2012年11月1日木曜日
大したことではないのかもしれないけれど
大したことではないのかもしれないけれど
良く「頑張って下さい」って
声を掛けてもらいますし
声を掛けることもあります。
でも世の中という奴は複雑みたいでして
どんなに頑張っても到底出来ないことってあるし
端から見て いま頑張っちゃいけないことってあるわけです。
頑張ればクリア出来ることって
実は 準備を怠らず やり続けるモチベーションを維持出来たなら
当初から粛々と進めることの出来た程度のことであって
自分にとって大したことではないのかもしれない
なんて思うわけです。
こんなことを思い始めてからというもの
人に対して「頑張って下さい」なんて
言えなくなってしまったんです。
だってね
そんなに追い込まれたのは準備不足でしょう~
さっさとやりなはれや という気持ちを言い換えて
「頑張って」と言っているような気がするんですな。
ですからね
ゴールまでへこたれずに戦って欲しいと思ったときは
「頑張って」と言わず「けっぱれ~」と言うようになったんです。
言葉に対するこだわりという奴ですけど
考えてみれば 一般的ではないかもしれませんな。
後悔
この歳になってまいりますと
思い出すだけで
口の中が酸っぱくなってしまうようなコトって
山のようにあるわけで
出来るだけ昔のことには触れないようにして
毎日を送っているものです。
ただね
たまに 振り返ってみたりしたときは
あの時 なぜしなかったんだろうかと
やらなかったことを 後悔するより
あの時 いまの俺なら
あ~はしなかったなと 後悔するようにしているんです。
もともと 学校の成績は悪いし
臆病で小心者
昔入院していたとき 看護師さんから「気が小さいね~」と
溜息されてしまいましたからね
順風満帆で人生を終えるなんて 夢にも思っていませんでしたけど
毎日 手を抜かずに生きてゆこうと覚悟していたのは確かです。
ですから
後悔の仕方も 昔の俺と いまの俺は違うんだという前提で
考えるようにしてきたんです。
この考え方は 失敗が多いなと思う人生を送っている方が
元気に毎日を送るための発想のコツかもしれませんね。
でも もし 後悔を一切されない方というのがおられるとしたら
その方は 人のことを何とも思わない 余程の悪人でしょうな。
羨ましくもないですわな。
なぜや
メタボ検診などと 要らぬお世話を国がし始めたもんで
会う人会う人 私の顔を見ながらダイエットの話をされるわけです。
医療保険の破綻を食い止める為には 未病が一番だということに
なったんでしょうけど考えてみて下さいや
大きなお世話じゃないですかね。
私なんざ 小さい頃から 短気で喧嘩っ早かったもんで
人から腫れ物に触るように扱われていましたけど
それが嫌でね どうしたら優しい雰囲気が醸し出せるか
本気で悩んでいたんです。
ですから 存在そのものがフカフカ感のある
太っている方が羨ましくてね
将来 絶対あ~なるぞって誓ったもんです。
ですから 私の今の体型は
世の人から見るとメタボかもしれませんが
私にとっては 理想的な体型なんですね。
だから 私の理想的なメタボ体型を
邪魔しないでいただきたいと思うわけです。
変化を見る
ひとつの企業で長く働いていると
日々の仕事の中で培かわれた常識が
一般社会と大きくかけ離れたものになってしまうということが
起こります。
何事もなければ それはそれで問題ないのですが
大体において 何か突拍子もないことが起こることで
世間で言うところの 非常識が露呈してしまうことになります。
いまマスコミを騒がせている事件のほとんどがそうですね。
井の中の蛙なんていうことわざがありますが
自分の世界観がドンドン狭くなっていることに気が付くのは
これまた至難の業なのかもしれません。
勝手に大きくなった 子供達を見つつ
その接し方を思い出してみますと
仕事に没頭するあまり家に寄りつかなかった時期がありましてね
月に1、2度ちょっと帰る程度で子供達とも
あまり会話をしていなかった時期がありまして
