2012年11月6日火曜日

失敗する度胸を持て


失敗する度胸を持て

私の田舎は
公務員の街と言われるくらい
産業の少ないヒッソリとした街でしてね
何か息苦しくなって 高校卒業すると同時に東
京の大学に行き そのまま30年間というもの
全国を飛び回って仕事をしておりました。

いま振り返ってみて
なぜ 田舎のことを息苦しいと思ったのかと考えてみますと
どうも 型に填った人間以外は 全て落ちこぼれと
見なされてしまうことに対する不満だったように思いますね。
もともと型破りの人間でしたから 嫌だったんだと思います。

すぐに エリートと落ちこぼれと分けたがるわけです
世の中 能力の差なんて大したモンじゃないですか
ホンマニ いま考えてもイライラしますわ。

考えてみればですよ
天才でもない限り
失敗をしない輩なんていないわけで
少々失敗をするくらいの方が
人の痛みも分かるようになりますから 優しくなれるじゃないですか

その上
自分と向き合うチャンスになりますからね
 ありのままの自分を直視することが出来ますから
「よし もう一度ゼロからの出発」なんてやり直しが利きますがね。

このメリハリがなければ
この変化の激しい世の中で
強かに生き残ってゆくことなんか出来ないと思うわけです。

これまで失敗ばっかりしてきたというアナタ
チャンス到来ですぞ。



短気は損気ではない

魚釣りの好きな方というのは
のんびりと釣り糸を垂らして魚を釣るわけですから
さぞかしノンビリとした方なんろうと思われていますけど
実は もの凄く短気な方が多いんですね。

糸を垂らして ちょっと釣れないと思うと
すぐに釣れるポイントを探して移動するんですね。

そう
魚釣りはのんびり屋さんでは釣れないんですな。
少々短気なくらいが丁度良いわけです。


同様に
仕事においても短気であることは
大切な条件ではないかと思っております。

競争に勝つためには
人が気が付かないうちに先回りして
ビジネスとして立ち上げてしまわなきゃならないと思うんですが
こういうところは 魚釣りと良く似ているんですね。

ただね
年がら年中 大きな声で怒鳴っている
初心者マークの短気屋さんではあきませんな。

やはり
ビジネスのポイントを探し続けるパワーを
内に秘めた周りから一目を置かれる
筋金入りの短気でなければなりませんね。

そうなんです
ビジネスにおいては 静かな短気は短所ではなく長所だということです。



井戸は深く掘らなきゃ意味がない

ビジネスモデルをデザインする際
どうしても 初期の段階においては
戦略の基本は右肩上がりの拡大路線で描かざるを得ませんが
必ずどこかで方針転換をする必要があると思うのです。

もっと大きく
もっと強固に
もっとグローバルに と
拡大志向を続けてしまいますとね
必ず 栄枯盛衰 という世の定理と向き合うことになるわけです。

では その方針転換とは何かと考えみますと
もっと深く だと思うのです。

最近の報道を見ていますと
既成権力をお持ちの方々が築きあげられた世界が
ドンドン瓦解していっているニュースが多いですよね。

築き上げられた利権や権力というのもは
時代のパラダイムシフトと伴に
必ず滅んでゆくものなんだと私達に教えてくれていますよね。

同じように 我々も
日々の業務の中に眠る 顧客からのメッセージと
真摯に向き合い 業務の改善・改革を怠らず
新しいサービスの開発を怠ると 同じ目に遭うということだと思うのです。

会社の寿命を 少しでも長くしようと思うなら
会社というのは 大きな方針転換というものが
時代の変化に合わせて 必ず必要だということではないでしょうか。

ここの地下には地下水が流れていて
ここを掘れば井戸として利用できると分かっていても
穴を掘っているだけでは井戸になりませんね

水の流れている地下水脈に辿り着かない限り
単なる落とし穴なんですな。

いま描いているビジネスモデルが
単に穴を掘るだけのモデルなのか
水脈に辿り着くためのモデルなのか
水脈に辿り着いてから後もどするべきかを描いたモデルなのか
そこのところを見極めることを怠ってはなりませんね。



本当に優しくなるためには

いま勤めているところを辞めてまで
転職を考えたり 独立を考えられたことって 誰でもあると思います。

その原因としては
よっぽど
頑固というか
石頭というか
アホな上司と一緒に働く羽目になって
よほど
理不尽な想いをされたことがあるんだと思います。

サラリーマンやOLをされていれば
「こんな会社辞めてやる」と
思わず声を上げたくなることってありますからね。

キャリアを積むという考え方からすると
職を換えるということは 何ら問題ないと思うのですが
ただね ひとつ辞める前に 準備すべき心構えがあります。

それは
理不尽な上司が
自分を罵倒したり
虐めたり
無視したのなら

将来
自分は決して同じ事をしないと 心に強く誓うことなのです。

そう 将来
運良く自分が打ち込める仕事と出逢ったったとき
今の上司と再度巡り会うことがあったなら
目の前の老けた上司に
優しく握手の手を差し出すぞと覚悟をすることです。

