2012年10月31日水曜日

国語の勉強について


国語の勉強について


さて 今回は国語の勉強について考えてみたいと思います。
一般社会人として求められる基本的なスキルに
自分をしっかりと表現できるか
人の言葉を理解できるかというのがありますね。

語彙が豊富であり
文法に沿って言葉を操ることが出来ないといけないわけですが
これを国語の世界では「言語能力」と言うようです。
さらに 組織で働くには 傾聴が求められ自分の意見を相手に伝える
プレゼンテーションが出来なければならないわけです。

これを 国語では「コミュニケーション能力」と表現しているようです。
しかし 国語の試験で発音の仕方や
話し方について問われたことって無いですよね。
ほとんどが 作文や漢字 文法的に正確な表現か
あるいは相手に対して失礼のない表現かといった
第三者が評価し易いものに注力して指導がなされているわけです。

ここに 国語の勉強と社会人としての国語力との間に
ギャップがあるように思うのです。

いま勉強している国語が
将来役に立つかどうか疑問に思う子供達に
「国語ってなぜ勉強しなくちゃいけないの?」
と聞かれた時の返事を用意しておかなければなりませんね。

新聞もテレビも 国も県も市も 会社も知人も友人も
それぞれの立場があり ものの見方 考え方 価値観というものがあるので
悪意が無くても其処から発せられる言葉というものは

結果的に自分にとって
「隠れた意図」
「潜んだ悪意」
「騙す為のウソ」
が潜んでいたことになってしまうのが大人の社会だからね

自分らしく生きてゆこうと思ったら
情報の意図を見抜く力を身に付けなければならないわけで
その為に必要なのが国語力というものだよ。
とでも言っておきましょうかね。


日本の国語の特徴

苦手な英語についれ 少し考えてみます。
日本人は英語が苦手だとよく言われますね
私も英語で話さなきゃならないことがあって
仕方なく超ブロークンな英語で会話を交わしたことがありますが
その間 手の平は汗びっしょり 別れ際の握手をする際は
思わずズボンで手を拭いたことを覚えています。

その時 思ったんですね。

自分が勉強してきた国語というのは
人に正確な情報を伝えるということより
情緒的な表現をすることを一生懸命習ってきたんだなということです。

例えば 自分の感情を表現しようとすると
「楽しい 悲しい 寂しい ムカついた 怒った ウザイ」
程度の言葉を使って表現していて 自分の感情について語るのですが
そのことに対して 聞き手に同意を求めるということをしていないんですね。

「このプロジェクトは 競合他社との差別化を図るのにもってこいの内容であり
 当社にとって非常に重要なものと考えます」といった曖昧な表現をして
それで良しとしているところがあります。

ですから 私のような日本語文化にドップリ浸っているものが
英訳して話そうと思ったらもうパニックです。
そう私達は 国語力をつけることとは
情緒的な表現する為のボキャブラリを増やすことと教育されていて
ものごとを正確に表現するということに重きを置いていないんですね。

やはり 日本語というのは
情報を正確に伝えることが優先された英語とは
相性が悪いんじゃないかと思いますな。

いやもう少し言い方を変えて
これまでの国語の教育に加えて
感情を殺してものごとを正確に表現する訓練もする必要が
あるんじゃないかと思うわけです。
それは 論理の進め方であり 文体を選ぶことだと思うのです。


国語の効果的な勉強方法

今回は国語力の鍛え方について考えてみたいと思います。
国語力を高めるにはどうすれば良いのか?
文法を勉強し 参考書を勉強するというのは学生さんの仕事
古典を紐解いて国文学を振り返るのは国文学者の仕事とすると
では 私達のような普通の人にとっての国語力を身に付ける手法とは何なのか

過去 新人君達が一人前に育ってゆくのを手伝った経験がらすると
以下の方法が効果的ではないかと思っています。

1)好きなタレントでも アニメでも プラモデルでも分野は何でも良いので
  徹底的に情報を収集しグッズを集め本や雑誌を読んで
  オタクと言われるくらいまで掘下げます。

2)その情報を 日記やBLOGなどに書きます。

3)情報が厚くなったら 兄弟でも友人でもいいんで人前で発表するんです。

昔の話ですが 新人君が配属されてきた時
何が好きですかと聞いて「オーディオです」と返事があったので
近くの家電ショップを片っ端から訪問してもらって
何でもいいので テーマを決めて発表するという課題を出したのです。

