


信頼

人から信頼されたいと誰もが思うわけですが
これがなかなか難しいわけで
信頼という奴は「築くものだ」と良く言われますね

企業などは コンプライアンスに反する行為によって
築き上げてきた信頼を 一瞬で失ってしまうなんていいます

では 我々一般人はどんな生活をすれば 信頼を得られるのか?
・・・ 考えてみました

簡単でした
ウソを言わないこと
ヒトの悪口を言わないこと
そして お喋りをすぎないこと ・・・ この3つですね

ウソを言う人間は ウソの帳尻を合わせるために
ウソの上塗りを繰り返してしまいますから
仕事を任せるなんて怖くて出来ないなんて言いますね

ヒトの悪口を言い続けると いつの間にか
あの人は表と裏があって信頼できない なんてなりますね

そして お喋りはヒトの話を聞こうとしない代名詞ですね
話を聞いてくれない相手のことは 信頼できませんわな

分かっちゃいるけどやろうと思うと難しい
だから信頼という奴は重たいんでしょうね


パーソナルコンサルタント

若い頃 営業マンとしていろいろなお客様とお会いしていましたが
中には急に元気のなくなる会社というのもあって
結構変化に富んだサラリーマン生活を送っておりました

どんなに素敵だった経営者でも
勢いの無くなった企業の経営者というのは
うまくいっていた頃の余裕はどこかに失せてしまい
鬼気に迫る迫力を感じたものです。

会社がこんなふうになる前に相談してくれれば・・・
なんて思ったりしたものですが
考えてみれば 若造に相談できることって知れていますから
時代の流れに飲み込まれてしまう会社を
どうすることもできなかったのかもしれません。

そして ときは流れ
今度は私自身が困った人を演じることになったわけです。
お陰様で 追い込まれた人間が 端にいる人に何を求めるのか
いろいろ勉強させていただきました。

そこで分かったことは
追い込まれた経営者というのは 通り一辺倒のアドバイスや
慰めの言葉なんかを言われたところで 何もうれしくなくて
どちらかと言えば そんなありきたりのことをいう人に対して
「何も分からないお前に 偉そうに言われたくはない」
なんて 逆にイライラしてしまうということなんです。

本当に悩んでいる経営者にとって 必要なモノといえば
「お前さんだけじゃないぞ 一緒にがんばろうぜ」と
誰からも相手にされず 孤独感に苛まれ
絶望の淵を歩むという同じ経験をしたことのある方から発せられる
静かな言葉なんですね。

そんな方からいただく 危機から脱するための
的確なアドバイスは 本当にありがたいものなんですね。

私が 小さな経営者の方を対象にした
パーソナルコンサルタントをしようと思ったのは
そんな経験をしたからなんです。

ひとりで苦しまなくてもいいんですよ
どうぞお話し下さいな ・・・ これが私のご挨拶です。


袖を通してはじめて生きる

急に寒くなりますと
新聞の折り込みチラシも 冬服の広告が増えますね

わぁ~安い
これ暖かそう~
今年もこれを買おう

なんていう会話が交わされることになるわけですが
いざショップに出掛けて 洋服に袖を通し鏡の前に立ちますと
これまた 心が揺れることになりますね

どんなに 気に入ったぞと思った服でも
袖を通した途端 表情が変わり
着ている人を拒否する服もありますし

これってもうひとつだけどと思った服が
袖を通した途端 ぱぁ~と明るい表情に変わり
お待ちしていましたと応えてくれる服もあるような気がします

まぁ~ 恋人や奥さん 子供達からの贈り物なら
鏡の前に立つ姿を見るまでもなく 心が小躍りしますわな


生きていること

リクとマリンの生活ブリを観ていると
人間というのは
どこからこんなに忙しくなってしまったんだろうと
改めて思ってしまいます

朝夕の食事の時間
おトイレの時間
甘えたいと思ったとき
遊びたいとき
散歩したいとき
これ以外は ズッと寝ていますもんね

BLOGやfacebookに記事を書くわけでもなく
本を読んだり 手紙を書いたりするわけでもなく
意に反するような仕事をしてお金を稼ぐでもなく
他の悪口を言って溜飲を下げるでもなく
意地悪をしてニンマリするわけでもない

彼らは そこに生きているだけで満足しているのかもしれません
我々は 生きているだけでは満足できなくなったために
不幸になったのかもしれません。
でも もう引き返せませんけどね ・・・


望まれているということ

若いときというのは
先輩や上司から
「君にぜひやって欲しいんだ よろしく頼む」と言われて
我が意を得たりと 必死で働くなんていう時期があるわけですが
いま こうやって当時を振り返ってみますと
頑張り方が違ったなと思うわけです