でないとね
将来 アホな上司を 自分自身が演じることになるんですわな。



本当に凄いのは

一時期
子供から大人まで支援する学習塾というのを
友人とやっていたことがあります。

それまで コンサルをしていますと
「子供が勉強をしなくて困るんです」と
おっしゃるクライアントさんが多くて
どういうことですかと話をお聴きしてみますと
どうも お子さんが勉強に身が入らないのは
親子間の会話が少ないからではないかと思いましてね
塾というビジネスモデルに仕上げてみたんです。

いくつかの家族の方とヒヤリングをして
少し調査をしてみましたところ
やはり そうなんですね。

子供達は 自分の視点で親を見た時
親の言動には理解できないことが多くて
不安に思ったり
不満に思ったり
反感をもったりして それが勉強嫌いという形で出ているんです。

一方
親御さん達は こんなことを言っても子供達には理解出来ないだろうと
勝手に思い込んでしまいましてね
自分の思いをお子さんに丁寧に伝えるということを
疎かにされているんですね。

この橋渡しをすることを
学習塾のコンセプトにして塾を始めてみたんです 

そうしましたら
面白いように子供達が変わりますんでね
いくつかの家族の皆さんには 喜んでいただけたものと思います。

ただね
事業として展開するには
受験ビジネスと戦わなければなりませんでね
塾に膨大な出費をすることが常識になっている受験戦争の常識に
私自身が耐えられなくなりまして いまのコンサルタント事業に戻ったんです。

考えてみますと
受験戦争というのは怖いですよね
ひとつの利権産業のような気がします。

まぁ~考えてみれば
教育というのは子供を人質にした産業とも言えなくもありませんから
人質奪回には お金に糸目を付けないというのも
分からなくはありませんけど
あの全てを「お子さんのために」で片付ける文化は耐えられませんわな。

こうやって いま冷静に振り返ってみますとね
先生という職業は
自分より 未来に無限の可能性を秘めた生徒に
自分が過去に 人から教わったことをお金を貰って教えているわけで
まぁ~間違いなく 先生より生徒の方に明るい未来がありますわな。

いまもコンサルという仕事を通してクライアントさんと
お話しておりますけど 感じるんですよ
未来を切り拓く力はクライアントさんの方が遙かに上だということですね。

それもね
素直に教わろうとされる方ほど
そのパワーは大きいんですな もう叶いませんわ。

でね 思うんです
コンサルタントという職業は 先生と一緒で
偉くも何ともなくて チューターとして存在しているに過ぎないんだってね。



三日坊主

子供の頃
「これからはしっかりと勉強します」
目を被いたくなるようなテストの点を前に
親と何度約束したことやら 大抵は3日坊主で
勉強机とは縁遠い生活をしておりましたけどね

この3日坊主というやつは どこからくるんでしょうかね。

考えてみれば
親の前で誓った 勉強しますという言葉は
やばい緊張感の漂うその場を とにかく治めて
その場から立ち去りたいという気持ちから出た
その場を繕う見栄だったのかもしれませんね。

大人になっても 対して違いはありませんから
「二度とこのようなことのないように注意します」なんて
1日に何度も平気で言ってましたもんね。

やはり我々のような愛すべき小心者というのは
継続してモノごとをするということが 本当に苦手なような気がします。

見栄を張って「これから頑張ります」なんていう言葉は
自分の自信を失う言葉なのに 言ってしまうんですな。

でね 思うわけです
人に堂々と語れるモノを持ちたいと思うとき
見栄を張って チョット背伸びをしてみても無駄だということです。

見栄で始めたものは 3日坊主で終わっちまいますからね。
これは これまでの人生で証明済みですから
もし 人に語れる何かを継続してやってみたいと思ったなら
片っ端から1週間限定でやってみて 1週間続けられたものの中から
10年継続してもいいかなと思うものをピックアップして
やってみることではないでしょうかね。

どうせ 好きなこと以外
長い間継続出来ないんですからね
見栄なんか捨てちまうことですわな。

ちなみに
先日 改めて自分のやってきたことを見直してみましたら
私ってね BLOGというやつを サイトを何度かやり直しながら
10年間書いておりました。生産性のないことを淡々とやっているわけです。

でも ストレス解消には もってこいなんですな~

最近は facebookを基軸に
いろんな形で書いていますけど 内容の善し悪しはともかく
継続してやってきたというのは 何か誇らしいですよね。
これからも 人の迷惑を顧みず 愚痴ることにしますわ。



目標値

何かを始めるとき
その本気度を設定する基準は
質がいいのかそれとも量がいいのか
それとも 他に設定すべきモノがあるのかいろいろ悩みますね。

スポーツや芸術の世界で
プロとして生きてゆくと覚悟された方でも
どんなに努力されても その実力を評価される方は
ほんの一握りの方といわれいますが その努力たるや
我々素人では想いも寄らない 質と量をこなされているようです
私共一般人には 到底及ばない世界があると思います