初回の発表は無残なものでしたが
調査と発表を3回くらい繰り返しますと
それまで人前で喋ることを怖がっていた新人が
結構喋れるようになりましてね
人が変ったように積極的になったことがあります。

これこそが 国語力の鍛え方だと考えているのです。
邪道かも知れませんが 実質的な効果はありますよ。
多分ね・・


黙々徹底

企画書に行き詰って 「ウ~ン、ウ~ン」と唸っていましたら
「私の好きな言葉なんだ」と娘が教えてくれた言葉なんです。

文学博士 林 秀一 という方の言葉だそうです。

世の中には 誰もやりたくないが
誰かがやらねばならないことが 沢山ある
そうしたことを 黙って とことんまで やり抜く人間になりたい
黙々徹底という意味は このような意味だそうです。

誰の力も借りることなく 自分自身の力で 辛くとも苦しくとも黙って
黙々とやり抜く強さを持って勉強に励んでほしいという思いを
学校の先生が尊敬する恩師の言葉をもって伝えられたもののようです。

最近は 子供たちに教わることが多くてね
「もくもくてってい」・・・一生忘れられない言葉になりそうです。


スピーチライター

ジョン・ファヴロー( Jon Favreau )氏が
バラク・オバマアメリカ合衆国大統領のスピーチライティングの作成に
関わったということで スピーチライターという職業に
注目が集っているみたいですね

確かに 国内でもベストセラーになってしまうほどの
オバマ氏の演説内容は世界中が注目しているものですから
専門家を側に配するというのは良く分かるような気がします。

ただ 驚いたことに海外支局の報道によりますと
日本の政治家から問合せが入っているそうなんです。

スピーチライターという便利な職業があるのなら そんな人材を紹介して欲しい
あるいは
そんな人材を派遣してくれる会社を紹介して欲しい とね

いまでも人に書いてもらった書類を読むだけの政治家が
内容を官僚ではなく プロのライターに書いて欲しいということのようですが
アホらしくなりますね。

こんな問合せが後を絶たないと言っておりましたが
日本の政治家の方々は スピーチライターという職業が
政治家の変わりにスピーチ内容を全て創作するくらいに
思っているんじゃないでしょうか。

何か不祥事があると
「秘書がやったこと」
「家族が知らないところでやったこと」 などと
言い訳をするのが慣例ですから
今度は演説で非難を受けたときは
「演説内容はライターが書いたことだから ちょっと私の本意と違うんです」
なんて言い訳をしたいんでしょうかね。

最後に 報道員が絞めておりました
「内容無き者にスピーチはありえないのである」とね
納得ですね・・・


数学を馬鹿にしてはいけない

今回は数学についてお話をしてみたいと思います。
数学が嫌いな方には特徴がありまして
基本的に数学に対して偏見があるようなんですね。

「こんな公式を勉強しても 社会に出たら何の役にも立たないからね
役に立たないものを勉強しても意味ないさ」といったことを
平気でおっしゃいます。

でもね「この投資は年間30%の利率で回りますから絶対儲かりますよ」とか
「5000万円投資して頂いたら 3年後に必ず1億になりますよ」とか
「いまここで100万円で契約をしてもらって あなたが契約者を5人募ったら
 キックバックとして100万をご用意しますよ」といった
インチキくさい儲け話やマルチ商法まがい
ネズミ講のような危ない話と出合った時

「そんな上手い話が有るわけないでしょう」と毅然と断る為には
数学的な発想が必要だと思うんですね。

「この仕組みで 最終的に儲かるのは誰なんですか?」
「私のお金は どのように運用され利益率は何パーセントなんですか?」
「あなたのおっしゃっている話が正しいならば
 私がこうしたいと言ったらあなたはどうするんですか?」
こんな切り口で反論し 自己防衛をしなきゃなりません。

数学力とでもいいますか 数字に負けない自分を築くためにも
数学を馬鹿にしてはならないと思うわけです。

ちなみに 年間30%の利率で回る話には
「サラ金でも現状は20%が最高金利であり
 それ以上儲かる話っておかしくはありませんか?」と反論

5000万で1億にする話には
「分かった5000万投資しよう 君が私に5000万貸しなさい
 そのお金を投資に回しましょう
 3年後5000万儲かったら4000万君に上げる
 私は1000万でいいからね」と反論します。

そして キックバックの話には
「君の友人を5人紹介しなさい」と反論するのはどうでしょうか?

