2012年11月6日火曜日

想定外っていう言葉


朝が弱いのは

世の中 朝が弱い方って多いですよね

私も 若い頃は
朝が苦手でして 遅刻しないために
会社の近くのアパートに引っ越したりしましたが
その甲斐もなく 良く遅刻していましたね

でね その理由を考えてみますとね

何のことはない
毎日の仕事が辛かったからに過ぎないんですね

少し歳を取り
少し経験を積み少し賢くなりますとね
仕事が楽しくなってしまいましてね
飲み会なんかで どんなに遅く帰っても
翌日は サッと目が覚め 会社に行くようになりましたもんね

そういえば
旅行に行くときや友達との約束がある時って
チャンと目が覚めますモンね
とにかく楽しいことをやっている人は
朝が弱いなんて言わないもんですわな

ならば
仕事が好きになってしまえさえすれば
「朝が苦手なんです」なんて言わなくて済むのかもしれませんね。

「私は 仕事が大好きである」って
自分に毎日 言い聞かせましょうや。



運という奴

運というのは
いつ現れるか分からないから
これだって思ったら しっかりと捕まえて放さないことだって
昔 教わりましたから

運が来ないか目を皿のようにして ジッと待っていたわけですが

ひとつ気が付いたことがあります
それは運という奴は
待っている奴のところにはなかなか現れないということです。

どうもね
運という奴と会いたかったら

何事においても
「モタモタしない」と堅く自分に言い聞かせて
行動することの方が大切みたいなんですね

「誰かこれやってくれるか?」って言われたら
ひとまず「ハイ! 私が挑戦します」って手を挙げる

その後
詳しい話を聞きながら
ひとりで出来るかどうかを考え
出来そうになかったら仲間を用意してもらえばいいわけです

このノリがね
運を振り向かせる効果があるみたいですよ

どんなに実力があっても
どんなに優秀であっても
どんなに将来が有望だと言われていても

能書きばっかり垂れて 行動に移さず
モタモタしている奴の処にはチャンスなんか来ないんですわな。

派手な失敗をして
シュンとなった経験が多ければ多いほど
人の痛みや悔しさを感じ取ることが出来るようになりますしね
何より 成功への強い思いってぇ~もんが生まれるもんですからね
運てぇ~奴も 面白がって近づいて来ようってぇもんです。

必要なのは余裕やろ
電車に乗ったとき
空いてる席に 見事なまでに体を移動させ
あっという間に座ってしまう方って見るわけですが

あれって「美しくない」んですね

私も
空席で満席だった場合は座ることもありますが
人をかき分けて席を取るという行動は
私の中では「美しくない」となっているんです。

いやね
厳しい仕事をやっているときって
フト感じることがあるんです。

「ここは 私が出しゃばるより
 彼に任せた方がコトがうまく運びそうだ
 若干の意見の相違は 仕事を進めながら調整しよう」ってね

この感覚を持てるようになってからです
やると決めた仕事を最後までやりきることが出来るようになったのは

そうなんです
主管の座を サッと渡せる覚悟を持つって
実は 余裕がないと出来ないことかもしれないんですね

チャレンジする仕事という奴は
容赦なく その人の実力を丸裸にするというところがありますからね
爽やかに いつでも適任者に自分の立場を譲る覚悟こそが
プロジェクトを成功させる秘訣なのかもしれません。




愚痴や不満と付き合う

もともとそんなに賢い訳じゃありませんから

人から褒められれば木に登りますし

人から非難されればメチャメチャ落ち込みますし

影で悪口を言われていることを知りますとね
世界が敵になった気分になってしまうのです

ですからね
もう覚悟していることがあります

それは

何をやっても愚痴や不満はつきものである

賢い奴ほど人の欠点や間違い探しが好きで
それを指摘されて嫌な顔をする相手を見るのが好きである

そして
自分が思っているほど人は自分のことを気に掛けてはいない

こんなことを頭に入れてですね
そんな事実と向き合うことになったなら
全部飲み込んでしまって自分のエネルギーにしてやるって
覚悟しているわけです。

もうお腹パンパンになるくらい
飲み込んでしまっていますからね。
フルチャージっていうとこですな。

そろそろ フルスロットルで走りますかな・・・




想定外っていう言葉

3.11以降
想定外という言葉は
何か言い訳をしたいとき出てくる言葉のひとつという
変なイメージが出来上がってしまいましたね

本来は
別の使い方をして欲しいなと思うんですね

例えば
想定外とは 新しい出逢いの始まる切っ掛け
想定外とは アナタが挑戦を続けている証拠
想定外とは パラダイムシフトの尻尾

いずれも
これから始まる変化にワクワクしているわけで
不安もあるけど やってみなきゃね

なんて
想定外に出会った自分を喜んでいるわけです

実は
マイルストーンっていう名前も
人生これからどうしますかという一里塚の前に立ったとき

「やばい」と思うより
「チャンス到来」と思う自分になった方が
 お得ですよってお教えしようと思いましてね 付けたんですが

考えてみれば
変化を好まない方にとっては
マイルストーンという言葉は
トラブル発生 人生の転機 危機といった
ストレスにつながる言葉とも捉えられますね

想定外という言葉も
前向きな言葉として 早く復権を果たして欲しいモノですよね




言われてみれば当たり前

人との話の口火を切るとき
人の悪口から入りますか?
それとも吉報から入りますか?

