2017年9月8日金曜日

ボー

気が付いたんですけど

何をやっても上手く行かなくって
コンチクショーって思って
寝転がったりしたときって
気持ち良くボーっと出来ますよね

いやね
我々って貧乏性じゃないですか
常に何かに興味を唆られていて

あれが欲しいだの
これが面白そうだの
ここに行ってみたいだのと

頭は休みなく働いているんですが

でも
行き詰まってしまって
「ア〜ア!どうにでなりやがれ」
なんて開き直ったときなんかは
ゴクゴク自然にボーっとしているんですね

あの瞬間って気持ち良くありません?

確かに
ボーっとしたその先に待っている
いろんな面倒を考えると
心穏やかではいられないんですが

極度の緊張感の中にあってこそ生まれる
あの心休まる静かな瞬間って
堪らなく心地いいんですよね

だからって
ボーっとしたいからと
いつも行き詰まるようなことをしていたんじゃ
体が持ちませんけど・・・

このボーっとする瞬間を
日常生活の中に取り込めないものかって
ちょっと考えてみたんです

ありました・・・

私たちって
日常生活の中では
常に他人と接して生活しているわけで

そこには
暗黙の了解とでも言いましょうか

心地よく生活するために
何となく相手と同意するということを
当たり前のようにしているんですね

ですから
「あの人ったらね
 こんな失礼なこと言うんだよ、酷くない?」
って言われれば

何となく
「そうだね」って応えているんですね

そこには
相手からの言葉によって
平常心を乱された自分がいるわけです

この連続が
職場であり
友人との付き合いであり
家庭なんですね

ですから
ボーっとしたいと思ったら
平常心を乱される周囲からの行為を
やり過ごす術を身に付ければいいわけです

それは・・・

学生の頃
難しいテストの問題と出会ったとき
頭の中がボーっとなったことありますでしょう?

あれを使うんです

ボーっとしたいときは
いろんな情報が入ってきても
周囲から何を言われても

テストの問題を前にしたときのように
「こりゃお手上げだ」って虚空を睨み
眼の焦点が合わないようにしてから
ボンヤリと相手を眺めるんですね

そうしますと
アラ不思議!
相手のことが気にならなくなって
極自然にボーっと出来るんですね

何と心地よいことか・・・

ただね
相手にこのことがバレると
怒られるかもしれませんからね

そこんとこは
上手くやって下さいや
お願いしますね