若いときというのは
先輩や上司から直接 何かお願いされると
私は期待されているぞと やる気がフル回転してしまい
その仕事を一生懸命することが
将来の自分の地位を保証することになると誤解してしまうんですね

若いときというのは
それはそれで 会社の現実を知る試練のひとつでしょうから
大切な経験だと思いますが
本当に頑張るのはそこじゃないということを
やはり知っておいた方がいいような気がするんですよね

PCのキーボードを打つ しわくちゃな手を見ながら
若いということの危うさと
若いということだけで眩しかった頃を思い出しては
苦笑いするわけです。


毒にもなりクスリにもなる

癌の治療で入院していたとき 
体中に張り巡らされた管の一本一本を目で追いながら
この薬って 元気なとき飲んだりしたら
多分 気分が悪くなるような劇薬だよな~
いまこうして 死にかけているから
体に入ってクスリとなって活躍しているんだよな~

なんて
ボンヤリと考えておりました

元気になったいま
毒にもクスリにもなるものを見付けました

それは 夢です

夢に心躍らすとき
それは
私のクスリとなって
人生を眩しいものにしてくれるに違いありません

しかし
夢に破れたとき
それは
私の毒となって 絶望の淵へと導かれてしまうに違いありません

夢も薬と同様 イノベーションを怠ってはならないようですね


小さな目標

何かの拍子に
順調に進んでいたことがピタッと止まってしまう
これまでの自信が揺らいでしまう
生きてゆく目標がぼやけてしまう
なんていうことってありますわな

そんなとき
混沌とした自分を味わうって面白いわけですが
もうひとりの自分からすると
少しでも早く そんな自分から逃げたいと思うもの

さてどうするかですね

世にいう落ち込んで立ち止まった自分の背中を押すには
どうすればいいかということでしょうけど

そんなときは
大きな一歩を踏み出すことは諦めて
小さな小さな目標を目の前にぶら下げ
実行した達成感を繰り返し味わうことが
解決策ではないでしょうか

今日は机の上の掃除をしてみる とか
今日はいつも乗っている電車より1時間早い電車に乗ってみる とか
今日は出会った人にはこちらから明るく挨拶してみる とか
実行しやすいこんな小さなテーマを決めて
さっさと実行してしまって 達成感をニンマリと味わうことが
混沌から脱出する近道ではないかと思っています

私の場合は リクと散歩するルートを変えることで
小さな達成感を味わっています


エネルギー

何かに挑戦すると決めたとき
何かに取り憑かれたように集中しているとき
自分を支配していた呪縛から解放されたとき
自分の中にある得体の知れない
うごめくエネルギーを感じるものです

そこには
眠気や食い気や色気といった邪念の入り込む余地はありませんね

こんな沸き上がるようなエネルギーを感じるビジネスを
一度でも経験してしまうと もう適当に仕事をやっちまうなんて
ヘタレな世界には戻れないわけです。

端からこんな必死になって働く姿を見ると
アホちゃうかと思うか
クダアネェ~と思うか
それとも 羨ましいと思うか
その評価はまちまちでしょうけど
その人のこれまで仕事との付き合い方が大きく影響するでしょうね

さて わたしの場合はといいますと
やっぱり 羨ましいと思うかな ・・・ チョットしんどいけど


当たり前


当たり前のこと

あたり前といえばそうですけど
何か新しい挑戦を始めたら
成功する確率を高めるのは
その試みにどれだけ頭を使うかに比例すると思うのです

1日に1時間ずつ割り振る場合と
1日に5時間ずつ割り振る場合
どちらが成功に早く近づけるかというと
自ずと分かろうというものです

ということはですね
いままでの生活の時間配分を見直す必要があるわけです
成果に結びつき難い時間に関しては
バッサリと切り捨てる必要があるわけです

これをせずに
チャンスを待つなんて戯言をいっていたのでは
いつまで経っても 何も始まりませんわな
上司と部下の関係
ビジネスの組織における上司と部下との関係というのは
信頼関係が築かれますと 不思議なもので
ビジネスの節目節目で無言の会話をするようになるものです。

この場面で 上司なら どのような発言をするだろうか
この場は進めか?
撤退か?
それても冷却期間を置けか?

