2012年11月2日金曜日
何でもない日バンザイ
速読
私のように
勉強というのは学校以外でもしなきゃいけないんだと気が付くのに
もの凄く時間を要した人間というのは
コンプレックスの固まりみたいな処があって
まずいやなと思った瞬間から
本を貪るように読みましたし
暇を見付けては教育テレビを食い入るように見ましたし
昔は有名人の講演がカセットテープで売られていましたから
それを車で移動するとき ズッと聞いたりして
とにかく普通の大人になろうと努力したものです。
でもね
気が付いたんです
ワテの頭じゃ人並みに追いつくのがやっとやなとね。
そこで
自分の限界を知ったわけですが気が付いた理由はと言いますと
それは文字を読むスピードなんですね。
ご縁があって 官僚の方に資料を提出することが何度かあったんですが
提出した1000ページにも及ぶ資料を 目の前でペラッペラッと捲りながら
読み進めるその姿に やらせではなくて
本当にこいつら理解しながら読んでいるなと感じたわけです。
6ヶ月近くも掛けて書いた資料を
なんと1時間も掛けずに読み切った上で
ポイントを押さえた質問を返されましてね 絶句したわけです。
こりゃ~頭の構造が違うわいとね。完敗でしたわさ。
それからです 速読ということに注目してみたんですね。
速読といいますと 分読1万字くらいを目標に訓練するような
速読術というのがあるようですが
こいつは 普通の我々が身に付けるのは無理のような気がします。
我々一般人は 速読は“術”より“ボキャブラリーの量”で高めると考えると
可能性が見えて来るような気がします。
まず 本の目次を精読して何が書かれている本かをしっかり頭に入れて
付箋を用意した上で 気になったページに付箋を貼りながら
まず1回読みます。
そして
今度は貼った付箋を意識しながら繰り返し読みます。
そうしますとね
読む回数が増えれば増えるほど 早く読めるようになるんですね。
当たり前の話ですけどね。
要はボキャブラリが増えてくれば 本は速く読めるようになるということですな。
この方法が 我々一般人には一番の速読の方法だと思います。
この方法の一番大変な壁はと申しますとね
同じ本を繰り返し読むことへのストレスでしょうかね。
我々の頭のどこかに 本は1回読んだら理解できるものという
変な刷り込みがあるんです。
コイツを吹き飛ばすのが大変なんですな。
これさえクリアできたら 本を読むのは間違いなく早くなりますよ。
グローバル度
最近の就職活動では
あなたのグローバル度はどのくらいですか?
といった問いがあるようですね。
グローバル度を測る基準なんかありませんでしょうから
英語力がどの程度ですとか
海外留学をしていましたとか
外人の友人がいますといった回答になるのではないでしょうかね。
でも 思いますに
ネイティブな英語が喋れたとしても
中身の無い人間なんか誰も信頼しませんし
何の役にも立たないと思うわけです。
そうなんです
グローバル化に対応した人材というのは
日本人であることを誇りに思い
日本の歴史・政治・文化について
自分の意見をチャンと言えることではないかと思うわけです。
その上で 専門知識があって
外国語を勉強しようという意欲さえあれば
例え下手くそな会話でもグローバル度の高い人間になれると思うわけです。
「こんにちは 今日は良い天気ですね」と
どんなにネイティブに話せたとしても それだけのことですわ。
日本人同士でもそうだと思いません?