その時感じたのは 子供の成長が異常に早いということでした。
会う度に 体も大きくなりますし 言うことも大人びてきましてね
驚かされた覚えがあります。
どうでしょう自分が企業の中で
井の中の蛙になっていないかどうか
チェックされてみられては ・・・
その為には 子供の成長を感じたいとき
子供と離れてみると良く分かるように
仕事に埋没している自分を見直したければ
仕事から少し目線を外してみることだと思います。
最近は 自分のライフワークを描くということを
子供の頃から教わるそうですが
仕事で忙しい大人達も時間を作って
自身の棚卸しを冷静に行い
ライフワークを描き直してみる必要があるのかもしれませんね。
誇り
人というのは
昨日より今日
今日より明日
明日より明後日と
日々成長してゆくという前提で
自分の人生設計をしているものだと思いますが
我々の周辺に目をやると驚かされてしまいます。
この改善案は前例がないので脚下
本件は過去の判例によると執行猶予が付くのが当たり前
それは昔 チャレンジした人がいて上手く行かなかったから
止めておけ・・・などと
世間は過去の事例に縛られていることに気が付かされるのです。
会社ですと 何か斬新な新規事業の提案を求める
なんて言っておきながら 上がってきた企画に難癖をつけて
社員に期待した私が馬鹿だったと
二度と社員の言うことに耳を貸そうとしない経営者のなんと多いことか。
何かモヤモヤしますよね。
言っていることと やっていることが違うじゃないかってね
政治家に対して 同じコトをよく言っていますけど
私達も同じようなことをしているわけですな。
「私はこうすべきだと思う」と本気で思うなら
人を説得する準備をし 人を説得して歩き 人を集めて
他人からの誹謗中傷と堂々と戦い どんなに時間が掛かろうと
必ず実行し結果を出すと自分と約束することですね。
それが 誇り高き人生を送るコツのような気がしています。
出来ることは少ないけれど
鏡に映る自分の顔をボンヤリと眺めますと
歳を取ったな~としみじみと思うわけです
顔には皺が増え
顔の面積も増え
お腹の肉なんかは驚く程余裕があります。
バリバリ仕事をしていた若い頃と違って
いまは切れ味も鈍くなり
何となくのっくりとした仕事の仕方になってしまっています。
こんな歳を取った私が
これは良かったかなと思うことは
成人した子供達を 社会人の先輩として支援できることが
増えたことでしょうか。
これってどういうこと?
なぜこうなっているの?
絶対許せない!どうしてこうなの?
初心者マークの若者には 年寄りのつぶやきが必要なんですな。
いまの私の生き甲斐は 子供達とのコミュニケーションなの
かもしれません。
いつ 五月蝿いと言われて無視されてしまうかもしれませんけど
それまでは ちょっと贅沢な時間を堪能したいと思います。
モチベーション
仕事という奴は不思議なモノで
コトがうまく運ぶときは何をやってもうまくゆくといいますか
世間が自分に味方してくれている思ってしまうものです。
しかし 一旦 躓きますと
これまた不思議なモノで何をやってもうまくゆかないといいますか
ツキが逃げたっていう感じでしょうかね
アカンって感じになりますな。
いずれにしても どんな状況に追い込まれても
仕事と謙虚に向き合ってさえいれば
次のステージに自分を誘ってくれるものだと思うのですが
ただ 外野がね~五月蝿いんですな。
「前回の好成績は あれはタマタマだったんだね」とか
「君は期待したほどじゃなかったね」とか
「スランプなのかぁ まぁ人生いろいろあるからな」とかね
他人というのは無責任なものですから
人の気持ちをズタズタにするわけです。
こんなとき 戦うビジネスマンは
自分のモチベーションを上げる方法というのを
必ず持っておかなければなりませんね。
料理やスポーツといった趣味に没頭するのもひとつだと
思うのですが私の良くやる手があります。
それは仕事の道具を替えることです。
シャープペンシル 消しゴム 筆箱 ノート