では
我々一般人は 何かを始める時
何を基準にしたら良いのでしょうか

それは
質より量のように思うのです
質というのは 素人では量りようがありませんから
量で量って その進捗状況を自分で判断するしかないと思います
10より100 100より1000 1000より10000と考えてゆきますと
さて これまた どこまでやればいいんでしょうか。

以前 大学の教授に聞きましたところ
教授になるまでに20000冊の専門書を読んだって
おっしゃっていましたから

ひとまず 我々が目指すところは 10000という単位かもしれませんね。

絵を描きはじめたら ひとまず10000枚書く覚悟をする
ブログを書き始めたら ひとまず10000回投稿すると覚悟する
メルマガを始めたら ひとまず10000件配信すると覚悟する
こんなところでしょうか でも なかなかの量になりそうですね

では これをどのくらいの期間でやるかですけど
ひとまず 10年を目処にするとしますかね。

私の目標は ひとまず
リクとマリンの写真を10000枚 ブログでアップする
・・・私の寿命が尽きるのが早いか
それとも リクとマリンが早いか
ちょっと競争になりそうですが 頑張ってみたいと思います。



学ぶべきは失敗

企業においても
行政においても
日本の組織全般に言えることですが
失敗することは落伍者の烙印を押されることで
恥ずべきことという固定観念があるように思います。

しかし
ノーベル賞を受賞された方々というのは
異口同音に失敗したことが切っ掛けで大変な研究成果を得ることができたと
おっしゃるわけです。

ここに大きな誤解が潜んでいると思うわけす。

学校でも 家庭でも 会社でも
失敗しない方法については教わるのですが
失敗から学ぶことを 全く教わっていないんですね。

どちらかと言えば 失敗することは恥であり
恥をかきたくなかったら
「やれと言われたことは一切何もしないことだ」と教わっているんですな。

私達は
日頃からの心構えを
根本的に入れ替えなければならない時がきたと思うのです。

失敗して恥をかきたくないから
リスクを伴うことには一切手を出さないで
避けられないなら 人にやらしてしまえなんていう狡賢い発想では
パラダイムシフトがいつ起こるか分からない
変化の早い現代社会を生き抜くのは難しいと思うわけです。

生きているんだという実感を持って
仕事や日常生活と向き合うには
成功の何倍もの失敗を経験する覚悟で
日々挑戦をし続けなければならないと思うわけです。



言われたくないやね

打合せをしていても 次から次から電話が入り
その都度 大きな声で長電話する方。

しばらく会っていないなと思うと
特に用事があるわけでもないのに 自分の周りの方々に会いまくっている方。

こういう方というのは
常に誰かと一緒にいないと不安で仕方ないわけで
私からしますとね 時間泥棒って思うわけです。

実は こういう方が本当に困るのは
相手の方の集中力を乱すことなんですね。
明らかに仕事の邪魔になるんです。

そう
仕事の質が落ちてしまうんですな。

もし やたらと人と会っている自分がいたなら
時間泥棒に成り下がっていないかチェックしておくべきです。

この際ですから
人から会いたいと言われる自分になるにはどうしたらいいかも
同時に考えるのはどうでしょうか。

でもね
これって 20世紀型営業に相反することを言っているわけで
営業のマネージャーさんから反論が出るかもしれません。

でも考えてもみて下さい
営業マンが来なくても ほとんどの情報はネットを介して
入手出来るわけですから 営業マンの役割とは何かを考えずに
昔ながらの足の営業を続けていることそのものに
問題があると思いません?



誰に褒められるかですね

セミナーや講習会の後の懇親会で
一生懸命 名刺交換をして歩いている方がおられますね。

昔「名刺を何枚集めるかが営業の原点や」と先輩から
教えていただいたことを覚えておりますが
名刺が5000枚くらい集まったところで気が付いたんです。

名刺の数は 自分の人脈とは言えないってね。

そうなんです
沢山集めた名刺というのは
単に人脈交流会をしているに過ぎないんですね。

本気で一緒に仕事をしようと思うような人と
出逢いたければ 頭をペコペコしながら
名刺交換をし続けるようなことをしていてはダメなんですな。

良く言うじゃないですか
100匹の羊に賛同してもらうより
1頭のライオンの目に止まることの方が大切なんだって。

ライオンの目に止まるには
ひとりで コツコツとスキルを磨き
何かの分野でトップとやり合えるものを身に付けることなのかもしれません。

もし 
自分の周りに羊たちが群がって来たなら
まだ 俺のレベルはこの程度なのかと反省すべきなのかもしれません。
チヤホヤされて喜んでいるようでは
ライオンは振り向いてはくれませんからね。

ガァオ~!