2017年1月14日土曜日

古典落語

大好きな古典落語を聴きながら
改めて感心したことがあるんです

それは
同じ演目でも
噺家さんが違うと
全く違ったテイストになるんだなというです

代表的な演目といえば
芝浜、時そば、目黒のさんまですかね

いろんな噺家さんの話を聴きますけど
話の粗筋も分かっていて
落ちも分っていますのに
毎回、同じ処で笑っちゃいますもんね

いやね
思ったんです

上司というのをやっていますとね
部下達からの同じような内容の報告を
何度も何度も受けるじゃないですか

そうしますとね
ちょっとイライラしますから

「その話は、別の人から聞いたよ」とか
「その件は、もう分かったから」とか
「同じような報告を何度もするな」とかね

部下をガッカリさせるようなことを
言ってしまうんですよね

でもね
ひとつの演目を
いろんな噺家さんがやれば
違った味わいがあるように

同じような内容の報告であっても
いろんな人から話を聴けば
いろんな発見がある筈なんですよね

それなのに
「その話は、もういいよ!」なんてやったら

部下は落胆しちゃいますし
そんなことを言う上司には
報告をしたくはないですからね

次第に最小限の情報しか上がって来なくなって
最終的には、部下の気持ちの分からない
ダメな上司へと追い込まれてしまうわけです

やはりね

人の話を
落語の演目を楽しむがごとく聴いてくれる

そんな上司って理想的だと思いません?