日本人同士ですからね挨拶はできるんでしょうけど
何処で拾ってきた与太話か分からないことを
チャラチャラと話されたらムカムカして来ますし
時間の無駄って思いますもんね。
グローバル度とは 日本人であることを誇りに思っている度合いの高い人
これですな。
飽きる
仕事でもスポーツでも趣味でも
ものごとの習熟度が上がってきますと
なんとなく飽きてしまうっということになりますね。
一方で
子供達というのは絵本を読んでやりますとね
何度読んでも 読む方が飽きちゃっても
何度も何度も読めって求められますね
こいつらアホちゃうかと思うわけですが何が違うのかということです。
思うに
子供達の成長のスピードが速いからではないかと思うわけです。
子供達は絵本と出会う度に新しい発見があるんじゃないでしょうかね。
う~ん そうなんです
「飽きた」と感じるときは
実は自分の成長のスピードが鈍っているという危険信号であって
好奇心に灯を灯せとメッセージが送られているのかもしれませんね。
恐怖心
映画やテレビでは
庶民が恫喝されたり恐喝されたりするシーンというのがあって
見ているこちら側としては恐怖心を煽られるものですが
考えてみますと実際に恐喝や恫喝を受けることってあまりないですね。
暴力組織や金融の取り立て屋さんより
奥さんのヒステリーの方が怖いなんて仰る方が多いかもしれませんな。
一方で
怖いようなことをされていないにも関わらず
勝手に恐怖のイメージを膨らませてしまって
怖がってしまっているなんていうことが良くあります。
「授業で分からないことがあったら どうして聞かないんだよ」なんてね
ご両親から言われたことって誰もがあると思うのですが
どうして聞かないって 変な質問をしたら先生に怒られるかもしれないと
思い込んでしまっているわけで 怖くて手を挙げることが出来ないわけです。
こんなカワイイご幼少時代をお過ごしになった方って
多分少なからずおられると思うんですね。
そうなんです
大人になっても同じなんですな。
まだ経験したことがないコトと対峙すると 頭が白紙になるといいますか
思考が停止してしまって 勝手に恐怖心だけが膨らんでしまう
なんていうことが起こるわけです。
でもね
実際にその恐怖心と向き合ってみると
大したコトではなくって やってみたら何のことはない
全く怖くなんかないっていうことが多いわけです。
銀行への返済が滞ったら
もう明日にも取り引きが停止されてしまって
会社には借金返せの張り紙が貼られ
ドアをドンドン叩く音が聞こえてきて家にも帰ることが出来ない
子供は学校で虐められたとかで 学校にも行けない
家族中が薄暗い部屋の中でオイオイ泣いていている
なんていうイメージが膨らんでしまって
恐怖心でパニックになってしまうわけですな。
でも
銀行の返済が滞ってからって
これまで築き上げてきたことが一挙に瓦解するなんて
起こりっこないわけで 現実とキチンと向き合えば
要らぬ恐怖心など吹っ飛ぶわけですな。
う~ん 恐怖心というのは
多くは 自分の心の中に潜む卑怯者の言い訳と考えてみるのはどうでしょか
常に現実を直視することを心掛ければ
恐怖心を拭い去ることができるように思うわけです。
清潔
化粧品やファッション 掃除洗濯といったものは
人に自分を美しく見せる 清潔だと思ってもらいたいための行為だと
思いますけど 手間暇お金の掛かることですね~
一方 清潔という言葉を
自分の心に振り向けてみますと これまた違ったものが見えてきます。
最近の大手製造メーカーや投資顧問会社の事件における
経営陣の取った言動というのは アレッ?と思わされるところがありましてね
ひとつ言えることは 不潔な生き方を一旦してしまうと
自分を軽蔑してしまうとでもいいますか
もっと不潔なものが平気になってしまい
最後は破綻へと一機に進んでしまうということですね。
う~ん
自分の心の中に潜む負の側面ということではないでしょか
清潔に生きると覚悟することが
実は成功への近道だと言えるのかもしれませんね。
強い信念
信念を持って仕事をされている方というのは
端から見て頼もしいものですね。
「この仕事は 私の信念に反しますのでお断りします。」
なんて言われたら ゾクゾクしますな。
でもね
頼もしく映る信念も視点を換えて見ますと
古い考え方に固執し新しい考え方を拒否してしまう頑固者とも言えますね。
う~ん胸が痛い!
そこで考えてみました
強い信念を持った
人から信頼される人になるためにはどうすればいいのか?