「バカ野郎 その場で決められなかったら
 もっと良いアイディアはないか 持ち帰ってチームで
 相談してみます てなことでも言ってだな さっさと帰って来い
 お前ひとりでどんなに考えたところで いまのお前の経験じゃ
 無理なんだからな もっと素直になれ 周りの人間を信頼しろ
 そして オレを信じろ ・・・」

こんな声が心に聞こえてくるようになると
ビジネスというものが面白くなりますわな。

上司と部下の信頼関係というのは
組織の用意した肩書きによって得られるモノでもないし
経験の豊富さで決まるものでもない
もちろん頭の良さで決まるモノでも無いですよね

部下達から慕われる上司というのは
部下の顔色を見て健康を気遣い
部下の沈んだ気配を感じたらソッと声を掛け
部下の言動に揺らぎを感じたら話しやすい環境を用意してやる
「お前の頑張りは チャンと見ているぞ!」と
さり気なく部下を見守っているモノなんですね。
この心遣いが 信頼を生むんだと思います。


心躍る会議

会議を休憩の場会議をつるし上げの場
会議を見せしめの場
会議をイベントの場
企業によって いろいろな会議のやり方ってあると思うのですが

会議に参加する人達が萎縮するような会議というのは
弛んでいる社員に気合いを入れるんだという
管理者の気持ちも分からいでもないですが
この混沌とした経済の中で
企業が生き残れるには人材を大切にすることと言われている中
本末転倒のような気がします。

社員というのは 会議で自分の会社の本質を知るということが
ありますから 会議を運営する立場にある方というのは
非常に重要な役割を担っているわけです。

昔から 心躍るような会議というのはやれないものか
考えながらいろんな挑戦をしてきたのですが
主催者だけが踊ってしまって出席者がドン引きの会議だったり
根回しがうまく行き過ぎて国会のような会議になってしまったり
空気を緩くし過ぎてしまってセミナーのような会議になったりと
会議に心地良い緊張感を醸す出すのが本当に難しかったですね

長い実践を交えた研究の結果
会議を転がすにあたっては以下の事項をチェックすると
参加者から比較的良い評価をもらえるという結論に至りましたのでここにまとめておきたいと思います。

1,まず会議の目的を明確にすること
2,事前に参加者全員に目的を通知し発表の準備をしてもらうこと
3,出席者全員から目的に対する意見を必ず発表してもらうこと
4,意見の無いモノは会場から退出させること
5,発表時は、なぜその意見に至ったのかデータを元に発表すること
6,反対意見を言うときは、代替え案を必ず発表すること
7,誰が発表した意見に対しても敬意を持って聴くこと
8,会議の最後に全員が会議の感想を発表すること
9,誰が何を言ったか必ず議事録に履歴を残すこと
10,会議での発表内容を業績評価に加味すること

情報化社会においては、ほとんどの情報はネットで収集することが
できると思いますが、ビジネスの種として使うには、
魂といいますか知恵というものが必要だと思うのです。

知惠は、ひとりひとりの経験から身に付くものだと思いますけど、
会議のように、人が集い同じ目標に向かって意見を
交換する場がありますと、知惠と知惠がぶつかって
スパークするとでもいいますか、思わぬアイディアというのが
生まれるんですね。

それを、一度経験した社員達は、会議を疎かにしませんし、
日頃から会議で発表するネタを仕入れることを心掛けるようになり、
モノごとを捉える眼が変わるものです。


一期一会

FaceBookに参加するようになって思うのは
このFaceBookの世界というのは 現実の友人・知人
あるいは名刺交換をした人とのコミュニケーションを
より円滑に進めるために活用するもんだなぁ~ということです。

どういうことかと申しますと
FaceBookの中にもうひとりのリアルな自分を公開して
現実の自分が見たり聞いたりやってみたりしたことを
第三者の視点で語るといったイメージでしょうかね。

ある意味 その人の現実とは違った一面を見ることが出来るわけです。

歩いていて転けて怪我をした ・・・ という現実は

昼飯を同僚と食べに行くとき
今日は朝から上司に怒鳴られて頭にきていたもんだから
上司の悪口を言うのに夢中になってしまい
段差に気が付かずに思いっきり転んで手を擦りむいてしまった
これは天罰かなと少し反省したのです
 ・・・ するとドラマが始まるのです

まぁ こんな現実の世界を補完するような情報化社会が進めば進むほど
直接人と会って話をしたり行動を共にするという機会が減って
情報を収集したり分析したり ものごとを深く掘り下げて考えるといった
デスクワークが増えることが予想されます。
いや もうすでに始まっていますね。

ということは
人と出逢う 人と話をする 人と打ち合わせをする といった
直接人と何かをする時は お互いに時間を無駄にしないように
大切に過ごす覚悟が必要ですね。

一期一会という人との出逢いを大切にする姿勢は
情報化社会が進めば進むほど大切になるということでしょうね。


クオリティ

この情報化社会においては
企業はどんな些細なことでも誤魔化すということが
難しくなりましたね

そのことに気付いてか付かいでか
コンプライアンスに係わる事例は
後を絶ちませんので非常に残念ですね

TQCやISOのようにクオリティを求められるのは
商品サービスのみだと考えている節がありますが
いまや企業そのものにも そこで働く社員の方々にも
そこに関連している方々みなさんに
クオリティが求められる時代になったということでしょう。

