2012年11月3日土曜日
規制という奴
勇気
子供達が小さかった頃
アンパンマンが大ブームでしてね
3倍速のビデオに録画して1日中アンパンマンを流していました
お陰さんで
子供達の発言は アンパンマンが喋っているみたいでしてね
いつも的を射た発言をするわけです
「文句ばかり言ってないで 夢をもたなきゃダメよ」とか
「バイ菌マンにやられるのは油断しているからよ」とか
「うまくいかないのは 勇気がないからよ」なんて
ドキッとするようなコトをいつも言われていたわけです
いやね
自分でゼロから暖め育ててきたビジネスモデルが
どうも行き詰まったかなと感じたとき
ここらで方向転換すると判断するか
よし新しい企画を練り直すとするか
いやいや撤退も含めて検討するか の
いずれかで判断をしなければならないわけですが
ここで 聞こえてくるわけです
「勇気を持って判断しなさい」と
アンパンマンが乗り移った子供達の声がね
ある時は
この声に助けられ
ある時は この声に悩まされ続けたわけです
いまこそ
でかくなった子供達に アンパンマンの声を返してやりたいですわ
「勇気を持って生きろ」ってね
ニンマリ
通勤時間帯に新幹線に乗りますと
いつもの駅前の空きスペースに
自転車がたくさん停めてありましてね
おじいさんが 何かブツブツ言いながら並べ直しておられんです
どうも
駅から派遣されている係の方で
放置自転車を止めるように指導している方みたいなんですね
でも
自転車に乗って来た方が
その係の方に声を掛けられても
全く無視してしまい
自転車を停めてさっさとその場を離れてしまうもんだから
仕方なく ブツブツ言いながら整理されているみたいなんですね
確かに
その場所には 看板が置かれていましてね
そこは 放置自転車を取り締まるエリアであると書かれているんです
でも 自転車で駅前まで来られている方には
関係無い看板なのかもしれませんね
ある時
おじいさんに言ってみたんです
「ここの看板換えてみたらどうですか
ここは廃棄自転車を置く場所です
ご希望の方は自由にお持ち帰り下さい とね」
おじいさんはしばらく考えてから
ニンマリされましたけど
その後も 少しうつむき加減に
自転車を整理されている姿を見ますんでね
今後も看板を換える予定はないようですな
オモロイと思うんですけどね
理解するということ
こんなに情報が簡単に入手出来るようになると
知らないことに対するハードルが低くなりますから
ついつい知っているだけで
分かったつもりになっていることって増えたような気がします
そう
ビジネスにおいても知っているだけの人が
増えてしまったということです
一方で
実践に耐えられる知識を身に付けた人というのは
少なくなったということかもしれません
例えば
オムレツを作るレシピを読んだだけではオムレツは出来ないですよね
材料を揃えて
道具を用意して
実際に具材をカットして
フライパンに火を入れてと
レシピ通りにやっているつもりなのに
出来上がった卵料理を前に呆然とすることを
繰り返すことになるわけで 間単にはいきませんわな
でも 失敗を繰り返すうちに
徐々に あの美味しそうなオムレツの姿に整ってゆくわけで
モノごとを理解するということのハードルの高さは
なかなかなもんだということです
要は
チョット調べてから
実際に五感を使って体験してみて
何度も失敗を繰り返すことで
徐々に腑に落ちるモノへと変わってゆき
最後は習慣になったと言えるところまで行けて
はじめて理解できたと言えると思うわけです
今の世の中
ホンモノとエセとの違いをろくに知りもしないのに
知ったかぶりをする ちゃらい奴って多いじゃないですか
