2012年11月2日金曜日
話しやすい人とそうでない人
スパークする瞬間
いろんな方とお会いしお話をしていますと
予期していなかった言葉を聞かされ
思わず息を飲む瞬間というのがあります。
私の中では スパークしたと言っているんですが
この瞬間が楽しみだからこそ 人と会っているのかもしれません。
何と言われようとも
前のクライアントさんの話なんですが
最後のレポートの締めくくりとして投げかけた言葉が
人を育てるには 多くの時間と良き指導者 それとお金が掛かります。
でも 投資したからと言っても 人というのは
なかなか育たないのが現実であり
組織としては社員教育は必要なことと分かっても
継続的に投資するのは難しいというのが正直なところだと思います。
ただ ひとつ 効率的に社員教育をする方法があるのです。
それは 仕事で活用する道具を 積極的に最新のモノに交換することなのです。
事務用品 制服 PCといったものを
タイミングを見計らいながら新しいモノと入れ替えますとね
いろんな形で効果が現れるのです。
誰もが慣れた環境で同じ仕事をし続けると
知らないうちに 何かを諦め 何かに妥協し
そして どこかで我慢してしまうものなんですね。
「今度PCを入れ替えるから データの整理のついでに
机の整理もすること」なんて社員に通達しましたら
そりゃみんな必死に整理整頓しましてね首を長くして
新しく入荷されるものを待つものです。
いやね 「ついでに 何か 困ったことがあったら言ってくれ」と
付け加えますとね そりゃ~ いろんな文句が出てくると思いますよ。これこそ 寄り道なしの社員教育と言えますがな。
役どころ
能力の限界と思いながら仕事を続けている方って
結構おられると思うのです。
もちろん私も例外ではなく 世の中の変化をいろんな形で覗き見をしながら
ひと昔前のように最前線で戦っていたら 討ち死にしているなと思う毎日なんです。
でもね
この早い変化に 恐れをなしていて何もしないわけにはいきませんからね
いろんな挑戦を日々繰り返しておられることと思いますが
微力ならが そんな皆さんの現状を打破するための発想の転換を
ご支援させていただいているわけです。
そんな中
ひとつ気が付いたことがあるのでお話しておきます。
「どうしたらいいんでしょうか」と立ち止まっておられる方に
共通することがあるのです。
それは
皆さん 必死に考えに考え いろんな情報と接している内に
もう頭の中が目一杯になっておられるということなんですね。
そう
コップに水が一杯に入ってしまっていて
もうこれ以上入らないという感じでしょうか。
ですから
こういう状態に追い込まれておられる皆さんとお会いして
私が最初にさせていただくことは このコップの水を床に零すことなんですね。
そうしますとね
頭にも 気持ちにも 態度にも 少し余裕が生まれるんですな。
血走っていた目に 生気が戻ると 自ずと次のステップが見えて来るわけです。
考えてみますと
私の役どころは コップの水を零すお手伝いをする
間抜けなウェイターというところでしょうかね。
意見を言うということ
会議や打合せの場で意見を求められることってありますね
その時 質問に対して自分の思い付いた言葉を
ただただ語ればいいというものではないのが
プロの仕事人ということになるんでしょうか。
相手が理解し易い言葉を選び
相手に伝わり良い言い回しをし
相手を納得させるしゃべり方をしなければならないわけです。
ということはですね
相手が本気で自分の意見を聞きたがっているかどうかも
コミュニケーションが成立するための大切な条件ということになるわけです。
でもね
この情報化社会においては もうひとつ条件が加わると思っています。
それは 全ての情報は公開が前提になっているわけですから
意見を求める側も 意見を述べる側も 第三者がその内容に触れたとき
両者の話している内容が理解出来る必要があると思うわけです。
本当の仕事のプロというのは ここまで配慮して仕事をすべきだと思うのです。
いやね
経済産業省原子力安全・保安院がまとめた
関西電力大飯原発3・4号機のストレステストに対して
内閣府の原子力安全委員会が質問する検討会での議論の内容を読みますとね
俺たちプロのやることに 素人が口を挟むんじゃねぇ~という姿勢が