そんな状況にあって
新卒の就職活動を見たとき
新入社員に対する企業のクオリティの考え方が
まだ固まっていないんだろうなと思うわけです

企業は良き人材を求めて
ネットによる募集を図っているようですが
大企業になると 1万人くらいの募集があるそうですから
その中から 優秀な人材と言われる
良い品質の人材を捜し出すのは本当に大変な作業のように思いますね

一次審査を ネットによる論文だとか WEBテストだとか
大学の入試のごとく足切りを行っているように聞いております

確かに 社会人として実績のない人材を評価するのには
試験をするのがいいのかもしれませんけど

考えてみて下さい
これだけ就職活動のノウハウ書が蔓延っている状況にあって
試験対策を万全にする輩ばかりが増えてしまい
結局 良い点を取る術に長けた人材を
クオリティの高い人材と評価するわけで
ある意味 試験問題を提供している企業の作りあげた人材像に
日本中の企業が品質を統一しようとしているとも取れますわな

私からすると 大きなお世話です
オレはオレ なんで理想の人材像を
就活を商売にしている企業が偉そうに語るんだと思うわけです

この情報化社会においては
これからの就活は 新卒も転職も関係なく
実社会で働いている人の推薦をもらうというのはどうでしょうかね

企業は 推薦をした人を評価すればいいわけです

肩書きの好きな企業は
教授とか取締役という人からの推薦を優先するでしょうし

チャンレジ精神を優先する企業は
YMCAのリーダーとか ボランティアのNPOからの推薦を
評価するでしょう

社会人としてのバランスを優先する企業は
アルバイト先の店長からの推薦状を優先するかもしれません

転職を受け入れる企業は
前の会社の同僚か上司の推薦状を持ってこさせるなんていう
ユニークな企業も出るかもしれませんね

評価は人がするもの
情報化社会においては口コミが大切だっていうじゃないですか
企業の人事部の皆さんも発想の転換を求めますわな

あっ でも いまの人事部の皆さんは
就職戦争に打ち勝った皆さんだから
そんな発想には至らないかもしれませんね
それは 企業の不幸ですわな



ボーと眺めてみるのがいい

いつ見ても元気に楽しそうに働いている方っておられますよね
この人 疲れるということはないんだろうかとか
落ち込んだり 悩んだりして仕事が手に付かないなんて
ないんだろ​うかなんてね

不思議な生き物を眺めるような眼で見てしまいます

そんな方々を眺めていますと
ひとつ共通したところがあることに気が付きました

それは
楽しく仕事をされている方というのは
人から指示されて動いていないし
人から命令されてから動くなんていうこともないし
人から何か言われても
働くリズムが変わるなんていうことがない​んですね

多分 自分が頑張って働く場所や時間
一緒に働く仲間を創るのがうまいんでしょうね

考えてみれば
人というのは 自分が頑張れる場所や時間
頑張っている自分を見てくれている仲間だいれば
自ずと頑張ってしまいますもんね

仕事に行き詰まったり 楽しく働けなくなったとき
頑張って働いている人の姿を
ボーっと眺めてみるというのもいいかもしれません

ちなみに 私は元気が足りなくなったら
行きつけのレストランに行って
「ホンマニ儲からんわい」って大きな声をしながら
料理の仕込みをしているオーナーの働いている姿を見て
元気をもらっています