人の意見や情報に対して謙虚に向き合い
本質的に正しいこととは何かを追求する姿勢を持つこと かなぁ~
踊る会議
年齢層の違う人達が寄り添って開催する会議を
淀んだ空気の中で進行させるか
活気のある会議にさせるかは
会議後の効果に大きく影響を与えると思うのです。
ではどうやって 踊る会議にするかですね。
ひとつ:狭い会議室を使う
テレビ中継なんかでよく見掛けますけど
大きな部屋で遠く離れて会議をしますとね 新しい意見はまず出ませんわな。
誰かが発表した内容を追随するのが関の山ですな。
出来レースの会議ならそれでいいでしょうけど
会社の将来に関わるような打合せだったりしますとね
狭い会議室で お互いの息遣いを感じられるような中で
会議をしますと迫力のある会議になるように思うのです。
ひとつ:甘いモノを用意する
私でも甘いモノを食べると 少し頭が回っているような気になります。
ひとつ:必ず発言をするというルールにする
ひとつの議題 人の意見に対して
とにかく全員が意見を述べるというルールにするのです。
それも 「~さんと同じ意見です」で終わることを禁止します。
必ず 自分の言葉で 自分の意見として述べることを決まり事にするわけです。
どんなベテランであっても 発言しなければならないと思うと
緊張するもんです。
ひとつ:座り心地の悪い椅子にする
ゆったりと座って会議をしちゃうと いつまで経っても会議が終わりません。
「腰が痛くなったから少し休憩をしようじゃないか」
なんていう意見が聞かれるくらいが丁度良いのです。
ひとつ:若い奴にオブザーバーをさせる
いつも同じメンバーで会議をしていると
残念ながらどこかでナァナァになってしまい
時間のロスが発生し始めるものです。
参加者に俺たちはプロなんだということを 最後まで意識させるには
若い社員をオブザーバーとして参加させ 先輩達の言動を見させるのです。
もう変なことは出来ません。
こんな工夫を少ししてみますと 会議も変わると思うのですが
一番大切なのは 当たり前の話ですけど
会議に出席する人達全員が 事前に会議の議題について
自分なりに調査し 資料を用意するといった積極的な姿勢を持つことですね。
リトマス試験紙
勝手になんですが
自分の作ったコンテンツの出来具合をチェックするのに
奥さんや子供達を使っています。
もちろんプレゼン用のコンテンツですから
彼らには全く縁の無い世界の話ですんですが
作った背景や伝えたいことなんかの話を聞いてもらって
理解してもらえるかもらえないかは関係なく勝手にプレゼンをするわけです。
そうしますとね
内容のことはもうひとつチャンとは分かっていない筈なのに
私が自信のあるコンテンツには食いついて来ますし
もうひとつかなぁ~と不安を持ったモノには食いつきが悪いんですな。
この程度でいいかぁ~
なんて妥協しようとしている弱い自分に
もう一度鞭を入れることができる
私なりのチェック機能になっているわけです。
まぁ~聞かされる側は いい迷惑かもしれませんけどね。
何でもない日バンザイ
今日はな
新聞なんか読まないし
ニュースも見ない
人とも会わないし
メールや携帯にも出ないぞ
仕事なんかほったらかしにしてやな
いつも寝間着に使っているトレーナーを着て出掛けようぜ
映画をハシゴして
体に悪いから食べ過ぎない方がいいよって言われたモノを
片っ端から食っちまおうぜ
久しぶりだしなパチンコもやろう
あっそうそう 家族が煩くて本数を減らしているタバコも
スッパスッパいっちゃおうかな
可愛い子のいるお店に行くお金はないしなぁ~
まぁ 疲れたら家に帰って奥さんとビールでも飲むか~ ってね
おじさんになっちまうとやね
仕事をさぼるったって 大したことできねぇ~の
だからね 仕事をしている方が気が楽なわけよ
4年に1度のオマケの日の翌日
人生得した気分の何でもない日 バンザイって~の
そうか中年か
私が中年になったなぁ~と思うようになったのは
いつ頃からでしょうか
徹夜が出来なくなった頃からか
お酒に驚く程弱くなった頃からか
雪情報を見てもスキーに行こうと思わなくなった頃からか
いずれにしても「中」というのは 少し曖昧過ぎますわな
中の㊦
中の㊥の㊦
中の㊥の㊥
中の㊥の㊤
中の㊤ くらいは用意してもらって
8歳刻みくらいで明確にして欲しいものです
しかし 鬱陶しい表現になるのは確かでしょうね
「私も とうとう中の㊥の㊤になりましたわ もう若くないですわ」なんてね
まぁ 言わんでも分かるっちゅうに!