ハッキリと見て取れますんでね チョットイライラするわけです。
あんたら専門家であっても本当のプロじゃないって思うわけです。
運という奴
面倒くせぇ~
オレには向いていないと思うんだよな~
これはやりたくないやなぁ~
こんな風に思う仕事の中にこそ運が潜んでいると思うのです。
これこそが俺のやりたかった仕事と思った奴ほど
始めようと思った途端 ゴタゴタが続いてやる気を削がれるもんです。
スピード
この情報化社会においては
スピードが命と言われますから
必然的に「これはいける」と閃きましたら
すぐに行動に移すというのが原則だということになっています。
でもね
私は 行動を起こす前に必ずひと呼吸を入れるべきだと思うのです。
いやね
その閃きに功名心や虚栄心 私利私欲が紛れ込んでいないか
そいつを チェックする必要があると思うのです。
私欲という奴は 得てして簡単に具現化されてしまうものですから
私欲を手に入れた途端 さらに大きな欲に支配されてしまい
あっという間に 破綻へと向かうものです。
自分の中に根付く 自分勝手 と向き合って
閃きを ビジネスの種として
社会への貢献として
そして 自分の将来像として描いてみる必要があると思うのです。
スピードが求められるのは決断を急ぐことではなく
考えることを棚上げにして 掘ったらかしにせずに
すぐに考え始めよということだと思います。
池を見ながら
若造の頃
京都のお寺で お庭の池の中を泳いでいる鯉を見ながら
ボンヤリと考えたんですね。
生きて行くには水がいる
いま生きている世界は この庭の この池の中
一生この池の中で過ごすのが鯉の宿命とするなら
さて
私のいま住んでいる池は狭いのか広いのか
それとも 頃合いの良い広さなのか
私の生き様は
この池の中で一生を送ることより
この池をどうしたら広くできるか
この池から川へ 川から海へと どうしたら羽ばたけるか
いや 水の中の生活を止めて どうしたら自由に動き回れる陸に上がれるかを
考え続け挑戦し続けることやな
なんてね
アホなことを思ったわけです。
その後 本当に挑戦しちゃいましたからね 若気の至りですわな。
仕事がいやになったら
仕事の壁にぶち当たると
ちょっと手を抜きたくなりますわな。
だからといって
昨日と同じコトをやっていたら
お会いする方々にバレちゃいますしね
特に一緒にやっている仲間に冷たい顔をされてしまいますからね。
イヤイヤだろうと何だろうと
大きな深呼吸をして 読みかけの本のページを開くわけです。
仕事なんてね そんな風に続けていると
いつの間にかプロと言われるようになるわけですわな。
聞くか聴くか
営業活動でお客様にお伺いすることを「訪問する」と書きますが
最近の営業マンは「訪門した」と書くような
「問う」ことをせず 会社の「門」を潜って言いたいことだけ言って帰ってくる
そんな営業マンが多いんですね。
実は
人の話を「聞く」だけでも難しいんですが
「聴く」というのは本当に度胸が必要なんですね。
「聞く」ということは 学校教育でズッとやっていますからね
人が喋ることをジッと聞いているということには慣れているんですね。
でも
営業活動で聞いているだけではダメですし
お客さんに聞いてもらっているだけでもダメすよね。
ここを誤解されている方が多いと思うわけです。
最近はノートPCにプレゼン用のパワーポイントを用意して
お客様の前で朗々と喋ると営業マンは仕事をしたつもりになるんですね。
お客さんは私の話を聞いてくれたと満足してしまうわけです。
そう 聞いてもらっただけで お客様の話を聴いていないんですね。
聴くというのは お客様の意見に耳を傾けるということですから
お客さんに自分の意見を喋ってもらえるように
質問を投げかける必要があるわけです。
まぁ 情報化社会の発達によって
ネット上で売り込みたい情報を公開しておけば
欲しい人が勝手に検索して 勝手に注文してくるなんて
ヘンテコな常識が蔓延してしまいましたから
「聞く」も「聴く」も違いはないのかもしれませんけどね。
この歳になってやっと気が付きました
最近ドラッガーに関する本やHPを覗くことが多いのですが
先日 ハッと気が付かされたことがあるんです。
Theories follow events.