頼み事を聞く

何かを頼まれたとき
承諾するかどうかを決める基準を持つって大切なことだと思うのですが
なかなかこれが難しいものです

以前からお世話になっていることだし
お断りするのも何だしな~ とはいうものの
お願いされたことをそのままお受けしたら
私ひとりの力では無理かもしれない・・・

大体 情が絡んで判断が鈍ってしまいのが落ちですね
そこでですね 考えてみたんです

お願いされたことを 自分が相手にお願いするとしたら
どんなお願いの仕方をするかを
少し時間をおいて考えてみるとしたんです

そうしますとね
相手の方の本音が見えてくるんですな

面倒臭いから あいつにでもやらしておけ ・・・ とか

彼なら イヤと言わずに何でもやるから任せておけばいい
上手く行かなかったら彼に謝りに行かせばいいさ ・・・ とか

彼の実力はお墨付きだからね
ぜひ この件は彼にお願いしたいもんだ ・・・ とか

声なき声が聞こえてくるんですね。


やる気

過去の多くの失敗から学んだことのひとつに
新しビジネスと正面から向き合おうと思うなら
バランス感覚が必要だと言うことがあります

よ~し このビジネスで必ず成功してやるぞという熱い思いと

具現化に向けてひとつひとつ準備を進めてゆくという
冷静でロジカルな思考と

世の中はそう簡単にモノごとは進まないという
現実を受け入れる度量を持つこと

この3つがうまくバランスが取れているときといのは
慌てず 急がず 着実にモノごとが進み
目論みに近い結果が得られるようです

もうひとつ大切なことがあるかもしれません

それは 新しいビジネスにチャレンジしている自分を
誰が褒めてくれるかですね

恋人でも 伴侶でも 子供達でも 上司でも 友人でも
誰でもいいんですが
「凄いね~」「カッコイイ」「素敵」なんて
言い続けてくれる人が必要なんですね

世の中 結構有名な人ほど
伴侶には頭が上がらないなんて言われるじゃないですか

それは 家に帰って 弱音を吐いているんでしょうね
「もうダメ」「もう限界」「オレはもうお終いだ」なんてね

そんなとき ケツを蹴ってくれる
優しい好き理解者が必要なわけですな


マイルストーン

ビジネスに携わっていれば
「あ~ どうしよう」と思う瞬間が必ずあるものです。

後戻りは出来るわけもなく
留まることは許されず
かといって進むには
まだ体験したことのないようなリスクを伴う
複数の選択肢の中からどの道かを選ばなきゃならない

正にマイルストーンを前に オドオドするという奴です

そんな追い込まれた自分を楽にするには
発想を換えることだと思います

「失敗したらどうしよう 怖い!」から
「何かをやると決めることは
 何かをやらないと決めたことであり
 その選択をしたことそのものに意味があるのであって
 そこにはその人の覚悟がある
  その意思はヒトを引き寄せる力を持っている」とね

ここぞというとき 躊躇していたのでは
ヒトの信頼を得られんというわけです。


ランク付けは自分でするべし

営業をしていて営業冥利に尽きる瞬間というのがあります。
それは お客様から相談を受け それに応えられた瞬間なんですね。
「無理を聴いてもらって本当にありがとう
 これからもよろしく頼むね」
こんな言葉をいただいたら 小躍りしますわな。

しかし 今の世の中では お客様を評価するルールというのがあり
ランク付けをして営業する時間の配分をするんですね。

ですから 大手企業に時間を費やことは許される一方
中堅の会社やこれから世の中に飛び立とうとしている
会社というのは自ずとランクが低くなりますから
そこに時間を取られていたりすると
上司から言われるんですね

「こんなお客に なんでそんなに時間を掛けるんだ
 もっと効率良く仕事をしろ」とね

効率を考えたらお前がいなくなれ なんて部下は思うわけですけど
考えてみますと 会社にランク付けをするなんて失礼な話ですわな

でも これを否定してしまっては
この世の中 ビジネスが成り立ちませんしね。

まぁ 国債の評価ですら
どこかの国のプロパガンダのような会社の付けたランクに
一喜一憂している世の中ですから仕方ありませんけど

せめて自分の仕事の中だけは
自分の眼を信じて行動することを心掛けたいものです。

ただね 組織でビジネスをする場合
つまずかないって大切ですからね
何らかのルールが必要なのも確かです

・・・ ではどうするか

何のことはない ヒトの付けたランクに頼らず
自分達が付き合いたい企業の一覧表を作ることですわな
自分達が付き合うと決めたお客さんなら
何があっても覚悟ができますがな


売れるモノ

営業をしているとき思っていたのは
商品がうまく売れないのは 商品が悪いからだ
もっと良いモノを作ってくれれば 売上はあがるとね

だから開発部がもっと良いモノを作ってくれればいい
なんて思っていたわけです

ところが 最近の情報化社会においては
こんなものを買いたいというヒトが何人か集まったとき
そのニーズに応えるように 商品を開発し商品化し
その商品を販売するというスキームが可能になったんですね

営業の仕事が 売る仕事から
情報を聴く仕事に変わったということなんです

この発想の転換は いま 我々ビジネスに係わっているモノに
求められているんじゃないでしょうかね。

給与を考える


給与を考える

今回は 給与について考えてみます。
サラリーをもらって仕事をするということはどういうことなのかを
少し考えてみるというのも 時には良いですよね。

私はひと昔前 転覆しつつある会社という船から
社員をひとりひとり下船させ 安全な場所に避難するまで
船が沈没しないように走行させるということを支援しましたし
実際に自分自身も船長になって舵を握ったことがあります。