そんな奴らを見ているとイライラするわけです
特にテレビのバラエティーに多く登場しますわな
でね
フト思ったんです
ホンモノとエセとの違いが分かる人というのは
その違いを嗅ぎ分けられるだけの経験者か
その違いを本能的に嗅ぎ分けられる勘の良い人ではないかということです
ですからね
チャライ奴らが群がっているような処で
ホンモノとエセとの違いを解いたところで意味ないわけですが
ひとつ
言えることは
これからの世の中は
分かったつもりになっている素人の方に向かって
プロ達が高位なウンチクを垂れるようなビジネスが
ヒットする時代ではないかということです
要は
自分の興味のある事柄について
それを知らない人達に向かって
知ったかぶりをする
これを サポートするビジネスモデルがヒットするということでしょうな
余韻に困る
ネットが普及したことで
社会人になったばかりの頃の自分と比較して
文字に触れ合う機会というのは驚く程増えたように思います
昔ながらの新聞でしょう
書籍に雑誌
それに Webニュース HP メルマガ Twitter facebook
さらに 電子書籍ですからね
情報と触れるだけで もの凄く忙しくて
何か 毎日 追いまくられているような気がします
この他に ポッドキャストがあって
TVがあったら 情報の入手だけで1日が終わってしまいますわな
まぁ~
見方を変えれば
こんなに 情報にアンテナを立てたところで
大したことしているないわけはないのでね
無駄に時間を使っていると言えなくもないですわな
いやね
こうやって考えますと
触れている情報のほとんどが ビジネスに関わるものですから
入っては出て行き 入っては出て行くを繰り返すわけで
中には いくら読み込んでも入ってくることを拒否してしまう情報
なんていうものもあるわけです
ですから
小説なんかを時々混ぜますとね
これが 大変なパニックを引き起こすわけです
先日
東野 圭吾氏の「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を
表紙が春らしかったもんで ついつい手にしてしまったんですね
そうしましたら
いつもの情報のフローが ピタッと止まってしまいました
ページを読み進めてゆけばゆくほど
余韻がドンドン残ってゆくんですね
もう
いつの間にか頭の中は 小説の中の手紙のことで
一杯になっちまいましてな
何も手に付かなくなってしまったわけです
ホンマニ 小説家の方の思うつぼですわな
でも
ちょっと心地良い疲労感ですからね
もうしばらく このやられた感を楽しむことにしますわ
我が儘が許される人
権力が集中している人が
周りの人を気にして意見調整をした上で
モノごとを決めていたのでは権力が集中した意味がないと思うわけです
だって考えてみなはれ
ホンダのCVCCエンジン
ソニーのウォークマン
アサヒのスーパードライ
バンダイのたまごっち
アップルのマッキントッシュ
いずれも歴史を変えるような商品を世に送り出した経営者は
社員全員の反対を堂々と押し切って英断しておられますもんね
思うに
権力が集中しているということは
我が儘を言いなさい
我が儘をしなさい
我が儘を通しなさいっていうことだと思うわけです
一部の人の利権を確保する為に発言したり
組織の崩壊を恐れて自分の意見を曲げて在り来たりな判断を下したり
自分の地位を守るためにリスクを回避し自己保身に走ったり
そんな姑息なことをしてはならんと思うわけです
私の判断の正しさは歴史が評価する
くらいの覚悟を持ってするくらいじゃないとね
この変化の速い社会を生き残れないような気がするわけです
そう思いますでっしゃろ!