ドラッガーの言葉なんだそうですが
考えてみますとね 我々が本やHPの情報を読むときは
実は 彼の語っていることを あたかも古くからある理論のように思って
一生懸命理解しようとしているんですが
多分 ドラッガーさんにとっては自分の経験や検証を繰り返す中で
体系立てることが出来たものを発表されているのであって
「これはこの世の理論でございやす」とは仰っていないんですね。
どうしても ビジネス書を読むとき
学生時代の勉強の癖が抜けなくて 教科書や参考書を読むように
一生懸命記憶して覚えようとしている自分がいるんですね。
なぜなら 書かれていることは ビジネスシーンにある理論だから
あるいは 公式 定理だからと勝手にどこかで思っているんですね。
Theories follow events.
理論は現実に従う
そうなんですね ドラッガー氏の語っておられることを
鵜呑みにするのではなく 自分のこれまでの経験や
これからのビジネスシーンの中で検証し結果が得られたものを
もう一度自分の言葉で言い直す必要があるんですな。
理論は現実に従う
この言葉を受けて 私なら
失敗して初めて理論の真実と虚偽を知る となりますかね。
ただ ひとつ言えることは
ドラッガーほど ワテは賢くないから
彼の言葉を信じて 飲み込むしかないということですな。
食生活に大きな進歩なし
学生時代のひとり生活は お金が手に入ったらまず
お米と味噌 醤油 調理酒 塩 胡椒
それと サラダ油 マヨネーズを確保し
インスタントラーメンのいろんな味を30袋買っていました。
社会人になって 何度かあった単身赴任では
お米と味噌 醤油 調理酒 塩 胡椒
それと スパゲッティ トマト缶 鷹の爪 オリーブオイル ニンニク
後は インスタントラーメンと素麺 冷凍うどんを常備しておりましたな。
いやね スーパーに行くと 本当にいろんな種類の
インスタントラーメンが並んでいるじゃないですか
それを見ていますとね ひとり暮らしをしている頃
本屋に入って気に入った本を手に取っては
食費にするか 本を買う費用に充てるかで迷ってしまい。
インスタントラーメンを後何日間食べ続ければ お金が入るかな?
なんて考えていたことを思い出します。
ご飯の上に 何にも具の入っていないラーメンを掛けて
グチャグチャにして混ぜて食べると結構美味しかったりするですな。
また キャベツに塩胡椒をして炒めて ご飯の上にのっけ
マヨネーズを掛けて混ぜ合わせて食べると これが結構いけるですな。
いま考えてみると まぁ 腹が減っているから
とにかく何か胃袋に入れておこうそんな感じだったんでしょうね。
そんな経験がありますもんでね 仕事に出掛けるときは
「よぉ~し 今日はお米代を稼ぐぞ 明日はラーメンやな」
なんて 自分に活を入れて出陣しているんですよ。
しかし ホンマニ 最近のインスタントラーメンは旨いですね。
昔と何が一番変わったかと言うと それはスープに薬臭さが
無くなったことではないでしょうかね。
いまのスープは 飲み干してもお腹が痛くなりませんもんね。
そう考えると 昔はどんな成分がスープに入っていたんでしょうか?