その時 残ってくれた社員の多くは
何もかも投げ出して逃げ出したいと思っておられたに違いないのですが
義理と人情と自分自身へのケジメとでも言いましょうか
過去には私から罵倒されたり叱責されたりしたことに対して
文句も言わず黙々と仕事をして頂いたことを思い出します。

そんな仲間に対して 私は思わず頭を下げ
手を合わせて感謝の気持ちを伝えたことを思い出します。
給与もろくに払えなくなっている会社に
最後まで付き合ってくれている社員の姿から
その時 教えられたんですね
「日々会社で働くということは 我慢と忍耐の連続であり
 給与というのはそのガマン料なのかもしれない」とね。

就職活動を通して会社を選ぶなら
あるいは 今の会社に不満が鬱積して転職を考えているなら
給与が高いとかキャリアアップが図れるなんていう基準で会社を選ぶより
この会社が行き詰った時
自分は会社の最後を看取る社員になる覚悟はあるかどうかで
決めるようにするのが良いのではないでしょうか。

給与が高いということは ガマン料が高いということなんですからね。
高給取りのサラリーマンの方と出会ったなら
羨ましいと思うより 大変なお仕事ですねと
労りの気持ちを持って接しなきゃ失礼なわけですな。


話し下手

今回は 話し下手について考えてみたいと思います。
営業マンとして華々しく活躍したわけではないので
大きなことは言えませんが
営業を長くしていますと 話がうまいだろうと良く言われます。

しかし 振り返ってみますと
営業として活動していた頃の自分は
営業トークに長けていたとは思えないんですね。
どちらかと言えば 口下手でポツンポツンとしか話せない自分に
とても もどかしく思っていまして コンプレックスだったんです。

ですから 未だに口下手というコンプレックスは拭えずにおりまして
初めてお会いする方と話をするには
かなりの覚悟が必要となってしまいます。
お恥ずかしい話です。

・・・で 考えてみたんです 営業をするのに
流暢な営業トークというのは 本当に必要なのか ということです。

これまでいろいろな方とお話をする中で
営業というものに誤解があることに気がついたんですね。
営業というのは お客様に何かを売り込むものだと
考えおられるみたいなのですが
実は その考え方には 少し疑問がありまして
営業の本質というのは お客様の本音を聞き出すことではないかと
思っているんです。

お客様は いま何が欲しいと思っているのか
手に入れる為にはいくらまでなら用意出来そうなのか
いつまでに決めたいのか
の3点を聞き出すことが営業という仕事だと思うのです。

ですから あまり流暢に喋りすぎてしまうと
必要のない情報まで提供してしまって
お客様が混乱したり
判断を躊躇したり
面倒臭くなってしまったりしてしまいましてね
いつまで経っても モノを買ってもらえないということになるわけです。

思うに 営業として実力を高めるには
たて板に水のように商品の説明が出来たり
PCを使って見事なプレゼンが出来たり
トークが上手かったりするといった
自分からのアウトプットに注力するより
相手に気持ち良く話をして頂くには どうすれば良いかという
インプットの技術について追及する方が大切なような気がしているのです。

話下手の自分がコンプレックスになっておられる営業の方ほど
人の話を聞くことに注力出来ますから
優秀な営業マンあるいは営業ウーマンに
近いということなのかもしれませんね。

ちなみに 私は
口下手
接待下手
社内ネゴ下手で 営業をしておりました。
お客様から お前は接待の基本を知らないと 怒られたことがありましてね
接待の仕方とはどうするものか お客さんに教えてもらったことがあります。
もちろん おごってもらってですよ

でも いまだに 接待をしようとしても
接待という空気を作ることが出来ないんですな ・・・
話に夢中になっちまうんだすわ 仕方ありませんね。


無欲の人

「私は出世なんかしなくていいです
 毎日を楽しく過ごせることの方が大切ですからね」
新入社員の教育を始めると
必ずこういう発言をする若者がいますよね。

アルバイトでしっかりと稼いだ経験があり
さらに 趣味も多彩といった輩ほど
この傾向が強いように感じます。

確かに 出世や名声を求めるような発言をする輩というのは
何となく傲慢さが鼻につくようなところがありますが
しかし だからといって無欲を装っている姿は
私から見ると 無気概である自分の本当の姿に無欲という衣を
被せているに過ぎないように思うわけです。

これまで いろいろな方とお会いした中で
これはなかなか味のある方だなと思った方というのは
どちらかというと不器用な生き方をされていることが多く
「よし ひとつやってみるか」という軽いノリでチャレンジをし
痛い目にあった経験を豪快に笑いながらお話されたりするものです。