と 誰かに向かって叫ぶ私でござんす
色眼鏡を外さなきゃね
コンサルタントの立場で何ですが
人に相談する時はそれなりに相手を選ぶべきだと思うわけです
もちろん
世の中にはチャンと真正面から向き合って
真摯に話を聴いてくれる人もいるはいると思うのですが
多くは
聞く話には興味がなくって自分の話をしてしまう人
聞いた話に対して自分の意見を押し付けようとする人
聞いた話を自分の都合の良い内容にねじ曲げて人に話す人
自分の賛同者のひとりとして加えたくて
人の話を聞いている振りをする人
中には
人の弱みを握りたくて いい人の振りをして近づいてくる人
そんな人もいますわな
普通に五感を働かせれば
この面倒臭い人達を見極めることは可能なんでしょうが
ここに 紹介者があり 名刺があり 肩書きがあったなら
ついつい
自分の都合の良い色眼鏡を
知らず知らずのうちに掛けてしまって
相手の方を見てしまっているんですな
面倒臭いのは
しまったって気が付くのが
かなり時間が経ってからということが多いからです
もう後に戻りようがないという処で
相手の本心に気が付いたりするわけで
いくら後悔しても しきれないことになるわけです
さてどうするか
金田一耕助なら 頭を掻いて肩にフケを落とすシーンですね
古畑任三郎なら おでこに左の人差し指をあてて考えるシーンですね
杉下右京なら 行動が止まり自分の世界に入ってしまうシーンですね
そう
自分の心の都合の良い色眼鏡を外し
事実と向き合うポーズを用意することだと思うわけです
ちなみに
私の場合眼鏡をケースから取り出し
静かに掛けるという一連の行動が
心の色眼鏡を外すシグナルになっています
まぁ~
私の場合 単に名刺を見るのに眼鏡がないと
文字が読めないという事情もあるにはあるんですけどね
そうなんだよね
新人の頃 先輩社員を見て
「とてもじゃないが あんな風には出来ない 凄すぎる」
なんて思ったものです
部長や課長なんていう役職の方々は
それはもう 仕事の哲人くらいに思いましたわな
でもね
キャリアを積んでゆくと
「なんや・・・」と思うことが増え
「大したことやってない」と気が付くことが増え
「なんて卑怯な奴」なんて感じることが増えましてね
舌打ちすることが増えるんですよ
そうすると 不思議と
新人君から「凄い!」なんて思われるようになっているわけです
いやね
ベテランの域に入っちゃいますとね
それまでチョット勉強したり
教えてもらったりするだけで
その効果というのは 目に見えて結果として出てきたものが
ちょっとやそっとでは 効果が出てこないんですな
のびしろが少なくなったとでもいいますか
ビジョンだとか
目的だとか
動機だとか
いろんな ご託を並べて自分を納得させた上でないと
なかなか効果が上がらないんですな
ですからね
ベテランの方で
いろんなアイディアを出したり
新規事業を企画立案したり
仕事の最前線を歩んでおられる方って
本当に惜しみなく努力をされているんだなと
心から尊敬するわけです
それに引き替え オレってなぁ・・・
しゃ~なぁい
学校の授業が良く分からない
成績がなかなか上がらない
資格試験の勉強をするんだけど難しくて分からない
なんて
愚痴をこぼしている子供達を見ながら思うんです
君達の人生は
君達の努力で切り拓きなはれ
自分達の将来は自分達で責任を持ちなはれ
でもねひとつだけは諦めなはれや
それは
君達がどんな家で
どんな境遇で生まれ
どんな風に育ったかは
自分達の責任ではないのだから
もし
自分の能力や可能性の天井が
妙に近い処にあったとしたら
それは しゃ~なぁいことなんや
そこから先は
ブツブツ文句を言わず
サッサと低い天井を取っ払い
私達を踏み台にして
新たなる可能性に挑戦しなはれ
応援くらいはするがな
セルフコントロール
自分の感情や行動を
自分で制するというセルフコントロールという言葉と
初めて出会ったのは高校の時読んだ心理学の本だったと思いますが
あれから40年以上になるというのに
セルフコントロールは上手く出来ませんな
これは
大人になりきれていないということなのかもしれません
政府の不甲斐なさを見るとカッとしますし
無駄に立派な金融機関や行政の建物を見るとカッとします
運転していて危ない運転を見ますとカッとしますし
レストランで店員に失礼な態度を取られるとカッとします
やっぱ一番頭にくるのは
いつまでも大人の振る舞いが出来ない自分自身にですわな
規制というやつ
仕事をしていますとね
なんでこんなにややこしい法律や規制が
あるんだろうと思うわけです
でね 思うんです
官僚や行政 政治家の方々が 法律や規制を執行されるとき
「オレが立案した規制」というヒーロー気分じゃ困るんですな
「こんなことを規制しなければならない社会は本当に残念に思う
出来ることなら こんなものが必要のない社会になるべきだ」
という風に断腸の思いで執行されるものであって欲しいのです。