「本当に頭にくる 彼奴はこんなこと言うんだぜ」がいいのか

「そういえばね こんなオモロイ話があったぜ ワイルドだぜ」
さて どっちが耳障りが良いでしょうかね

確かに
ヒトの悪口というのは
蜜の味ですから何となく気になるものですが

でも
考えてみて下さいや
目の前で悪口を言っている輩が
他でも同じように自分の悪口を言っているだろうなって
思ったらぶん殴りたくなりませんか?

どうしてもネガティブな思考が優先してしまう方と
お話をさせていただいたときの四方山話のひとつです。




偏見かもしれませんがね

これまでいろんな方とお会いしてきましたが
この人とは一緒に仕事をしたいなって思う人には
ひとつ共通することがありましてね

どうも そのことが
私の人付き合いの基本になっているみたいなんで
ちょっと戯れ言を戯れ戯れとしておきたいと思います

実はね
こいつは良く仕事をするし
向上心も人一倍強いからよく勉強もするし
相手の立場をよく考えて発言するんで人付き合いも上手いし
信頼度も高いなかなかの奴やと思う輩というのは

大体において出不精なんですね

いや 言い方が違うかな
気を許している人とは いくらでも一緒にいるくせに
付き合いで飲むとか 接待をするということを極端に嫌うんですね

ですから
人から見ると 出不精のように見えるんですな

まぁ~言い換えるなら
自己鍛錬のために無駄に時間を費やさないように
しているとも言えるかもしれません。

世間体からすると
偏屈な奴ということになるやもしれませぬな。

でもね
ワテなんかは
何をやるのも人の何倍も掛かりますんでね
仕方ないから 人付き合いを極端にまで削って
その分 人が簡単に終わらせてしまうことを
何度もやり直しながら 効率悪くやっているんでね

そう
ワテも世間の常識からすると
出不精ということになるんだと思います。

ちなみに
ワテは 出不精であって デブ症ではござんせんぞ。



あっ それ簡単!

「私は人生を変えたいと思っています
 どのようにすればいいのでしょうか」って
 相談を承ることって良くあるんですが

これって実に簡単な話なんですね

人生を変えるってどうすればいいかと言いますと
いま 自分と係わっている方々と縁を切れば良いだけのことです

付き合っている人が変われば
自ずと自分の生き方も変えなきゃいけませんからね
振り返ってみれば 人生という奴が変わっているわけです

では
自分と係わっている方というのはどのくらいいるんでしょうか

何のことはない
自分の生活空間に登場する人達のことですからね
多くて数十人程度の話です

その程度の人数の方と
いつも向き合って仕事や話をしているから
自分の世間が狭くなってしまっているだけで

ちょっと人間関係でトラブルでも起これば
「あ~ 人生を変えたい」なんて思っちゃうんですな

変えたきゃそこから出てしまえばいいだけのことですわ。



振幅

まだ元気に生きていますんで
「一生を振り返ってみて」という発言は出来ないんですが

どうも人生という奴は
良く言われるように
バランスが取れるようになっているらしいんですね

何か問題が目の前で起こるじゃないですか

その時
問題解決の責任を人に押し付けて
その場を逃げたりするとするでしょう
そうしますとね

その時は
なんとなくしてやったりって感じがするんですが
残念なことに 時を経て 忘れた頃に そいつはやってくるんです

それも
昔の問題以上の難易度と責任の重さを引っさげましてね
自分の前に登場するわけです。

こんな経験をしますとね
人生という奴も 押し並べてみて
 ±ゼロ なんだろうなと思うわけです。

でね 思うわけです
どうせ生きてゆくなら
 ±の振幅は 大きければ大きい程 オモロイやってね。

普通の生活が送れることが一番だと
頭では分かっちゃいるんですけどね
本気で普通の生活が素敵だと言えるには
浮き沈みの激しい人生を味わってみないことには
本当の意味で その有り難さは分からりませんわな。




天は我々を見放した

このフレーズは
新田次郎の八甲田山死の彷徨にあった一節だと記憶していますが
ホワイトアウトの中で 大量の死者が出てしまう
強烈なシーンの中で発せられた言葉でしたね。

多分 学生の頃だったと思いますけど
新幹線に乗ったとき読み始め
降りる頃には読み終わってしまうほど
面白くて集中して読んだ本なんですよ。

でね
いったい何に感動したかと申しますとね

「もうこれで人生が終わるかもしれない」という
危機的状況に追い込まれたとき
その人の人間力というものが見えてくるということに
感動したわけです。

自然の前には
人間は全く無力でしてね 一旦狂い始めた自然は
容赦なく 徹底的に人間を抹殺してしまう凶暴さには
本当にショックだったですね。

でね 思い出したんです
良く言うじゃないですか
その人の将来というのは
それまでに乗り越えてきた修羅場の質と量によるとね。

また
修羅場というのは
その人の器に合ったものしか用意されないとも言われていますね。

ですから
部長には部長なりの
課長は課長なりの
平社員には平社員なりの
修羅場というモノが用意されるということなんでしょう。

ですので
我々のような一般庶民が
もうアカンわと思うようなトラブルと出会ったなら
逃げるのもありでしょうし
過ぎ去るのをジッと待つというのもありでしょう
あるいは 堂々と戦うのもありというわけなんですね。

ですからね
思うわけです
自分が修羅場と思うような状況に追い込まれましたなら
次の飛躍を招き入れるチャンスの到来と考えるだけの
余裕を持てということでしょうね。