やはり 無欲を装って心の底では
タナボタを狙っているような要領の良い若者より
大志を抱いていまの自分が出来ることを
コツコツとやっている若者の方が
将来 必ず頭角を現すと思うのですがいかがなものでしょうかね。


出来ることから

新規ビジネスを考える時のキーワードを「壁を破る」として
小さな会社の新規ビジネスモデルの組み立て方についてお話をしましたが
私達の生活には この壁という奴があちらこちらに存在していますね。

例えば 中高生が受験勉強をする時ついつい出てくることばが
「学校で習っていませんから 出来なくても仕方ありません」

これが学生さんになると
「私の専門ではないので 分かりません」となり

さらに社会人になりますと
「仕事が忙しくて 時間がないのです」となるわけです。

壁というやつは 自分の内なる壁となる能力と
外なる壁である自分を取り巻く環境や金銭的な問題とがあります。
こういう壁にぶち当たって ちょっとやそっとの努力では
乗り越えられそうにないことが分かると
ついつい無条件降伏してしまいたくなるものです。

そうしましたら 言い訳のオンパレードとなるわけですな。
その理由というのは
壁そのものを恐れ
失敗することを恐れ
長期に渡って壁と戦い続けることに恐れをなすからなのです。

ここで ひと言
「言い訳を考える暇があったら
 いまの自分がすぐに取り掛かれることを探し出し
 まず そのことに集中し壁の隅っこでもいいので
 傷つくまで続けることですな」
・・・多分ね。
あ~これ いまの自分自身に言い聞かせているわけです ハイ


無駄

生きていると 楽しいことより
辛いこと悲しいこと心配なことの方が
多いように思いますがどうでしょうか。

辛いことや悲しいことは
散歩したり 運動したり 酒を飲んだりしているうちに
忘れてしまうものでしょうが
この心配ごとというのはちょっと厄介ですね。

心配するというのは 
「どうしよう」
「どうなるんだろう」
「どうしたらいいんだろう」と漠然と思っていることであり
何ら解決策を編み出すことにはならないのですね。

心配のスパイラルに陥ると心底疲れますので
自分は考えているつもりになりますが
ほとんどは杞憂に終わってしまうので
自分が流されてしまった時間を振り返ることを妨げてしまうものです。
ここで もう一度再認識する必要がありますね。
考えるということは 闇雲に心配することではないということです。
心配することのほとんど そうですね9割くらいは
具体的にならないものであり残りの1割が
現実化して自分に襲ってくるものです。

ですから この1割の心配事に対して
いまの自分の出来ることを考え
行動にうつすことが大切なのではないでしょうか。
そうなんです
ウジウジと心配するだけは何も変わらないのです。

心配事が頭を支配し始めたなら
心配をするだけなら無駄なことと
自分を戒めなければならんということですな。
難しいことではありますがね。


ハードル

仕事上で 何か目標を立てて実行するときというのは
達成する為のハードルが高かろうが低かろうが
どんな目標であれ
ひとりで実行することは出来るものではありませんから
協力者を募る必要がありますので
到達するまでに必要とされる労力というのは
そんなに違いは無いのかもしれませんね。

そうならば 出来るだけ高い理想を掲げ
難しそうな目標に挑戦する方が良いのかもしれませんね。
ハードルは高いほど良いということかもしれませんな。


タラレバ

ゴルフに没頭していた頃
良く先輩から言われたのことは
「たらればを言うようでは まだまだだね。もっと練習しなさいや。」とね。

どうも ゴルフという奴は
自分の弱い部分が表面化するようでウジウジと
「あの時 欲張らずにアイアンで攻めていれば
 池ポチャになんかならなかったのにクヤシィー!」などと
いつまでも未練がましく愚痴ってしまうわけです。

良く考えてみると「もし そうだったら」という考え方は
発想の転換を図るには とても良いキーワードになると思うのです。

いや もう少し視点を変えて「もし そうでなかったら」という発想から
入るほうが良いのかもしれませんね。

もし あの時あの人と一緒にあの話にのっていたら
・・・いまは億万長者だな
もし あの時あの会議であいつに反論していたら
・・・辞めずにあの会社の役員だったな
こういうふうに考えてしまうと
思考はストップし後悔が頭を支配するのですが
視点を変えると新しい発想への道が開けてきます。

もし あの時、あの人に出会わなかったら
・・・いまの自分は何をしていただろうか。
他の仕事をしていただろうか?
イヤやはり いまの仕事をしているに違いない。
ならば 愚痴なんか言っている場合じゃないな
もうひと踏ん張りするとするか。