数学的な思考術を身に付けることは
自己防衛になるということだと思うわけです。


柔軟な頭

今回は 頭について少し考えてみます。
技術者はものの考え方が硬いというか 融通が利かないけど
文科系の人間は柔軟だと思われている傾向があります。
しかし 良く考えてみれば
アインシュタイン氏も本田宗一郎氏も井深大氏も技術者であって
ビックリする程の独創性と発想力を持っておられたわけで
技術者だから融通が利かないという偏見は捨てなきゃなりませんね。

ピカソの語録の中に 私の絵は 身に付けたデッサン力を無視し
いかに下手に描くかがテーマなんだ といったことが書かれていたと思いますが
柔軟な頭というのは この「型を破る」という行為を言うのではないかと思うのです。

浅田真央ちゃんが スケートリンクで舞う姿をテレビで観て感動しますが
彼女の3回転半のジャンプは イキナリ飛べたわけではなく
基礎のスケート技術を身に付けるという「型」を学ぶ期間があって
その上で 世界に通用する選手になる為に ある時「型を破る」瞬間というのが
あったんだと思うわけです。

そのことで「型」と呼ばれる範囲が昔より広くなり
さらに その型を破る人間が出てきて
新たな「型のモデル」が登場するということを
繰り返しているのが 進歩といわれるものに違いありません。

私達のような一般人は
その型というものを蔑ろにして ついつい派手なパフォーマンスに
目を奪われがちですが いま もし新しい挑戦をしたいと考えるならば
もう一度 「自分にとっての型」とは何なのかを見直す必要があると思うんですね。

それがあってはじめて
「型を破る」ような柔軟な頭の威力を発揮できるんでしょうな。
柔軟な頭とは
「型」を身に付けたことで はじめて発揮できる能力だということでしょうね。


「型破り」で勝負

今回のテーマは 型破りです。
景気は少し回復基調牙だそうですが
ひと息ついた時ほど企業にとっては
強烈な危機が襲ってくるといわれています。
大企業ですらソワソワする時代ですから
小さな会社がオロオロしてなぜ悪いと思いますけれど
しかし オロオロしてばかりはいられませんね。

知恵と勇気とほん少しのお金さえあれば
この危機をチャンスに変えることが
出来るに違いないと考える覚悟が必要ですわな。

私などはこんな混沌とした時代にしか出目がないんですけど
こういう危機に瀕した時は 小難しい言葉を並べて考えるより
やるべきことをサッと決めて
サッサとやってみて
出た結果をサッサッサと分析し
次にやるべきことをサッと決めて
またやってみる これをダイナミックに
繰り返すことが大切だと思うのです。

この時 必要な基本的なものの考え方とは
もっとシンプルに出来ないか
もっとスピーディーに出来ないか
さらに 笑顔を絶やさないでチャレンジを継続するという
Simple Speedy and Smile( 3S )の姿勢で取り組むことが大切だと思うわけです。

それともうひとつ なかなか出来ないことなのですが
いつでもガラガラポンと全てを整理する覚悟と
準備を常にしておくことが大切ではないでしょうか。

大きな天変地異か 大きな戦争が起こらない限り
このデフレ基調は 今世紀一杯続くと思われる中で
負の遺産を背負ったまま 次のビッグチャンスが来るまで
ジッと耐え偲ぶというビジネスの考え方は
通用し難くなったと思うわけです。

変な言い方ですが
いまの事業をいつでも売り飛ばせるように
あるいはいつでも整理出来るように
情報の管理の透明性を高めてておくことが
小さな会社の「型破り」の経営方針だと思うわけです。

では 小さな会社のビジネスチャンスはどこに転がっているのでしょうか。
それは いま目の前にあるビジネスの常識となっている「型」を破ってみると
どうなるかと考えることから始まると思うのです。

ここでいう「型破り」とは それは仮説のことです。
例えば 小さなお店でとっても美味しいハムと出合ったなら
「私ならお店だけでなくネットでも売るな」とか
「私なら近くの道の駅の棚スペースをもらって曜日ごとに品物を
 変えながら限定本数だけ売るな」とか
「ハムを使った料理教室を始めて
 ファンを募りながら会員制の販売体制を作るな」
なんていうことを勝手にシミュレーションをして楽しむのです。