少し心配になりますな。
いまも 一日に一回はインスタントラーメンを食べています。
若い頃と あまり違わない生活をしとるということでしょうね。
ありがたいこと
人生において
何度かは四面楚歌の状況に陥るもので
そんなときは
もう俺の人生は終わった
もう手の打ちようがない腹を切って世間にお詫びする などと
いろんなことを考えるものです。
もがき苦しみながらも その場を凌ぎ
時が過ぎて振り返ってみたとき
四面楚歌と思っていた状況が
単に自分の視野の狭さによるものだったと気が付くのが普通でね
なってこったと愕然とするものです。
なんだ 通り抜けることの出来た隙は
たくさんあったんだと気が付くわけですな。
ただね 追い込まれているときというのは
視野が狭くなっていますので
絶望感の方が先行し 冷静さを上まってしまうものです。
いつの日にか いまの俺を必ず笑い飛ばしてやるぞと思える自分がいると
いいんですけどね~。
もう 俺は終わったと思って
絶望感に苛まれている そんなとき
「あんたが居たからいまの私がある 本当に感謝している」と
そんな言葉を投げかけてくれるような人が 不思議と必ず現れるのです。
真っ暗な闇の中に一筋の光が差し込んできたような気になりますよね。
世の中に神という存在があるかどうかは良く分かりませんが
間違いなく言えることは 神の指示かどうかはわかりませんけど
そんなメッセンジャーが現れ 落ち込んだ自分に活を入れてくれるのです。
一度でもこんな経験をした方は
生きていることに素直に感謝をし
恩返しの意味で人に対して優しい気持ちで接するようになりますわな。
でも 一方で
評論家気取りで
「こんなの大したことないよ 君はこれで終わるような奴じゃない」
なんて抜かす輩には
心底 腹を立てることになってしまいますわな。
赤字覚悟だと黒字になる
「損をしてもいいからやる」
というオモシロイ仕事という奴は
最初は確かに赤字になるかもしれないと思うんだけど
いろんな人が認めてくれるようになると
いつの間にか 黒字になってしまっているんだね。
これこそが 理想的なオモロイ仕事やね。
単純ですから
プレゼン用にコンテンツを作るじゃないですか
そうしますとね それについていろいろいう人が現れるわけです
「これはちょっと違うな」と言われますでしょう
そうしますと 落ち込んじゃうわけです。
でもね
「なかなかいいと思いますよ」と中には言ってくれる人がいるんです
そうしますと 違うなと言われたことを
すっかり忘れてしまいルンルン気分に大変身するわけです。
もう そうなったら「いい」と言ってくれた方の意見を
ドンドン取り入れるんですな。
ですからね何か人から見せていただいたら
まず 「いいですね」と言うことですね。
そうしますと その後に続く意見を
素直に受け入れてくれるものです。
話しやすい人とそうでない人
自分の日頃の醸し出している雰囲気を考えてみますと第
掛けにくい人なんでしょうね。
なぜ そうなのかと考えてみますと
四六時中 何か仕事のことを考えているからか
いつも厳しいビジネス顔なんですね。
それに 体がデカイし 話し方もぶっきらぼうですからね
どこか威圧的な空気を出しているんじゃないでしょうか。
家電量販店にゆきますとね 私が買う気満々のオーラを
出しているにも関わらず 私と関わりたくないと思うのか
店員の方が一切近づいて来ようとしないんです。
私から「ちょっと!」なんて声を掛けると
シマッタって顔をされてしまうんですよ。
ホンマニ失礼やと思います。
昔 会社の中で大きな声で怒鳴り散らしていましたから
当時の頑固ジジィの雰囲気が残っているのかもしれませんな。
いやね人から話やすいと思われる人と
そうでない人とでは人からいただける情報や知惠が
違うんじゃないかと思っていましてね。
多分 もの凄く違うと思うんです。
そういった意味からすると ワテは間違いなく
損をしてきたなと思っております。
ですからね
最近は コンビニや家電量販店 百貨店で
何か暇そうな顔をした店員を見掛けますとね
こちらから声を掛けるようにしているんです。
「オイ なに仏頂面しとんの
何かオモロイ話を聞かせてや」ってね。
これって 世のためになっていると思いません?