もし あの会議に出席していなければ
・・・あの会社のあの嫌な部分に気が付くこともなく
会社を辞めることもなかったかもしれない。
しかし それは 決して幸せなことではなかっただろうな。
そう言えば あいつは あの会社の役員になって
苦労しているようだしね。
いまのこの自分で良かったのかもしれないな。

このように 切り口を逆から見るだけで
ネガティブな発想からポジティブな発想に 切り替えることが出来ますね。
仕事に行き詰ったり
生活に疲れたり
人と付き合うことに自信が無くなった時
ちょっと試してみる価値はあると思いますが どうでしょうか。


違和感

驚いたことにマリンくらいの体重だと
PCのキーバードにノッカテモ 全然平気なんですね。
リクの時は 変な文字が画面一杯になって
「ピピピピピ・・・」っていう音がしたんですが
マリンだと 何も起こりません。

軽いんですな~ このまま大きくならなくて
愛くるしさを振りまいてくれればいいのにね。

今回は 違和感 について考えてみたいと思います。
人と会ったとき
この人とは付き合えないなと直感的に思うことってありますね。

これは 論理的なものではなくて
これまでの経験を通じて付き合って良い人と
そうでない人の色分けがその人の中に出来上がっているが故に
直感的に感じ取っているのだと思うのです。

しかし ちょっと大人になってしまいますと
この直感を打ち消すような言い訳を探し出します。
会社の肩書きだったり
過去の実績だったり
人の噂だったりしますが
この人とは付き合えないと感じていた自分を
この人は立派な人のはずだと置き換えてしまうのですね。

でも 付き合っているうちに
再度誤魔化していた違和感がムクムクと目覚め
ある時 決定的な決裂をもたらすことになったりします。

人も動物ですからね直感という奴を
無視するような生活をしてはならないのではないかと思うわけです。

人と出会い
製品との出会い
情報との出会い
全てにおいて違和感を感じたなら
それを誤魔化してはならないではないかと思うわけです。

特に ニュースや噂を見たり聞いたりした時
違和感を感じたなら
その感覚を大切にしなければならないと思うわけです。
でないと 違和感を誤魔化して行動を起こしたとき 
最近は社会環境の変化が早いですからね
後から払わなければならない代償というやつは
手のつけようの無いほど大きくなってしまう
なんていうことが起こると思うわけです。

そう 我々一般庶民は
感性を磨いて 悪意に満ちた外敵から
自分の身を守る必要があるのです。

嘘を見抜く為にも本物に拘った生活をして 感性を磨きましょう!


沈黙を楽しむ

若い頃
お客様と面談していて
予期しない質問をされてしまったときのパニック状態と言えば
そりゃ~もう大変なものでした

必死に質問の本質を見極め返事をしようとするのですが
焦れば焦るほど長い沈黙が続くことになるわけです

居たたまれなくなって収拾のつかない状況のまま
逃げるようにしてお暇するときの格好の悪さといったら
ありゃせんですわな

それが準備万端で臨んだつもりの
打ち合わせだったりしたときには
対人恐怖症になってしまうくらい
ダメージは大きいですわな

そんな逆境をこの歳までどうやってくぐり抜けてきたのかは
もう記憶にありませんが
歳を重ねるにつれこの沈黙の間を
楽しめるようになってきたのは確かです

お客様からの予期しない質問に対して
自分がどんな反応を示すのか
この逆境をどんなふうにしてくぐり抜けてゆくのか
もうひとりの自分が楽しんでいるわけです

予期しない話題を投げかけられたとき
脳みそに汗をかきながら考えている
「この間」を笑いで吹き飛ばせるようになるまで
訓練をせなあきませんわな


騙されるということ

仕事と正面から向き合って取り組んでおられる方というのは
ものごとを深く考える癖がついておられるものです
どんな風に仕事をすれば 家族を守ることが出来て
何をしておけば 外敵から身を守れるか
そして どんな風に変わってゆけば仕事を続けられるか
その答えを持っておられるものです。

ですから人の言葉を聞くだけで
その人の仕事に対する姿勢が見えてしまうんですね
その場を繕うような上っ面だけの心のない言葉なのか
人に対する思いやりから発せられる厳しい言葉なのか
それとも 単に何も知らない無知なだけなのかを
本能が嗅ぎ分けて 危険信号を灯らせるわけです

ところが情報という奴は
美しい衣を羽織って私達の前に現れますから
せっかく本能的に危険だと感じたとしても
この美しく飾られた情報に コロッと騙されてしまうわけです

これを異性に惚れる時と一緒じゃないかとは言いませんが
近いモノがあるやもしれません

美しいモノには弱いですわな ・・・ 仕方ない