この訓練を継続することが
「型破り」の発想を根付かせることになると思うです。

このデフレ基調の経済環境の中で
自社の付加価値を高める事業に辿り着くには
この「型破り」というキーワードを組織に根付かせることが
第一歩だと考えてみるのはどうでしょうか。
ゲーム感覚を磨くっていうやつですね。


失敗を受け入れる

今回は失敗について考えてみます。
多くのビジネス上の失敗というのは
多くはヒューマンエラーで起こるものだと言われています。
ですから 失敗の情報は下から上には伝わり難く
組織の末端で孤立してしまいガチですから
失敗の状況にあっても その情報が上司に伝わらず
気が付かない内に その傷口がドンドン広がってししまう
なんていうことが起こるわけです。

また 失敗をした個人を責めるだけで
それで終わりとするような処置をしてしまうことも多く
根本的な失敗に対する対策を取らずに
「同じ失敗はしないようにしてくれたまえ」といった
精神論で終わってしまっていることも多いと思います。

こんなことをしていますと
同じ失敗を誘発してしまったり
失敗したことを隠そうとする作用が働いてしまったりして
ますます 失敗に対する根本的な対処が取れなくなってしまうのですわな。

さらに 良く言われることですが
情報というのは竪の組織を縦断して伝わることが難しいので
「え?それ駄目だって言ったじゃん
 どうしてオタクの部ではやっちゃったのかなぁ」
なんて会話を聞かれたことのある方って多いと思うんですが
自分のセクションさえ良ければ良いやという発想が
失敗の情報の共有化を阻み セクショナリズムの弊害が
失敗の対応などでは 顕著に出てしまうもののようです。

また 失敗というのは隠れたがる傾向があります。
失敗したことを自慢する人はいないだろうし
失敗を隠すことは人間の心理として理解出来なくはありませんが
しかし ウソをついてまで隠すとなると
「失敗は隠せる」という罠にはまってしまうものです。

これは 厄介な企業風土となってしまいますね。

さらに 失敗というのは
その姿を変化させやすいものだということでしょう。
失敗情報は伝わってゆくうちに
変化しながら単純化されてゆく傾向があります。
責任追及の為に誇張されたり
責任をうやむやにしようと神格化されたりしちゃうんですね。
組織に失敗を積極的に受け入れる体制を
デザインするにはどうすればいいのか?

それには 失敗したことに対する懲罰を重んじる人事考課ではなく
失敗したことを分析し組織共通の知恵として公開することを
評価する人事考課制度を導入することだと思っておりますけど
なかなか過去が邪魔をするんですよね

さて この失敗を受け入れるという視点で
今回の相撲協会の対応を見てみますと
臭いモノに蓋をし続けてきたツケが回ってきてしまったんだなと思いますね

残念ながら ほどよい落としどころを探すなんていうコトは
もう無理だと覚悟して頂いて
スクラップ アンド ビルドでリスタートすると
明言して頂くのが良いかと思いますけど
国技となると難しいんでしょうかね。

早く 若者がドンドン入門してゆく
元気な相撲に戻って欲しいですよね。
体系だけは相撲取りの私が 心から応援致します。


チャンスを逃がしたと思ったら

今回は チャンスについて考えてみたいと思います。
しまった チャンスを逃した と思ったことは
誰しもあると思うのですが
その時 どうのように考えるかによって
チャンスが再び来るかどうかが決まりますよね。

川釣りが好きなもので
一日 竿を垂らしながら川を下流から攻めるなんていうことを
良くやってきましたが
その時 逃がした魚というのは
友人知人に説明するときには
ついつい大きな魚へと変貌していってしまいがちなものです。

それくらい 逃したものというのは
自分にとって大きな存在へと変わるものですから
チャンスというやつを逃した時のショックというのは

「もうアカン もうダメだ もう終わりだ」と腐らせてしまうものです。

やはり チャンスを逃してしまったと思った時というのは
これ以上の努力は無駄だと思ってしまいがちですが
ここで 投げたらアカンと思うわけです。

チャンスというのは ちょっと意地悪ですから
自分にとって常にベストなタイミングでやってくるわけではなくて
少し早いかなという時と
そろそろ良いだろうという時と
いきなりうまく行くけど引き際を間違ってはならない時と
3回必ずノックしてくるものだと思うんです。

ですからね 心を腐らせてはならんということだと思うわけです。
チャンスを逃がしたと思ったら
「ヨッシャー ラッキー 大きなチャンスが近づいとるぞ」と
ご気楽に思えることが 大切ということなんではないでしょうかねぇ。