カッター はさみ 等々いつも使っている道具を
換えることで気持ちを切り換えることができ
新たな気持ちで仕事に臨むことが出来るんですね。
今回 大型のモニターを用意してPC環境を大幅に変えましたけど
正に 私のこだわりというわけです。
ミス
どんなに順調にモノごとが進んでいたとしても「このミスは人生最大のピンチ」なんていうことが必ず起こるわけでそれは どんなに真剣に仕事をしていても起こるものは起こるのです。
起こったミスに対して 周りのモノが怒ってみても何ら問題解決にはなりませんからやはり根本的な対応策を講じる必要があるわけですがこれは大変なストレスの掛かる仕事ですから 生半端な覚悟では乗り切ることができません。
ここで手を抜くと 回り回ってこっぴどくやられてしまうということも我々は体験から知っているわけで 一生懸命対処するしかないわけですね。
ただ たまにその場の機転で簡単に乗り越えることができたりするからややこしい。なんと問題解決の先送りが出来てしまうことってあるわけです。
今回の原発の津波対策やオリンパスの不正経理などがそうでしょうけど問題解決策の先送りをしてしまうと やはりコトをさらに複雑にしてしまうということも事実なのです。
政府や大手企業なら 長い間 誤魔化し続けることも出来るかもしれませんが我々のような一般人は心しておかねばなりません。
人生という奴は 機転を利かせてうまく誤魔化したコトほど 後から 手の施しようもない大きなトラブルとなって襲ってきて 我々を完全なまでに駆逐してしまうという人の世の習いがあるのです。
今日と明日は同じだと考えることを止めてみる
サラリーマンとして働いていた頃の私はお恥ずかしいことに
朝 無事に出社出来ることで
1日の仕事の8割は達成されたくらいに思っていました。
そこには 会社というのは未来永劫私の前に存在し
毎日無事に通勤し与えられた仕事を消化することで経験を積み
出世をし 年収が増えてゆき定年時には退職金をもらって
悠々自適な生活に入るそんな漠然とした
ライフプランがあったように思います。
まぁ~ いまの時代は情報が氾濫していますから
私のようなアホなサラリーマン生活をされている方は
おられないと思いますけど どこかに自分の属している会社や組織は
未来永劫消え去ることことはないと考えてしまっていますね。
昨日も今日も明日も同じだということはあり得ないわけで
恐ろしいことですが 自分の生活の糧となっている会社や組織が
ある日突然無くなったとしたら さて自分はどうするべきかということを
考えておくべきだと思うわけです。
でないとね いざ そんな状況に追い込まれたとき
見てられないような醜態を世間にさらすことになるのです。
そうならないためにも シミュレーションは不可欠ですね。
食事について
15年前に 海老・蟹・青魚の類が全く食べられなくなりました。
本当に急になんですがアレルギー反応を起こすようになったんです。
病院の先生は、あなたは一生分の海老・蟹・青魚を
食べてしまったからもうこれ以上は食べられませんよ。
無理をすると大変なことになるこもしれません
残念ですが これからは避けて下さい ・・・
何ということでしょう大好物の海老・蟹・青魚が
ある日を境に一切食べられなくなってしまったのです。
いやね こうなってからですね
本当に楽しく食事が取れるようになったのです。
もちろん 蟹の鍋を美味しそうに食べている食卓で
ポツンとひとりで漬け物なんかを囓っていると
ちょっとイライラはしますけどでも
人が美味しそうに食べている姿を眺めているだけで
何か幸せな気分になるんですよね
考えてみれば 食というのは 生きてゆく為の基本ですから
楽しく食べて 楽しく会話し 楽しくお茶をすることが
大切でオーガニックだとか 高いステーキだとか
そんな外的な付加価値なんか要らないですね。
楽しく食べて 大きな声で笑って
ホンワカとした幸せを感じるということは人が
生きてゆく上で 大切なことなんじゃないでしょうか。